絵画的プールゲーム

@Pz5

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 壁に二枚の絵画が掛かっている。


 どちらも摩天楼の中にある部屋の調度品と合わせるように直線的で幾何学的なアールデコ調の紺地に金で縁取りされた額に納まっているが、その内容はまるで正反対であった。


 一つは画布カンヴァスに敢えて荒々しく、しかし滑らかな油彩で描かれた二人の美しい紳士が座って何事か会話する絵である。

 二人とも高い丸襟の上等なシャツを着てリラックスした姿勢でそれぞれのソファに腰掛けている。

 片方の紳士は着こなされた三つ揃いの片手に雑誌を持ち、室内であるにも拘らず山高帽ボウラーを被り杖を小脇に抱え、艶やかに組まれた脚の先にはなめらかな絹織りの長靴下ホーズとパンチドキャップトゥの良く造られた靴に包まれた脚が見える。

 他方の紳士は上着を脱ぎ、胴衣ベストも着けずに鮮やかな緑のストライプが入ったフレンチカフスのシャツを剥き出しにして、プールゲーム(ビリヤードの事)のキューを持ち雑誌を持つ紳士と視線を合わせている。

 二人の不釣り合いな姿と、それでも情を感じさせる様子からするに、金持ちの集うカントリークラブかどこかの姿なのかも知れない。


 もう一つは荒々しく硬い色紙に木炭と僅かばかりのオイルパステルで描かれた無骨な炭坑夫の採掘作業を描いた絵である。

 鶴嘴ツルハシを振う屈強な男は殆ど真っ黒な影として描かれ、掠れた黄色の紙の上で踊ってる。

 暗闇の炭鉱の中でさえ影の様に黒くなるまで汚れ、もはや何を着ているのかなど無意味になる程のボロを着た男は、それでもその鶴嘴を古い、次の岩を、その次の岩を、と16トンにも及ぶ鉱石を彫り、積み、運び、そしてまた掘る。

 その様が単純な構図であるにも拘らず見るものの内に立ち顕れるような絵である。

 それは、疑いようもなく、最も貧困な中で、己の体だけを誇りに岩盤と会社とに立ち向かう男の闘争の姿であった。


 この二つの絵の前に、紳士が二人、遠目に見ても上質な革張りのソファに腰掛け会話に興じている。

 まるで、一枚目の絵画のように。


「さて、君はこの二枚の絵をどう見るね?」


 最初の紳士が訊ねる。

 最初の紳士は、豪奢なアールデコに飾り立てられたこのクラブの中にあっては随分と緩いシャツにベルトを通したズボン姿に、一枚目の紳士同様、撞球のキューを持ちながら彼の友人らしい紳士に訊ねる。


「はて?『どう見る』とはどう云う事かね?」

 二人目の紳士が訊ね返す。

 こちらはキューこそ持っているものの、体の寸法に合わせた大きな検襟の着いたダブルブレステッドベスト姿に、糊で固めた高く白い丸襟にタイもしっかりと絞め、立ち上がると入念にプール台に張られた上等な羅紗の目を見始める。

 どうやら彼の手番に移ったところのようだ。


「僕等金持ちが集まるクラブにしては、随分な絵が飾ってあると思わないかい?」

 最初の紳士はソファ横のチェストの上にある銀の盆に置かれたスコッチのビンを手に取ると、その横にあるリキュールグラスに注ぎ、傍に燻らせてある太巻き葉巻を噴かした後、香りを愉しんでから一口呑む。

「まるで僕等が悪人のようじゃないか」

 スコッチの香りを鼻に抜かしながら、そう笑う。

 撞球台の上は彼に有利なように進んでいるらしい。


「『随分』とは随分な言いようじゃないか。僕等金持ちの実体を良く表しているよ」

 二人目の紳士はキューをあちこちに置きながら角度の計算を入念に行いながら言葉を続ける。

「僕等は慥かにこの豪奢な部屋を四隅で支えているアトラスと同じかも知れないが、そのアトラスの足元には驚く程の数のシーシュポスがいるのは、実際そうだしね」

 そう言うと、台の下側を見て、テクニカルブリッジ(注:指でキューを支えられない時に用いる道具)を取出す。


「そんな物を使うなんて、君も随分と臆病になったものだね」

 最初の紳士が目を細め、肩を竦めながら言う。

「君と違って、あらゆる事の拡張可能性を常に考えているだけさ」

 二番目の紳士が慎重にテクニカルブリッジを置きながら笑って返す。


「『拡張可能性』?それは面白いね」

 最初の紳士がもう一度葉巻を燻らせながら言う。

 重厚な香りの煙が彼の周囲に纏い付く。

「そう、そうすれば世界はいつだって面白くなるさ」

 二番目の紳士がもう一度ブリッジとキューの角度を確かめながら言う。


「なら、この二枚の絵も『拡張』してみないかい?」

 最初の紳士が煙を味わった後、スコッチを呑みながら提案する。

「『絵の拡張』だって?」

 二番目の紳士がキューのパッドにチョークを塗りながら訊き返す。


「そうさ。この二枚の絵に関して、僕と君、二人で来週のこの時間までに物語を考えるんだ。君は紳士達の、僕は炭坑夫のね」

 最初の紳士は再びスコッチの香りを鼻に抜かすと、ソファの上で大きく仰け反り提案を続ける。

「それで?どうするんだい?」

 二番目の紳士は再びブリッジを台上に置くと、キューを高い角度で置き滑り具合を確認する。


「その後、今度は交代して、君は僕の炭坑夫の話の続きを、僕は君の紳士達の話の続きを考えて、やっぱりその一週間後に話し合う。どう?面白そうだろう?」

 最初の紳士はそう言うと起き上がり、台の上を注視する。

「なるほど。それは面白そうだね」

 二番目の紳士は垂直に近くセットされたキューの殆どお尻を持つと、そのまま押して的球を打つ。


 押された的球はそのまま飛び上がり五番の球を飛び越えるが、台の羅紗に触れると同時に強いバックスピンによって五番球まで戻り、そのまま五番球を押込む。押された五番球は見かけよりも強く突き動かされると、その進行線上にあった七番球に浅く当たりそこで止まる。

 しかし、浅く当てられた七番球はそのままゆるゆると進み、その先に有った九番球に軽く半分程当たる。

 軽く当てられた九番球は最初緩く動くが、その動きはそのまま羅紗の摩擦に止められそうになるも、その摩擦力をやや上回り、徐々に加速しながら端にある穴に進み始める。


「な……」

 最初の紳士は有利を覆され驚く。

「いや、まだ……」

 二番目の紳士は不利を覆してなおその先を見る。


 九番球はそのまま穴に向かって進むも、穴の直前、僅かな羅紗の盛り上がりに阻まれる。

 二人の紳士がそれを注視する。


 九番球はそこで一度止まる。


 二人の紳士は依然注視する。

 最初の紳士はスコッチをもう一口呑み、二番目の紳士は打った姿勢のまま。


 九番球は再び動きだし、そのまま穴に落ちる。


ナインボールゲットアイヴゴット・ザ・ナインボール僕の勝ちだなアイ・ウォン

 二番目の紳士は片方の眉を釣り上げながら最初の紳士に振り返る。

「ムムゥ……」

 最初の紳士は片方の頬を釣り上げながら二番目の紳士に笑ってみせる。


「絵の話も、僕の方が面白いと思うよ、マーク?」

 二番目の紳士は勝った表情のまま告げる。

「さて、どうかな、マシュー?」

 最初の紳士は固まった唇はムリヤリ笑顔にしてみせて告げた。

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