第19話 宮古島インシデント

「あの、念の為と思って、中高の頃からの私の身体測定データを持ってきていますけれども」

 穂香ほのか(大)が、沈黙を破った。 

「こちらが健診データと連動されている測定データです。中高の頃には、概ね週単位で身長、体重の推移が記録されています」


 穂香ほのか(大)から手渡されたタブレットを、二階堂先輩は指でスクロールさせながら眺めていく。


 一通りわたし達の測定データを眺め終えた先輩は、わたし達を見た。中学の頃の測定結果と、今のわたしの体型とを見比べているのだろうか?


「これは参考情報にはなりそうだ ……それで、随分と頻繁な測定データがあるな。何か理由が?」


  先輩のその質問には、わたしがさらりと答えた。

「ミカ校では、週一の最速降下線サイクロイド訓練の際に自動で身体測定が行われることになっていましたので」


 直後、視線を感じ、わたしは横を向いた。穂香ほのか(大)が、わたしを心配そうに見ていた。


 二階堂先輩は「ミカ校、だと。」と、軽く目を見開いた。

「それは、琉球準州に設置されていた、防衛省附属・外郭自衛高等ミサイル科学校のこと、だな。なる、ほど、君たちは宮古島インシデントの関係者インサイダーなのか?」


 お詳しい。インシデント関係の報道でミカ校が取り上げられる際には、単に、防衛省高等ミサイル科学校と略されている。附属と外郭の別があることを知る人は少ないはず。

「はい、当時、わたしは、防衛省外郭、正しくは、統合行政法人エムデシリ付属自衛高等ミサイル科学校の中学生でした」

「そして、あの時に宮古島市に君はいなかった、ということ、だな?」

「はい、祖母の葬儀で佐賀に戻っておりまして ……」


 その刹那、ミカ校専科の仲宗根先輩がチューターとして赴任なされた日の授業風景が思い浮かぶ。

 

 ☆


 「起立きりッ」 

 第三講義室に響いた朗らかな声は、日直の摘希つむぎの声。

 わたしたち全員が立ち上がり、気をつけをする。

 2限のシミュレーション演習だった。実習指導の仲宗根チューターが講義室に歩を進め、壇上に直立なされた。


 「敬礼れいっ」

 摘希つむぎの声に合わせ、皆、仲宗根チューターに室内の敬礼をした。

 

 講義室の窓のブラインドが降りると、ホワイトボードにMIKAロゴがプロジェクトされた。

 そして、画面上に光体が映し出される。

 本日の力学演習では、画面の発光体アンノウンをターゲットとした射出シミュレーションを行うと語られた、仲宗根チューター。

 切れ長の目に凛々しい顔つきの仲宗根先輩の御尊顔を、わたしはポーっと眺める。わずか数メートルの距離で拝むことができるようになった喜びを噛みしめながら ……

 

 ☆


 「あのね、お姉ちゃん」

 我に返ったわたしは、夢伴ゆめはん以来の姉妹設定に則りながら、穂香ほのか(大)に呼びかけた。


「わたし、仲宗根先輩がチューターとなられてから始めての講義の日を、今、思い出したんだけれど ……」

 穂香ほのか(大)が、戸惑った目で見返している。

 

 わたしも戸惑っている。脳内には、いまだに仲宗根先輩の凛々しいお顔が浮かんでいる。


 わたしがミカ校の中等科に入学した時、仲宗根先輩は高等科を卒業済で専科の2年生であらせられた。


 ミカ校の防衛省外郭とされるミカ校中等科・高等科の学生と、防衛省附属のミカ校専科の学生。両者は、単に防衛省との関係というだけでなく、本分が異なっていた。

 わたし達が通っていたミカ校中等科・高等科。学生の本分はあくまで勉学である。対して、専科の先輩方は、電磁加速砲レールガンとミサイルの射出に関する専門知識のための学業に加え、非常時には日米安全保障条約に基づいての離島防衛の任に就くことをも本分としていた。


 同じ伊良部島内ではあったけれども、ミカ校の中等科・高等科の校舎と、専科の校舎とは数キロメートルを隔てていた。同様に、それぞれの寄宿舎も。規律に従い日々を過ごす中等科・高等科の学生と、専科の学生とが顔を合わせる機会は数少ない。


 少なくとも、わたしがミカ校で過ごした5ヶ月ほどの間に、仲宗根先輩のお顔を直接に拝見することは敵わなかった。そして、仲宗根先輩は、ミカ校と共に、宮古島市の皆さんと共に、インシデントの日に消え去ってしまった……。


(あれ、わたし、なんで宮古島の事件インシデントを、今更に驚いているだろう?)……今の今まで、わたしは、宮古島が消滅するという事件そのものを全く思い返してこなかった。


 それが、今、突然に、わたしの脳裡全てを宮古島の事件インシデントが覆っている。事件インシデントと共に消え去ったはずの仲宗根先輩やクラスメートの記憶と共に。


「チューターとして講義をなさってた仲宗根先輩は何処いずこに?」

 穂香ほのか(大)の眼差しに向け、そう言ったわたしの頬を涙が伝っていく。


 そう、わたし達は、宮古島インシデントで宮古島市全域が消失した時に島外にいた数少ない残存者だった。二階堂先輩のご指摘通り、わたし達は宮古島インシデントの関係者インサイダーなのだ。


 7万人を超える人々が行方不明となった21世紀の大事件インシデント。原因究明のため、わたしは関係者インサイダーとして何度もヒアリングを受けた。ミカ校の在校生でただ一人の関係者インサイダー。エムデシリの担当官と話し合いの上、少なくとも成人となるまでの間、わたしはメディアには秘せられた。


 わたしを、母と親類の人々は「きっと、おばあちゃんがあなたを守ってくれたのよ」などと慰めてくれた。それらを聞いたわたしは、言いしれない罪の意識に囚われてしまった。


 その後、中1の秋から高校を出る年齢となるまでをエムデシリの、大分の九重くじゅう連山の麓の合宿所に住まわせてもらい過ごしたのだった。以来、わたし達は佐賀に一度も帰っていない。もちろん、父母も兄も大分まで何度も来てくれた。けれども、小学校の時の同級生にも近所の人にも、成人するまでは、なるべくわたしの現況は知られないようにするという、エムデシリとの合意を守るという立て付けで、佐賀に戻ることを断り続けた。


 宮古島市で起きたインシデントを受け止めてからのわたしに心の中では、宮古島市と同じく、故郷の佐賀市も消失ロストしているのだった。

 

 穂香ほのか(大)が、わたしの涙が止まるまで、頬にハンカチをあててくれていた。

 

「仲宗根先輩というのがどなたかは知らないが」

と、二階堂先輩がわたし達を見ながら、口を開いた。


「親しかった人々を、一時ひとときで失ったのだ。中学生だった君たちの心に少なからぬ傷が残ってしまうであろうことは、当然ありうることだと、理解する」


「せっかく君たちが相談に来てくれたのだ。凪沙野なぎさの君の体重の件の原因究明は後に回し、ここからはインシデントについての君たちの話を僕が聞くということでも良いかと思う」


 先輩はゆっくりと、そう促してくださった。

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