できそこないと呼ばれても
奏千歌
第1話 いなか町:シルバーノーム
だれも見ていないことを確認して、またため息をついた。
少しはなれた所にいるお父様は、自分よりも身分が低い人を相手に、ペコペコと頭を下げている。
貴族の伯爵であるお父様は、もともと平民相手に商売をしていたからあまり抵抗はないのかもしれないけど、子供の見ている前で何度もされるとみっともなく映る。
こんな田舎町に、本当に私を預けるつもりなのかな。
自分が立っている場所から、町を見渡す。
なにもない。
王が住んでいる華やかな首都に比べたら、何もない。建物よりも、畑の面積の方が広くて、人よりも家畜の方が多いのではないかな。
お店だって……
その規模におどろくしかない。
商店と思われるものは、通りに数軒が立ち並ぶだけのようで、数分で端から端へと歩けそうだ。それが、町の入り口であるここに立っているだけで、見渡すことができる。
シルバーノーム。それが、この町の名前だ。
町の周りには、広大な畑か林しかない。畑の緑か、建物の赤茶色しか目に付かない。余計な騒音はなく、耳をすませば子供の声か、家畜の鳴き声しかしない。
大昔は銀がとれた鉱山が近くにあって、そこには妖精もひそんでいたって言い伝えからそんな名前がついたそうだ。
だけど、今は違う意味合いをもつと聞いた。
“
意味はよくわからなかった。
聞いてもいないのに、その情報を勝手にしゃべり続けた人がいた。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた、ボサボサ頭の人が。
頭をふって、その人の姿を忘れる。
「では、娘のことをどうかよろしくお願いします」
お父様は話し終えたようで、男の人と一緒にこっちにやって来た。
「初めまして、ミア。俺はハーバート。この町で教師をしている。聞いている通り、君のことを一年、我が家で預かることになった。慣れない場所で不便だとは思うが、過ごしやすいように、お手伝いしていくつもりだ」
ハーバート先生と名乗った男性は、真っ黒い髪に綺麗な空色の瞳をしていた。
お父様より年下に見えて、聞いた通りなら、とても珍しい存在とされる魔法使いでもあるそうだ。
魔法使いって気難しいイメージだったけど、穏やかな印象を受ける。
でも、教師は信用できない。
「ミア、挨拶なさい」
私からは話しかけずにいると、お父様から促されたからそれに従う。
「ミア……バスパーです……」
ミアが名前で、バスパーが家の名前だ。
答えながら、無意識の緊張で表情は強張っていた。
教師は嫌い。
できないからと、私を責めてばかりだったから。自分の評価が下がることを気にして、私が怠けているせいだと、努力が足りないのだと、いつも叱られていた。
そんな思いも知らずに、私が名乗るのを確認して、お父様は帰る準備を始めている。
その背中に、声を出さずに訴えていた。
置いて行かないで。
教師の元になんか、置いて行かないで。
私のことを見捨てないで。
もっと頑張るから。
もっともっと、努力するから。
また、私が責められて、バカにされて、私の存在なんか、カケラもなくなってしまう。何を言われたって、家族のそばにいたから、頑張れたのに……
我慢できたのに……
「ミア。我々が町の中まで行くと迷惑になるから、ここでお別れだ。先生の言うことをよく聞いて、しっかり頑張るんだぞ」
私の願いは、お父様には届かなかった。
10歳の誕生日を迎えたばかりの私は、父に見捨てられたと、遠ざかっていく馬車を見送りながら、そう思っていた。
こんな所に一人残されて、上手くやっていけるはずがない。
平民と同じ学校になんか、通いたくない。
田舎町の子供と過ごしたって、今までの生活が全く違うのに、話が合うはずない。仲良くなれるはずがない。
きっとバカにされる。
読み書きができないことがバレたら、絶対に笑われる。
私が、何一つ覚えることが出来ないから、お父様はこんな所に置き去りにしたんだ。
私が、いまだに字が読めないから、いまだに書けないから……
私の存在が恥ずかしいから……
結局、あの学力テストができなかったから、いけないんだ。
勉強なんか、嫌いだった。
正確には、勉強ができない自分が嫌いだった。
貴族の子供は、12歳で入学する学園生活に向けて、家庭教師をつけてもらう。
私にも、7歳の頃から教師をつけてもらって、いっぱい、頑張るつもりだった。
最初は、色々なことを学んで、たくさんの知識を身につけて、お父様にほめてもらうんだって、そう考えていたのに。
怠けたつもりなんかなかった。言われた課題は、どれだけ時間がかかっても最後までやろうとした。
でも、最初の一問すら分からなかった。
私には、字が読めなかったから。 字が覚えられなかったから。
だから、字が書けなかった。
それが、何をしても上手くいかない原因で、結局こんな歳になっても自分の名前すら書けない。
『お嬢様は、何を教えてもダメだ。やる気がない』
『あなたが怠けるせいで、私の評価が悪くなるのですよ』
『何でこんな事もできないんだ』
『あなたのようなバカな生徒は今まで見たことがない』
『優秀な兄と違って、できそこない』
何人もの教師達の心ない言葉が、刃のように胸をえぐった。
何度も傷付けられた。
ノート一冊が埋め尽くされるまで練習しろと言われて、その通りにしても、ミミズが這いまわったような中身を見て、呆れたように責める視線を向けられた。
それをするのにどれだけ苦労したかは、分かってはもらえなかった。
殴られた方がマシだった。言葉でどれだけ傷つけられたかなんて、表面からは分からないのだから。
そんなことが積み重なって、どうせ何をやってもダメなんだと自分でも思うようになっていた。
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