7日間のヒロイン
@hainekasuka
8/31
あれは、8月の終わりだなんてとても思えないほど暑い1日だった。
空は雲一つない快晴で、セミがまだ大きな鳴き声で近づいた死期を嘆いている、そんな夏の1日だった。
「ね、言ったでしょ。天気予報なんてあてにならないんだから」
彼女は誇らしそうに真っ白で細い腕を胸の前で組んでいた。
少しサイズの大きなノースリーブの白いワンピースが時々風に大きく揺らされて、彼女の真っ白な太もが見え隠れする。
僕は目のやり場に困る。
「そうですね…」
当たり障りのない相槌をすると僕はベンチに腰をかけてバスの時刻表に目を逸らした。
「適当な返事しないでよ…それから、敬語で話すの禁止って言ってるじゃん!」
彼女は頬を膨らませながら、体を屈ませて僕の目を睨みつけた。
僕はまた目のやり場に困る。
「う、ごめん。早瀬…さん」
「なるみでしょ?」
「…ごめん。なるみ」
「そうそう、それでいいの」
なるみは、うんうんとうなずきながらそう言うと僕の隣に座り汗ばんだ肌をくっ付けてきた。
「プール楽しみだね」
子供みたいに足をぱたぱたとさせて、とても浮かれているのが側から見ても分かる。
「うん。そうだね」
「ちゃんと泳げる?」
「お、泳げるよ」
「本当かなー?君、運動苦手そうだからなー」
なるみはからかうような笑顔を浮かべて僕の顔を覗き込んできた。
「プールだけは昔習ってたから…泳げるよ」
「え、そうなんだ。知らなかったー」
「そりゃ、僕達まだ出会ってから1週間も経ってないし…」
「あはは、そういえばそうだったね」
なるみは笑ったかと思えば、いきなりはっとして、少し深刻そうな顔をした。
「あ、あのさ。聞いておきたい事があるんだけど…」
「え、どうしたの?」
「……他の女の子とプール行ったこと…ある?」
「そんなの、ないけど…」
「…そっか」
「良かったぁ…」
なるみは小さな声でぼそっと言うと、また無邪気な笑顔に戻った。
6日前突如僕の前に現れた彼女は全てが完璧な女の子だった。
彼女の作るご飯はとても美味しくて、小柄で華奢で子供っぽいのに、ちゃんと女の子らしい体をしていて、笑顔がよく似合う。
まさに少年漫画のヒロインみたいな女の子だった。
「あっ!ねぇねぇ、問題です!」
なるみはいつも唐突に話題を作った。
僕のような人種への気遣いも完璧だった。
「え、なに?」
「今日のお昼ご飯はなんでしょうか」
そう言いながら彼女は自分の顔よりも大きな重箱のようなお弁当箱を鞄から取り出して、僕に自慢するように見せてきた。
「えー、分かんないよ…ハンバーグ?」
「ぶっぶー違います」
「サンドイッチ?」
「ぶー違いまーす」
「うーん、から揚げ?」
「違いまーす」
見当もつかない。
僕がそんな顔をしていると彼女はそれを察したみたいだった。
「じゃあヒントをあげます!君の好きな食べ物です」
「…クリームコロッケ?」
「正解でーす!」
「すごい…なんで知ってるの?」
「彼女なんだから当然でしょ。お昼楽しみにしててね」
「うん。ありがとう」
「そろそろバス来るかな?」
なるみは僕の左側に張り出されている時刻表を目を細めて覗き込んでいる。
どうやらなるみは目が悪いのかもしれない。
「えっと、市営プール行きは…11時33分発だから、もうすぐだよ」
「そっか…もうすぐだね」
僅かな沈黙に涼しい柔やかな風が吹き込んだ。
風に流されたなるみの黒い長髪がとても綺麗で思わず指で触れた。さらさらしていて良い匂いがする。
すると、なるみは僕の肩に頭を預けてどこかを見つめながら言った。
「ねぇ…明日はどこ行こっか」
「明日?まだ、今日も終わってないよ?」
「うん。そうなんだけどさ」
なるみは時々訳の分からない事を言った。
少し不安になるような事をたまに。
「明日も私の事好きでいてくれるかなって…急に不安になっちゃったんだ…」
「え、僕なんかした?」
「ううん。そう言うわけじゃないんだけどさ。好きでいてくれるかなって」
「そんなの…すきに決まってるじゃん」
「ほんとに?」
「うん。本当に」
「ずっと?」
「うん。ずっと…」
「そっか…なら、よかった」
どうも僕には女の子の考えてることが全然分からない。
なるみの方を見ると、少し赤面して唇を少し噛みながら僕を見つめていた。
目が合うともじもじとしながら言葉を続けた。
「じ、じつはさ…私泳げないから…もしかしたら嫌われちゃうかなーって思って…」
「え……そんな事で嫌いになるわけないじゃん」
完璧な彼女にもそういうところがあるというのがむしろ愛らしいと思うくらいだ。
「…そっか。はぁーよかった」
なるみは安心したのか、そのまま倒れ込み僕の太ももの上に頭を乗せた。
「夏もそろそろ終わっちゃうね」
「そうだね。もう9月になるもんね」
「私さ、9月になったらやりたい事があるんだ」
「なに?」
「まずは服を買いに行くんだ。それから、ご飯を食べて、夜になったら遠くまで散歩して、気持ちよくベットで眠るの」
「それ9月じゃなきゃダメなの?」
「うん。ダメなの」
「なんで?」
「ダメなものはダメなの」
「そ、そうなんだ…」
やっぱり僕には女の子の気持ちが分からない。
そんな話をしていると、遠くからバスがこちらに向かってくるのが見えた。
「あっ!バス来たね!」
なるみはそう言って勢いよく起き上がって、ベンチの下に置いた鞄を手に持って、さっそく乗り込む準備を始めた。
「はやくはやく!」
僕も立ち上がってなるみの後ろに並んでバスを待つ。
するとなるみが僕の方へ腕を伸ばしてきた。
「手つなご」
「え、う…うん。」
バスが目の前に到着すると僕達は1番後ろの席に座り込んだ。
幸いバスに人が誰も乗っていなかったので、それ程気恥ずかしさに襲われる事はなかった。
「早く着かないかな〜」
なるみは小さく鼻歌を歌いながら、何度もそう呟いていた。
*
「うわー、やっぱ外暑いねー」
市営プールのバス停に到着すると、なるみは真っ先にとび降りて、入り口まで向かった。僕も少し早足で彼女を追いかける。
「はやくはやくー」
入り口の前でぴょんぴょんと跳ねながらなるみは僕を待っている。本当に子供みたいだ。
「よーし。じゃあ入ろっか」
僕がやっと追いつくと彼女は僕の手を引いて中に入った。それからなるみは手早く受付を済ませると、館内の地図を僕に手渡してきた。
「じゃあ、着替えたらここに座って待っててね」
なるみは地図を指差しながらそう言うと、浮ついた足取りで女子更衣室へ向かった。
僕はそそくさと着替えを終えてなるみに言われた広場のベンチに座って彼女を待つ。
あまりにもなるみが来ないので、場所を間違えたのか心配になり何度も地図の場所と照らし合わせる。
どうやら女の人は準備に時間がかかるみたいだ。
「ごめん!お待たせー」
そう言ってなるみは僕の隣に座った。
彼女は言動に似合わずやっぱり大人っぽい綺麗な体をしている。
「水着…似合ってるかな?」
そう言いながらなるみは体を僕にくっ付けてくる。
さっきよりも感触が生々しくって鼓動が早くなった。
「う、うん。すごい綺麗…だよ」
「ほんとー?ちゃんと見てよー」
なるみは僕の頭をぐいっと持ち目線を胸元に持って行く。
「ほんとだよ…すごく綺麗…」
「よかったー!可愛いでしょ!この水着」
「う、うん」
なるみはなんだか少し無防備で心配になってしまう。
「じゃあ、先ご飯にしよっか!あっちで食べていいみたいだから、行こ!」
なるみはそういうと、立ち上がって僕の手を引いた。
「ご、ごめん。ちょっと待って…」
「ん?どうしたの?」
「今は…ちょっと歩けないかも……」
男の人はこういう時不便だなと恥ずかしくなった。
なるみは少し困惑していたが、しばらく考えると、はっとして言った。
「…もしかして、えっちな事考えちゃった?」
なるみはニヤニヤとしながら僕を見る。
「べ、別に…そんなんじゃない」
恥ずかしくなって目を逸らした。
なるみはやっぱりずるい。
*
「どう?美味しいかな?」
僕は口いっぱいに放り込んだクリームコロッケを飲み込んでから答えた。
「うん。今までで1番美味しいよ」
「ほんと?よかったぁ…」
なるみは胸を撫で下ろして安堵した。
「こんな美味しいクリームコロッケ食べた事ないよ。本当になるみは凄いよね」
「いやいや、全然だよー」
少し照れてるみたいで、手をぶんぶんと振りながらなるみは否定した。
謙虚なところも完璧だ。僕には不釣り合いなくらいに。
「そ、それよりさ。今日空いてて良かったねー。いっぱい泳げるよ!」
「うん、そうだね。意外に空いてたね。そういえば泳げるの?」
「見て!これ持ってきたの」
そう言ってなるみは、鞄から折り畳まれたビニールの物体を取り出した。
「なにそれ?」
「浮き輪だよ。これがあれば一緒に泳げるなーって思って」
「そっか…ふふっ」
「な、なんで笑うの!もう!」
なるみは頬を膨らませて分かりやすく怒った。
「ごめんごめん。ただ、その、すごく可愛くて…つい」
「……それなら、まぁ、いいよ……そのかわり、浮き輪は君が膨らましてよね!そしたら許してあげる」
「はいはい…」
彼女と過ごす時間は全てが幸せで、まるで作り物みたいだった。
*
「そろそろ一人で泳げそう?」
浮き輪をつけたなるみの手を引きながら僕は聞いてみた。
「う、うん。コツは掴めてきたかも」
「ほんと?じゃあ離すよ?」
「それはダメ!まだちょっと怖い…かも。それにさ…」
「それに?」
「……ううん。なんでもない。」
なるみはプイッと顔をそっぽに向けた。
「あっ…もうこんな時間」
「ほんとだ、もう5時になっちゃうね」
「……私ちょっとトイレ行ってくる」
「あ、うん。いってらっしゃい」
僕は彼女をプールから上げた。
「ありがとう」
なるみはそういうと浮き輪を僕に預けてトイレに向かった。
なるみには色々と貰ってばかりだから、僕は売店で
なるみの好きなココアと、ミルクティーを買って僕はプールサイドのベンチに座って彼女を待った。
そうだ。この1週間彼女に色々と貰いすぎたのだ。
これまでの人生全て投げ捨てても足りないくらいに幸せで、満たされる温かい時間だった。
これからもこの幸せがずっと続けばいいな。なんてふと思った。
*
「今日はありがとう。すごい楽しかった」
あれから僕達はヘトヘトになるまで泳いで、閉店まで遊んでいた。
空は既に日が沈み切っていて、夏の終わりを告げる夜の涼しさがあたりには漂っていた。
「私もだよ。すっごい楽しかった、ありがとうね」
「また行こうね」
僕は別れが惜しくってなんとか話を続けようとした。
「そういえば、なるみ明日はどこ行きたい?」
「んーそうだなぁ」
なるみは疲れたみたいで、少しぼーっとしながらゆっくりと考えていた。
「君とならどこでもいいよ」
「そっか。僕もだよ」
相変わらず僕は喋るのが下手くそだ。肝心な事が言えない。
そんなぎこちない時間をすごしていると、なるみは時計を見て少し寂しそうな顔をした。
「もう、帰らないとだね」
「うん…そうだね」
返事をしたはいいけれど、やっぱり体が動かないでいた。なるみはそれを察したみたいで、笑顔を作って言った。
「大丈夫だよ。また明日遊ぼうよ。ね?」
「うん…そうだね」
「だからさ…私の事ちゃんと憶えててね」
彼女はそういうと、少し背伸びをしながら僕の唇にキスをした。僕も自然に体が動いて彼女を抱きしめた。女の子は思っていた以上に柔らかくって、華奢だった。
「…また明日ね」
彼女は僕の耳もとで小さな声でそう呟いた。
「うん…また明日会おうね」
僕は彼女の背中が見えなくなるまで見送って、歩きはじめた。彼女には初めてを貰ってばっかりだ。それはきっとこれからもなんだろう。
*
それからなるみに会えることは無かった。
彼女はあの日の帰り道殺されたらしい。詳しくは僕もよく分からない。そう聞いた。
僕は彼女の事を今でもずっと思い出してしまう。
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