夢の終わり

「え?」


 フリューゲルはその光景を丘の上から見ていた。後方の安全地帯で控えている筈のオーウィンが自分達と反対の左側、その遥か前方で戦闘を繰り広げている。


 獣のような荒々しい動きでモンスター達を屠り、即座に別のモンスターへと牙を向ける。モンスター達の総数を考えれば自殺行為としか思えない行動。


 今までは見えていたオーウィンの姿が、大群に飲み込まれるようにして消えた。


「あ、あ……」


 フリューゲルは甘く見ていた。オーウィンが持つ自身の夢への執着を。


 ギルドが定めた配置、戦いの流れを意図的に無視し、多大な功績を得る為にオーウィンは動いた。


『片足が満足に動かない状態で未だにモンスターと戦ってるんだよ?夢は諦めた、なんて口では言ってるけど実際は少しも諦めきれてない。そこそこの名誉と暮らしていくには十分なお金があってもね。そういう変人なの』


 フロイデのその言葉の意味を、フリューゲルは真の意味で理解していなかった。


「――はっ!やりやがったっ!」


 フリューゲルと共に行動していたマークが、痛快そうな声を上げた。オーウィンの行動をある程度は予期していたかのように。


「バカだよアイツ!あの大群に一人で突っ込むか普通!?」


「……マーク、貴方――」


「何かやらかそうとは思ってたけどなぁ。ははっ、一人で全部倒すつもりかよオーウィン」


 ベルが何かを問おうとするが、マークは呆れの混じった笑いを止めようとしない。


 マークを背に、ベルは呆然とするフリューゲルの方へと向いた。


「ごめんなさい、フリューゲルちゃん。……私達、オーウィンが今までどこに居たのか知ってた」


「……」


「オーウィンがこのクエストに参加しようとしてたって事はフリューゲルちゃんも気づいてたでしょ?オーウィンはフリューゲルちゃんに自分の居場所がバレたら無理にでも参加を止めに来る、そう思って私に口止めをしてたの。このクエストでは少し無茶をするからって」


 ベルの言葉はフリューゲルの耳に届いてはいた。だが、フリューゲルの意識はもう目の前のあの場所へと向かっている。


 ベルもはそれを承知した上で言葉を続ける。


「でもここまでやるとは思ってなかった。……だから、行って。ここは私達で何とかする。オーウィンが死ぬ前に――」


「行くんじゃねえ」


 ベルがフリューゲルの肩に手を乗せて背中を押そうとしたその瞬間、マークは背中の大剣を地面に突き立て、フリューゲルを睨んだ。


「この数日間で何度か戦ってるのを見せてもらったがなあ、お前は強すぎる。お前があの場所で戦いだしたら、後ろの連中は全員そっちを向くだろうぜ」


「……っ」


 オーウィンの訓練に付き合う日々の中で、マークはオーウィンが目指すモノを理解していた。


 そしてそれは、フリューゲルも同じ。


『俺はもう一度お前達と肩を並べたい。今回の緊急クエストで、過去の俺を取り戻す。その為に協力してほしい』


 協力者として……そして戦友として、マークはフリューゲルの前に立つ。


「アイツと肩を並べるとしたら俺だ。俺が行く。だからお前はここ、で……」


「えい」


「おがっ!?」


 マークの言葉は中断された。笑顔を浮かべながらゆっくりとマークへ近づいたベルが、その手に持っていた盾でマークの頭を殴り飛ばしたからだった。


「ベル、さん」


「自分の為に動きなさい。……彼が居なくなってしまう前に」


「…………!」


 意を決した表情でフリューゲルはその場から姿を消した。それを見届けたベルの髪が、風に揺れる。


「ベル……お前……」


「オーウィンが貴方で、私がフリューゲルちゃんなら?……私には、オーウィンはあそこで死ぬのを望んでるように見える。止める事なんて出来ない」


「アイツの夢はデカすぎんだよ……ならせめて、夢の中で死なせてやるのがダチの役目だって……お前も分かるだろ……」


「……あの子にとってのオーウィンも、大きくなりすぎたのよ」





 ☆




 分かっていた。


「……ぐっ!」


 この戦い方は、体力を大きく消耗する。


「ああっ!」


 常に全身の運動と研ぎ澄まされた感覚を求められ、休まる事は無い。


「……はっ……はっ」


 そしてここは死地だ。

 俺の周囲には数えるのが馬鹿馬鹿しい程のモンスターの死体が転がっている。


 何度も浴び、俺の物も混じった血の臭いにはもう慣れた。最初に使っていた剣は折れ、残るは一本。


 無謀だという事は、十分に分かっていた。


「クソっ……」


 死体に刺さった剣が抜けない。力を入れ、ようやく抜けたその瞬間、俺は巨大な翼が目の前に現れたのを見た。葉でも吹き飛ばすかのような仕草をしながら。


「……っ!」


 超常種。そう理解した瞬間、俺は凄まじい風によって吹き飛ばされた。


「……はっ」


 宙を舞う中、俺はやけに遅くなった視界の中で笑っていた。


 モンスター共は前線で好き勝手に暴れる俺が気に食わないのか、後ろの冒険者共には目もくれずに俺に押し寄せている。この浮遊が終わった後も、それは続くだろう。


 それで良い。お前達も、俺以外は見なくても。


「う……がっ……」


 木々の中に吹き飛ばされのか、枝葉で俺は揉まれていた。身体中に小さな傷がいくつも出来上がった後、俺は地面へと転げ落ちた。


「助か、った」


 受け身が取れる気がしなかった。木々の中に落ちていなければ危うかっただろう。


 手元にはまだ、寸前で引き抜いていた剣が握られていた。


「まだ、まだ」


 恐らく、この場所は平原の中で小さく孤立するように出来ている。枝葉の影響で日が届きにくい。

 嫌な場所だった。


「……っ」


 身体が動かない。マナを振り絞ろうとしても、手足が言う事を聞かない。視界がぼやける。

 違う。ここじゃない。終わってしまうのであれば、せめて日の届く場所で。


 そうやって足掻く俺の目に、そいつは映った。


「は」


 その巨体を通らせる為に、発達した腕で木々をなぎ倒し、鼻を鳴らして俺を探すその姿。


 胸や身体、至る所の毛が絡まり合うように固まり、鋼鉄の鎧のようにその身を護る。


 アーマードベア。その鋭い目が、俺を捉えた。


「気に食わなかったんだよ……お前が……」


 湧き出すマナのままに、剣を握る腕に力を込める。


「お前程度に逃げようとした俺も……」


 背中、腰、足。腕に続くように、全身に力が伝わっていく。


 アーマードベアは大きく吠え、俺に向かって走りだした。俺は持たれかかっていた背後の木を支えに使いながら立ち上がり、剣を構える。


 ――その時、俺の視界を光が埋めた。





 ☆




 一瞬の出来事だった。


 全てを覆い、塗り潰すような一瞬の光。見覚えのある……可視化する程に多量のマナが光を生み出し、風がその場に吹き荒れる。


 俺はその光に耐え切れず、思わず目を逸らした。


「……お前は、ここまで」


 何が起こったか。誰が何をしたのか。俺には分かっていた。


 再び正面を向いた時、そこにはアーマードベアの首と下半身だけが転がっていた。それ以外の全てが突然、消えてしまったかのように。


 俺は正面から歩を進めて来る剣を持った人影を見た瞬間、身体の力が抜けていくのを感じた。背後の木に背中を預け、その場に座り込む。


「オ、オっ、オーウィンさんっ」


 いつの間にか、フリューゲルは俺の目の前にまで来ていた。


 最後に目にした時より伸びた前髪が目にかかり、適当な着込んだような服装で、詰まりながら俺の名前を呼ぶ。俺は思わず笑った。


「戻ってるじゃないか」


「え、えへへ。こっ、こうなっちゃうんです。私だけだと」


「一人では、やっていけそうにないか」


「無理です。私は、一人では飛べません」


 剣を捨て、膝立ちになった状態でフリューゲルは俺の手首を掴んだ。


「戦わないでください。死なないでください。私ならちゃんと、代わりになれます」


 その言葉を聞いて、俺は悟った。

 あの祭りの日の別れ際、俺がフリューゲルに自分で立ち上がる事を言わなかった理由。


「強くなりました。……これでも足りませんか?」


 フリューゲルは本当に俺の夢を叶えてしまう。それも、俺が目指した理想そのままの形で。


 だから逃げた。衝動的に。フリューゲルの自立を考えたなんてのは後付けだ。このまま圧倒的なフリューゲルを見続ければ、俺はいつの日か本当に夢を諦めてしまうと。


 フリューゲルに全てを託すのが正しいと心底では理解しながら、俺は逃げた。だから言えなかった。


「十分だ。お前なら誰にだって讃えられる。……俺の目指した英雄そのものになれる」


「違います。貴方が私を英雄にするんです」


 俺の手首を掴む力が強くなる。前髪から覗く隈のある目が、俺を見ていた。


「あの日、言いそびれた事があります」


「何だ」


「私の子どもの頃からの夢の話です」


「お前の?」


「はい。――おっ、お嫁さんになる事です……」


「……それ、今言う事か?」


「オーウィンさんの夢と、交換です」


「……成程な。確かに俺が叶えてもらうだけじゃ不平等だ。俺で良いのか」


「未来を預けろって、言ってくれました」


「……良く覚えてるな」


「愛してます。ずっと、ずっと一緒に居てください」


 俺に言い聞かせるようにそう宣言し、俺の手を一際強く握った後、フリューゲルは俺の手を離し自らが落とした剣を拾った。


 フリューゲルが来た方向からは、モンスター達の鳴き声が響いている。


「終わらせてきますね」


「ああ。……もう逃げない、安心しろ」


「――オー君っ!」


 俺の名前を呼び、横の木々から飛び出して来たのはフロイデだった。


 息を切らし、いつもは余裕を浮かべている顔に汗を浮かべせて。


 フロイデは俺の表情と、モンスター達の元へ歩み出したフリューゲルを見た後、全てを悟ったようだった。


「もう、終わりって事?」


「ああ。俺の夢は、ここで終わりだ」


「……そっか」


「すまん」


「良いよ」


 小さく笑って、フロイデはフリューゲルに続いた。


「最適解、私には分からなかったな」


 それを最後に、二人は俺の前から姿を消した。俺では届かない場所に行く為に。


 俺は横に落ちていた自分の剣を見る。手を伸ばそうとして――止めた。






 ☆





 その後、フロイデとフリューゲルを中心に、その他の冒険者達手によって厄災は大きな被害を出すことなく終結した。


 だが変化はあった。一人の男は夢を諦め、代わりに一人の英雄が生まれる。


 意外な事に、クエスト後にフロイデ以上に讃えられる輝かしいフリューゲルの姿を、俺は目を逸らさずに焼き付ける事が出来た。


 ――直後にフリューゲルが改めて申し出た婚姻を、俺は承諾した。

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