夢をもう一度

「オー君」


「なんだ」


 フロイデが俺の肩を叩いた。くしゃくしゃで汚れた白い髪に隠れた目と指で、それを指し示している。


「あれ」


「……死ぬな。長くは持たないだろ」


「うん」


 廃材で作られた雨風すら防ぎきれない粗末な家。その屋根の下で、ゴミに囲まれながら寝そべる男が居た。


「……ぁ……」


 空を食べようとしているかのように、男は口の開け閉めを繰り返している。腹が減って死ぬ。貧民区ここでは特に珍しくも無い光景だ。

 だが俺は、ああいうヤツを見る度に腹から沸き上がるような何かを感じてしまう。


「俺は……ああはならない」


 フロイデの手を握る右手に力がこもる。


「何も出来ずに、何者にもなれない。生き方も死に方も選べない。……あんな風に、誰にも知られずに居なくなる」


 あの男が死んだ事を、俺達は何時までも覚えていないだろう。


 まず何時見たのかが曖昧になって、次に男か女かどうかも思い出せなくなって、最後には元から何も無かったかのように忘れる。


 それが、何も出来ずに死んだヤツが残せる物の全て。


「俺は違う」


 それがどうしても嫌で。


「俺を忘れさせない」


 何も残せない事が嫌でしょうがなかった。


「刻み込ませてやる」


 だから英雄それが夢になった。

 そう呟く俺の手で痛い程に握り締められているのに関わらず、フロイデは手を離そうともしなかった。


「じゃあ、私も付いてくね」





 ☆





「……」


 今、俺の目の前には敵が居る。人間よりも巨大な体と筋肉を持つ豚頭――オークだ。

 膂力、持久力、速度……どれも申し分無いモンスター。


「……っ!」


 一直線にそいつは俺に向かってきた。小細工もクソも無いただの拳を、俺は最小限の動きで右へ避ける。


「――ふっ」


 右に避け、オークの無防備な側面が視界に入った瞬間、俺は左足にマナを込めた。


 風足。視界が流れるように移り変わり、丁度オークの背面に辿り着いた時に右足で動きを止める。


 力は――抜けない。そのまま俺を見失ったオークの背に斬りかかる。


「っ!?」


 目の前から一瞬で消えた俺に対して、オークの動揺は少なかった。


 匂いか、音か、何らかで俺を察知し、後ろから接近する俺に裏拳を合わせようとしている。右足で風足を使い、緊急回避で対応する。


「――」


 力が抜けた。動きが止まり隙を晒した俺に容赦なく拳が接近する。


 だが、それは当たらない。


「っ、とっ」


 右足の力が抜けるのをそのままに、俺は全身の力までもを抜いた。


 脱力した状態で倒れ込む俺の頭上を拳が通過するのを見た後、倒れ込んだ勢いのままに両手を地面に付けて跳ねるように後ろへ回転する。相手と距離を取りつつ、立ち上がる事が出来た。


「……うーん」


 しかし、俺の手には剣が無い。手で地面を押す際に邪魔になり、離すしかなかった。


 他にも回転している時間は隙でしかない。裏拳が避けられた後、即座にオークが動けば一手遅れる。


「どうすれば……」


 俺はその場に座り込んだ。目の前にはもう


 オークと言ってもただの想像だ。俺が動きを決めて、それにどれだけ対応出来るかを試す実戦以下の訓練。


「足はもう良い。その上で考える」


 最初から右足が機能しなくなる事を前提にした戦い方。これ自体の構想は前からあった。


 しかし、そこからいくら考えても答えが出ない。動きの乱れで生じる隙をどうするのか。


 盾を持つのか、槍を持つのか、弓を持つのか。悩み、試し、それでも満足のいく戦いは出来なかった。


 そうして、いつしか俺は酒場で将来を悲観し酔い潰れ、不貞腐れるかのように考える事を止めた。


「もう迷わん」


 当時、金等級目前だと言われていた俺はをギルドに進言した。ギルドの要求に応える力が、当時の俺には無かった。


 ギルドは俺の言葉を受け入れた。俺は銅等級冒険者達の中に埋もれ、戦闘の感覚を忘れたくない……そして冒険者としての意地を保つという理由だけで低難易度のクエストを受け始めた。


 時が経ち、いつしか俺は夢を諦めたと口に出す程に腐っていた。その先で出会ったのがアイツで、夢を託すという口実で逃げようとした。


 そして結局、捨てる事も逃げる事も出来ずにここに居る。


「……これで良かったんだ」


「オーウィンさん」


 座り込む俺の後ろから、そいつの声が聞こえた。


「……怪我はもう良いのか」


 座ったまま振り返り、俺はその姿を捉える。

 いつ見ても整えられていた金の髪。それが今は乱れている。


 常に強者である自負と余裕を浮かべていた目と表情は、殺意とも取れる怒りに満ちている。


「フェリエラ」


 今俺が居るのはフェリエラが住む屋敷、その庭だ。

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