第六章

第95話 叡知の魔女

「ミスター。お茶とお酒、どちらにいたしますか?」


 メイド型ドレミが皇帝の弟に尋ねた。ミスターってなんだよ? 通じるわけねーだろう。


「では、お茶を頼む」


 おっと。あっさり通じちゃいましたよ。ぶっひゃっひゃっひゃっ!


 どこから出したか謎の押し車には、いろんなお茶の道具が載っていた。


 ……お前は時々ぶっ込んで来るよな。エリナの差し金か……?


「紅茶でございます」


「ほぉう。紅茶と言うのか。よい香りだ」


 立場的に見知らぬ者から渡されたものを口にすることないのに、なんの躊躇いもなく紅茶を口にした。


「怖いな」


「それはこちらのセリフだよ。ヴィベルファクフィニー・レイド・カフォニードくん」


「────」


「おや。知っていたかい」


 穏やかに笑う皇帝の弟。やはり、気がつかれていたか……。


「いや、今はヴィベルファクフィニー・ゼルフィングだったね」


 まずいな。先手を取られっぱなしだ。


 根性を総動員してコーヒーカップに手を伸ばし、精神安定剤を口にした。うん。コーヒーこそ我が命だ。


「ふふ。さすが帝国。凄まじいまでの情報力です」


 余裕の笑みで皇帝の弟を見た。


「それはこちらのセリフだ。村人と言う立場でありながら皇室の情報まで辿り着く。カフォニード家の血かね?」


「さて。どうでしょうね? わたしはカフォニードを知りませんので」


 オレの出会い運が働くなら会えるだろうし、オレが生きてる間に探せればイイだけのこと。オトンの家族探しはあとでも構わないのだ。


「カフォニード家には興味はないか」


「いえ。ありますよ。亡き父の実家ですからね。ただ、重要度は低いだけです」


 血の繋がりはあっても情の繋がりはねー。会ったこともない遠い親戚ってくらいだ。


「そうか」


「はい。そうです」


 お互い静かに笑い合う。


 やはり帝国の影の皇帝と言われるだけはある。豪胆すぎるぜ。


 いくらここがレヴィウブとは言え、帝国のナンバー2が護衛もつけずにオレと向かい合う。主がノーと言ってもそれを受け入れては護衛は失格だ。表だってが無理なら裏で護衛するだろう。


 それがない理由を考えるだけで胃が痛くなる。油断したら食われそうだわ。


「紅茶と言ったかな。実によいものだ。白茶より断然好きだ」


 アプローチを変えたか。では、乗ってやろうじゃないか。


「お気に召したらレヴィウブのゼルフィング商会で手に入りますよ。他に酒などもご用意しております」


「ふふ。商売上手なことだ」


「わたしなどまだまだです。世の中には世界を相手に商売する商人がいますからね」


「アーベリアン王国には優秀な商人がいて羨ましいことだ」


 やはり、会長さんの件は帝国が噛んでいたか。まあ、揺さぶり程度のもんだと思うがよ。


「帝国にも優秀な商人は何十人といますでしょうに。他にもいろいろと」


 帝国と名乗るだけに、抱える情報機関はいくつかあり、外国にも耳や目を置いてある。オレが知っているだけでも二つはあるよ。


「本当にアーベリアン王国と言うのは怖い国だ」


「まあ、あの国は特別ですから」


 苦笑に苦笑で返した。


「そうだな。あそこは上は王族から下は村人まで特別なのが溢れているからな」


「帝国も負けてはいないでしょう。これだけの国土、これだけの人、混沌とも言うべき渦を御している。普通なら衰退なり不正なりが蔓延しているでしょうに」


 今の帝国は安定期だ。外に敵がいない。それがもう三〇〇年は続いているのだ。なのに、帝国に滅びの予兆はないのだ。


 だが、その裏に人外がいるのなら納得はいく。影なる者が潜んでいるなら不思議ではない。君臨すれど統治せず、ってところだろう。


「さすが小賢者。その目はどこまで見通すのかな?」


「見えるところまで、ですよ。影の皇帝どの」


 悪戯っぽい笑みに悪戯っぽい笑みで返した。


「しかし、帝国は磐石で羨ましいことです。わたしも帝国に生まれたかった」


 なんか帝国に生まれたほうがスローライフできたような気がする今日この頃。神にワンモアチャンスと叫びてーよ。


「皇族としてそう見えたら喜ばしいことだが、実情は問題山積みで、胃が痛くなる毎日。休むこともできず、娘たちと接する時間もないほどさ」


 威厳と言うものはなく、まるで仕事に追われる父親のような雰囲気と表情だった。


 素の自分を出せる。


 それは出せるようでなかなか出せないそいつの本音。ましてや帝国を支配する者なら出してはいけない本音だ。なのに、出せると言うことは切り替えができると言うこと。相手に合わせて出せると言うことだ。


 そんな感情をコントロールできる相手を甘く見てイイわけがない。今見せている感情に騙されてはいけない。感情に隠れた心情を見誤ってはいけない。相手は帝国の影の皇帝なのだから。


「外の者ですが、己を犠牲にして国を、民を守るその尊さに涙が出る思いです」


 心の中で、だけどな。


「自由気ままか。なんとも羨ましいことだ。わたしも一番上の兄が生きていてくれれば自由に、とまではいかなくても、娘たちと遊べる程度には過ごせただろうに」


 それは遠回しにフェリエの存在を探って来てるのだろう。


 だが、それに乗ってやる義理はなし。帝国の未来よりフェリエの未来を優先させるまでだ。


「娘さんたちの未来のためにもお体を大事にしてください」


「そうだな。娘たちのためにも体は大切にしなければならんな」


 そのためなら手段は問わない。非道も厭わない。そう言ってそうで顔がひきつりそうになるが、根性で笑顔を維持する。


「ええ。それがなによりです」


 まったく、敵にしたくないヤツとのおしゃべりは体に悪いぜ……。


  ◆◆◆


 これほどまでに世間話で胃が痛くなったことはあるだろうか? 


 ──いや、ない!


 と、オレは断言できる。


 世間話。それはなにげないおしゃべり。だが、相手を知ろうと言う状況では情報収集であり、相手の人となりを知るものであるのだ。


 皇帝の弟の話は、情報屋を使えばあるていどは仕入れられるし、公爵どのからも聞いている。


 だからある程度はどんなヤツかはわかる。だが、そのある程度が曲者なのだ。


 情報屋で仕入れられるのはやったことやウワサ程度だし、公爵どのからの情報は公爵どのの色眼鏡が入っている。そこにオレの感想は入ってねーのだ。


 そのズレは命取り。判断を誤ることになる。


 まあ、面と向かったからと言って正しい情報が仕入れられるとは限らないが、自分なりの人となりを持ってなければ自分なりの判断やら決断はできねーのだ。


 さらに言うなら、オレが皇帝の弟を見極めようとしているように、相手もオレを見極めようとしている。


 気のイイヤツとなら素の自分を出してもよかろうが、敵(仮)に知られるのは弱点を知られるのと同じこと。隙を見せればそこを突かれかねんわ。少なくともオレなら容赦なく突く。完膚なきまで突き倒す。


「ええ。今年は豊作とまではいかなくても、なかなかよい収穫量だと聞いております」


 なにをどう話してたかわからぬが、いつの間に帝国の麦の収穫の話になり、アーベリアン王国の収穫を聞かれた。


「そうか。今年の天候は広範囲でよかったのだな」


「そう言えば、帝国には天候省なるものがありましたね。毎年各地域の天候を記録するとか、農業を携わる者として羨ましい限りです」


「天候を記録することの重要性を知るとは学が広い」


「わたしの学などまだまだ小さいものですよ」


 一六年で仕入れられる情報など微々たるもの。知らないことばかりだぜ。


「謙遜を。その知識と情報を持っているのなら学府に招き入れたいくらいだ」


「学府とは恐れ多い。帝国の賢者様方に鼻で笑われてしまいますよ」


 帝国の学府には興味があるが、専門家の中に入るなどおこがましいにもほどがあるわ。いや、冗談で言ってるのはわかってるがよ!


「いやいや、君の話は本で知ったのではなく実地で知ったものだろう。そう言う者の話は貴重だ。万金に値する」


「それを理解する者が上にいる帝国の強さがわかると言うものです」


 それはいろんなところに目と耳があると言うこと。


 しっかし、こいつは本当に皇族かと何度も思わせてくれるな。小国の王ですら自国内の事情などそうは知らないのに、皇帝の弟は外国の事情まで精通している。


 性格故にか、育ち故か、それとも誰かに影響を受けたのか、なんにしても尋常ではねー。


 この穏やかさの陰にある本心をまったく見せねーなど怖すぎるわ。どんだけ外面がイイんだよ。逆に引くわ。


 などと心の中で葛藤しながら世間話をしていると、なんか突然、空気が変わった。


 ……この空気、前にも感じたことあるな……。


「随分と楽しく話してるじゃないか」


 突然、横から声がした。


 見れば……魔女? え、魔女?! 魔女がなんでいんのよ!?


 黒いトンガリ帽子に黒いマントを羽織った年齢不詳の金髪美女だ。


「先生。いらっしゃってたんですか」


 皇帝の弟に目を向ければ穏やかな笑顔を見せている。先ほどと同じではあるが、雰囲気も心なしか柔かくなっていた。


 先生と言う言葉と雰囲気からして、この魔女が皇帝の弟に影響をもたらせた存在なんだろう。あくまでもオレの直感ではあるがよ。


「ああ。おもしろいヤツが来ていると耳にしてな。つい好奇心に負けて来てしまったよ」


 その碧眼がオレに向けられる。


 ……人外だ。それも居候さん級の……。


「居候さんが悠久ならあんたは叡知の魔女だな」


 先生とは真逆の存在だが、違う道から叡知を求め、長い年月の果てに極めた感じがする。


「ふふ。叡知か。それはまたおもしろい評価をしてくれる。さすがグレンが認めただけはある」


 グレン婆、いったいどんな人生を送って来たのやら。本にして教えてもらいたいぜ。


「グレン婆とはお知り合いで?」


「昔、少しの間、世話になった。菓子狂いの女、今はなんと名乗っているかは知らぬが、ヤツとは同門だ」


「居候さんと同門か。それはまたおっかないことだ」


 クラスメートと言うほど軽いものではないだろうが、あの人外と同門とか、薄ら寒くなる思いだぜ……。


「ふふ。居候か。言い得て妙よな」


 なぜ言い得て妙なのか知りたいところだが、ごーいんぐまいうぇ~いな人外の思い出に足を突っ込むのは危険だ。サラリと流しておこう。うぇ~い。


「わたしもお邪魔してよいか?」


 皇帝の弟がどうだろうかと目で問うて来たので了解と頷いて見せた。


「お茶はなにがよろしいでしょうか?」


 ドレミがメニューを差し出した。


 喫茶店か! とか突っ込みたいが、ちょっと甘いものが食べたくなった。摘まめるものちょうだい。


「紅茶と言うのを頼む。あとは、このモンブランなるものを頼む」


「わたしも紅茶のお代わりをいただきたい」


 なんかよくわからない流れになったが、ちょうどイイ。気持ちを整えるためにブレークタイムといきますか。


  ◆◆◆


「この方は、わたしの先生でもあり、大図書館の魔女と呼ばれているよ」


 紅茶を飲み、モンブランを美味しそうに食べる大図書館の魔女さん。


 ……人の外に出たヤツはほんと、よーわからんわ……。


「その魔女らしい魔女ルックって決まりなの? 居候さんは着てないが……」


 ファンタジーな世界とは言ったって、トンガリ帽子に黒いマントってなんだよ? そんな格好してるヤツ初めて見たわ!


「これは、グレンが作ってくれたのだ。魔女ならこれでしょうとか言ってな」


 元凶、お前かい! ほんと碌なことしねーよな!


「……そ、そうかい。それはなによりで……」


 なにがなによりかは知らんが、今も着てんだから気に入ってんだろうよ。


「グレンはまだ生きてるの?」


「もう死ぬとは言ってたな。今はどこでなにをしているのやら」


 畳の上で、って性格でもねーし、どこか気に入った場所で果てようとしてんだろうよ。


「……そうか……」


 追及はしないか。そう言うところはわきまえてるよな、人外って。


「大図書館の魔女さんは、帝国の祖始とは面識はおありで?」


 帝国の歴史は千年とか二千年とか言われている。あまりにも古いため、情報屋では真偽がつかめなかったのだ。


「生憎、大図書館の魔女としては三代目だ。初代様は書物の中でしか知らん。お主は帝国の歴史に興味があるのか?」


「帝国の歴史にも興味はありますが、できれば帝国ができる前、天地崩壊のことが知りたいです」


 天地崩壊はお伽噺としては残っているが、象徴的すぎてよくわからんのだ。天から神が降りて来たとか悪魔が溢れたとかな。ただ事実なのは世界が壊れたってことだけだ。


「……随分と変なことに興味を持つのだな」


「世界の謎とか、気にならない男はいませんよ」


 冒険心はないが、好奇心はある。ロマンがあってワクワクするぜ。


「……箱庭伝説か……」


「知ってるので?」


「ああ。帝都の地下に一つある」


 なんかとんでもないことをぶち込んで来た。


 いや、それ、秘密中の秘密でしょ。皇帝の弟さん、スゴくびっくりした顔してますよ!


「心配いらん。バレたところでもう死んだ箱庭だ」


「ですが……」


 さすがのことに皇帝の弟も動揺を隠せないでいる。聞かされたほうも困るわ!


「お主、箱庭、いや、フュワール・レワロを知っているな」


 さすが大図書館の魔女と呼ばれるだけはある。その頭には叡知が詰められていやがるぜ。


「ええ。知っていますよ」


 なぜフュワール・レワロの話を出したかはわからんが、これはチャンスだとオレの直感が言っている。なら、大図書館の魔女の誘いに乗ってみようじゃないか。


「そうか」


 と、だけ。関心あるんだか興味ないだかわからない表情をしている。だが、人外とは少なからず交流がある。その少ない交流から学ぶことはある。


 好奇心も人の域から外れている、とな。


「はい。もし興味があるのなら別荘にご招待しますよ。箱庭の生物とかいろいろいますから」


 さすがに自宅には招待できんが、別荘なら問題なかろう。収納鞄の中に入ってるしな。


「よいのか?」


「構いませんよ。魔女と呼ばれているなら自衛手段もあるでしょうし」


 別荘に決めたフュワール・レワロは、生命の箱庭。天地崩壊の前に生息していたと思われる生物や植物が集められていた。


 しかも、特定危険生命体とかつけたくなるようなフュワール・レワロだ。A級冒険者でも一時間としないで食物連鎖に取り込まれるだろうよ。


 ふっ。S級村人には余裕なところだがな!


「弟子を連れていってもよいか?」


「自己責任なら何人でも構いませんよ。一人で見て回るには厳しいでしょうからね」


 広いって意味でだよ。


「いついける?」


 思慮があるタイプに見えるが、根は思い立ったが吉日のようだ。


「そちらの用意次第ですね」


 フュワール・レワロは手元にある。いきたいのならすぐだ。


「一〇日。いや、六日で用意する」


 そう言うと席を立ち、煙のように消えてしまった。


「……行動力のある魔女だこと……」


 好きなことに全力なヤツは本当に見ていて気持ちがイイ。それが例え敵対していてもな。


「あの気まぐれな先生を操りますか」


 穏やかな声で穏やかに言っているが、その中では感情が渦巻いているのがわかる。心に溜め込むヤツは目に出るからな。


「長く生きた者は、求めているか燻っているかのどちらか。エサを投げてやればすぐに食いつきますよ」


「なるほど」


 とだけ。さすがの皇帝の弟でも人付き合いは不慣れか。まあ、身分社会の申し子みたいな立場なら仕方がないがよ。


「たまには外国に出てみてはいかがですか? 気晴らしになりますよ」


「ふふ。そうはしたいが立場的にな……」


「理由などどうとでもなる地位にいるのです。なら、どうにでもなります。外交もあなたのお仕事でしょう」


 権力は使ってこそ。そして、ここに理由となるオレがいる。さあ、あなたならどう使う?


「フフ。恐ろしい少年だ」


 オレの言いたいことを瞬時に理解するあんたのほうが怖いわ。


「しばらくここに滞在してるのかな?」


「はい。大図書館の魔女との友好のために」


 ギブアンドテイク。フュワール・レワロに招待するんだ、その見返りはいただかんとな。


「わたしの手の者も同行させてもよいかな?」


「自己責任を承諾していただけるのなら何人でも」


 にっこり笑って見せる。


「場所はどこで?」


「レヴィウブの外ではどうですかな?」


 さすがにレヴィウブの中じゃお玉さんにワリーからな、ちょっと場所を用意してくれや。


「では、六日後に」


 どう連絡をよこすかも教えていただきたいが、まあ、それはそちらに任せます。好きなように。


 席を立つ皇帝の弟にコーヒーカップを掲げて見せた。

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