第1話 ああ、女神様。

『話が早くて助かります』


「はい?」


 水溜りに飲み込まれた瞬間、視界が真っ白になった。

 反射的に堅く目を閉じてしまったのだが、次に聞こえてきたのは少しおっとりとした女性の声だ。

 ふんわりとした優しい響きに、促されるように目を開く。

 

 ……ああ、女神様。

 

 光溢れる世界に、女神としか形容しがたい美女が佇んでいた。

 見るものをホッとさせる慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、信仰心など持ち合わせてない私でも思わず跪きたくなる神々しさがある。

 

『ああ、いいのよ。そのままで』


 無意識に跪きそうになった私に、女神様は自身を『ミエリクトリ』と名乗り、手を差し伸べてきた。

 誘われるままに手を重ねると、背後に広がる花畑中央の白い東屋へと案内される。

 

 ……すごい。絵に描いたような異世界召喚導入部。

 

 謎の魔法陣、謎の空間、そこに佇む神様とくれば、異世界召喚モノの鉄板要素だ。

 あとはここで神様からチート能力や特別な贈り物を授けられ、異世界で無双するまでがお約束である。

 この場合、物理的に無双するか、金銭的に無双するか、異性関係で無双するかと分かれることもあるが、それらの全部を含めるモノも多い。

 

 ……私、何をやらされるんだろう?

 

 何を求められたとしても、最初が肝心だということはわかる。

 まずは絶対に家に帰れるという確約を得なければ。

 

『本当に、近年の日本人は話が早くて助かります』


 ……うん?

 

 変だ。

 私はまだほとんど何もしゃべっていないはずである。

 にも関わらず、目の前の女神は『日本人』『話が早い』と言って喜んでいる。

 ということは。

 

 ……考えが読まれている?

 

 もしかして私の思考が筒抜けになっているのだろうか。

 そう恐るおそる女神ミエリクトリの顔を見ると、女神ミエリクトリは綺麗な笑みを深めた。

 

『ごめんなさいね。人間あなたたちの思考はすごく単純シンプルだから、勝手に聞こえてしまうの』


 思考を聞かれたくないのなら、と女神の手解きを受けて少しの訓練を施される。

 訓練といっても、とても単純というか、心の持ちようのような物だった。

 常に『心を覗かれたら嫌だ』と意識しているだけでいいらしい。

 この『嫌だ』というシンプルな感情が、弁のような役割を果たしてくれるのだとかなんとか。

 

 ……慣れて心を開いちゃうとアウト、と。うん、覚えた。

 

 仕組みとしては単純だが、神相手に隠し事をする、というのは人間にはなかなか難しいらしい。

 私でも無意識に跪きそうになった女神様だ。

 神と人間の間には、どうしても越えられないものがある。

 

『……というわけで、異世界召喚です。貴女は『ミエリクトリ』と呼ばれる世界に、聖女として召喚されている途中、ミエリクトリの主神であるわたくし『ミエリクトリ』に横から攫われました』


 どうやら私が召喚される世界と女神の名前は同じらしい。

 そう確認してみたら、主神の名前だからこそ、世界の名前になったのだと教えてくれた。

 

「えっと、神様が直々に横槍を入れるというのは……」


『はい。召喚先にはいろいろと問題があるので、先にフォローをしておこうと思いまして』


「召喚自体をキャンセルしたいです」


 問題があると判っていて異世界に召喚などされたくはない。

 そう思ったままに答えると、女神ミエリクトリは困ったように小首を傾げた。

 話を最後まで聞いてほしい、と。

 

『まず、召喚先には『聖女』として呼ばれます』


「お約束ですね。お役目は、魔王討伐とか、浄化の旅だとか、為政者のお嫁さんとかですか?」


『その全部ですね』


「やっぱりお断りでお願いします」


 魔王討伐など、お断りだ。

 極普通の女子高生である私には、魔王どころか痴漢を倒す力すらない。

 浄化の旅も、浄化能力を女神が与えてくれるだけだとしても、旅自体が嫌だ。

 観光地を旅行するのと、魔王なんて存在がいる世界を旅するのとでは、わけが違う。

 そして為政者の嫁というのも、問題外なんてものではない。

 顔も知らない相手と結婚というところからして無理だが、そもそも異世界召喚なんてやる奴等はただの拉致犯はんざいしゃだ。

 伴侶だとは思えない。

 

「だいだい、なんでその異世界に縁もゆかりもない私が『聖女』として働かないといけないんですか」


『ええ、まさにその通りね』


 ……あれ?

 

 少し伸び伸びすぎる発言かと思うのだが、女神ミエリクトリはこれに同意してくれる。

 てっきり異世界召喚という名の未成年者拉致、誘拐からの強制労働、略奪婚を神の名の下に押し付けられるのかと思っていたのだが、この女神様は人間ひとの話をそれなりに聞いてくれるらしい。

 女神あいて人間こちらの言い分を聞いてくれるのなら、私ももう少し女神の話を聞くべきだろう。

 

『もともとは、一度きりの救済措置だったのよ』


 女神ミエリクトリに見守られた世界は、長く平和な時代が続いていた。

 ところが、やはりというのか人間が知恵を付け始めると争いが起こり、火種は膨らむ。

 そして大きな戦争になり、人間の心は荒れ、その心から魔物が生まれたらしい。

 魔物は人間じぶんたちの心から生まれたものだが、だからこそと言うのか、人間はこれに勝つことができなかった。

 人間たちは女神に祈り、女神は浄化の力を持たせた異世界の乙女を『聖女』として地上に遣わせる。

 聖女は浄化の力で地上から魔物を消し去り、世界は救われた。

 あとは人間たちがそれぞれの行いを反省し、争いを繰り返さぬようにするだけでよかったのだが……そこはやはり人間のすることだ。

 魔物の脅威はいつしか忘れ去られ、また地上に争いが溢れる。

 

 再び地上に魔物が現れることになったのだが、二度目は祈られても女神は力を貸さなかった。

 同じ過ちを犯した人間を、甘やかすべきではないと判断したのだ。

 祈れども、待てども答えぬ女神に、人間たちは争いを止めて互いに知恵を出し合った。

 そうしている間に、誰かが見つけ出してしまったのだ。

 最初に女神が『聖女』を遣わせた時に記した魔法陣を。

 

「……あ、なんだかもうオチが判った気がします」


『ええ、ご想像通りです。彼らは実に気軽にポイポイと聖女を召喚するようになりました』


 最初は女神に祈り、女神が遣わした聖なる乙女であった。

 が、次に現れたのは人間の都合で呼ばれた異世界の少女だ。

 呼び出したのが人間である以上、浄化の力を持っていようとも少女を聖なる乙女として敬い続けることは難しく、あっという間に人間たちは聖女を浄化の力を持った便利な道具と見るようになってしまった。

 今では使い捨てのできる、いくらでも代わりを召喚できるモノとすら思っているらしい。

 一番最近の使われ方は、求心力を失った為政者の人気取りとして花嫁にされたのだとか。

 

「ますますそんなところへ召喚なんてされたくありません」


『ですよね』


「え? 拒否権あったんですか?」


 あまりにもさらりと主張を受け入れられ、逆に驚いてしまう。

 しかし、思い返してみればこの女神は最初から「問題がある」「先にフォローを」と言っていたはずだ。

 この異世界召喚には、女神自体思う事があるのだろう。

 

『実際、お断りされ続けて貴女で九十九人目ね』


「女神様が正直に話して意思確認してくれたら、もう九十九人に聞いても拒否られると思います」


『私もそう思うわ』


 そうは思うのだが、それでもこれまで慈しんできた生命いのちでもあるのだ、と言って女神ミエリクトリは静かな微笑みを浮かべる。

 母として、子どもたちに最後の機会を与えたいのだ、と。

 

『私の目では、これまで慈しんできた子たちだもの。どうしても判断が甘くなってしまうの。そこで第三者である『聖女』に現場で判断をお願いしたいの』


「判断もなにも、もう心は決まっているんじゃないですか?」


 異世界ミエリクトリの人間に対して思う事があるからこそ、聖女召喚に横槍を入れて聖女を攫っているのだ。

 そして、すでに九十九人の聖女たちからお断りをされてもいる。

 

『そこなのよ。聖女を私欲で利用しているのは一部の為政者たちだけで、純粋に自分たちを救ってくれる聖女を慕っている民たちもいるの』


「つまり、異世界ミエリクトリは一部の為政者ばかのせいで主神から見捨てられそうになっているが、馬鹿じゃない民もいるから、いまいち踏ん切りがつかない、ってことですか?」


『そんな感じね』


 もちろんできる限りの便宜は図る、と言う女神ミエリクトリに、いくつかの条件を提示する。

 

 まず絶対に譲れないのは、元の世界への帰還の約束だ。

 これが認められないのなら、そもそも異世界召喚など受けられない。

 

 命の保障も当然のことだろう。

 本来異世界ミエリクトリなど、私には何の関係もない世界だ。

 

 そして絶対条件の最後として、私の判断がどうあれ、異世界ミエリクトリへ聖女として少女を送るのは今回で止めると約束してもらった。

 見極めるのは聖女の派遣うんぬんではなく、そもそも女神が手を伸ばして救う価値のある世界かどうか。

 まずここからだ。

 

 他にもいくつか細かなやり取りを交わし、女神ミエリクトリと約束を結ぶ。

 

 こうして私は最後の聖女として異世界ミエリクトリへと召喚されることになったのだ。

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