第8話 不幸中の奇跡
「似合ってるわよ~アクト! 明日アイシャちゃんにありがとうを言いに行かないとね」
「うん、アイシャにありがとって言う~!!」
「よしよし、偉いぞアクト! それじゃあ明日早起きできるように、今日はそろそろ歯を磨いて寝ようか」
ミリアがアクトを伴い寝室を出たその時、外からトールのどなり声と金属がぶつかり合うような鋭い音が聞こえてくる。
「――アクト! いいわね、ここでジッとしてるのよ……!」
ミリアはアクトに寝室に残るよう言いつけ、急いで玄関の方へと駆け出す。
テーブルや椅子に脚をぶつけながら一直線にドアへと向かい、手を伸ばした矢先――バタンという音と共に血だらけのトールが倒れ込むように入ってきた。
ミリアは驚愕しながらも自身を奮い立たせ、夫に駆け寄り支えながら、すぐに扉を閉めて鍵をかける。
その直後、ドアを激しく叩く音が室内に鳴り響き、ドアノブの周囲がバキンという音を立てながら破壊されてしまう。咄嗟にミリアは背中を押し付けるようにしてドアを押さえこんだ。
「ミ、ミリア……盗賊だ。盗賊が3人来やがった……! 俺が何とかするから、君は扉から離れてくれ!」
「そんな状態で戦えるわけないじゃない……! アクトを連れて逃げて!」
外からはミリアの決死の行動をあざ笑うような盗賊たちの下卑た笑い声が聞こえてくる。わずかな猶予もない緊迫した状況の中、ただならぬ雰囲気を感じて寝室から恐る恐る顔を出すアクト。
「ダメ!こっちに来ちゃ駄目よアクト!!!」
椅子にもたれ掛かる血だらけのトールと玄関のドアを背中で必死に押さえるミリア。外にいる男たちが雄たけびのような声を上げると同時にドアが勢いよく開け放たれ、ミリアは衝撃で部屋の中ほどまで吹き飛ばされてしまう。
ドカドカと押し入って来る筋骨隆々の髭面の男たち――薄汚れた粗末な防具を身に着け、手には刃こぼれした曲刀を持っている。
目をぐるりと動かしながら家の中を眺めた後、大きな舌打ちをして黄ばんだ歯をむき出しにしながら口を開いた。
「おいおい、何だ何だ! 家の見た目からして怪しいとは思ってたが、どう見ても“スカ”じゃねえか! おい!元貴族の家だって言ってたよなあ? こいつは一体どういう事だ!?」
「オイラに言われても困りますよ! この辺鄙の村に元貴族が住んでるらしいって情報を伝えただけじゃねえですか!」
「チッ、まあいい。とりあえず全員殺してから物色だ! 腐っても元貴族なら、物置を漁りゃあ少しはマトモなもんがあるだろ。おい、お前らさっさと殺――」
「うぉおおおおお!!!」
一瞬の隙を突いてトールが盗賊の頭と思われる大男に向かって突進し、その首筋に向かって鉈を叩き込む。
ガキュィィイイン!!!
「――っと、こいつは驚いた。まだ向かってくる気力が残ってやがったとはな! だが所詮は素人……王国騎士を殺したことがあるこの俺様に、いきなり首狙いなんざ無理に決まってるだろうが!!」
ドゴッという鈍い音と共に腹部に前蹴りが炸裂し、たまらず床に突っ伏して嘔吐しながら悶絶するトール。盗賊の頭は下卑た笑みを浮かべながらトールにとどめを刺そうと曲刀を振り上げる。
「――に゛、にげろ゛アグ……ト!!」
「嫌ぁあああ!!!お願いやめてえええええ!!!!」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
そこからのアクトの記憶は断片的にしか残っていない。
ただ、僅かに残ったその記憶は幼い脳内に
飛び交う怒号と振り下ろされる刃
斜めに裂ける父の顔とほとばしる鮮血
赤く染まる視界、顔や口の中に感じる生暖かい感触
立ち上がることもできずに腰を抜かしていたアクトの顔に飛び散った“それ”が、顔にへばり付いてから形を崩してボトボトと手のひらにこぼれ落ちていく。
アクトは一瞬白い光の帯のようなものを見た気がしたが、口内と鼻腔を突き抜けるニオイに頭の中がぐわんと揺さぶられるような感覚がした直後――目の前が真っ暗になってしまった。
「あ……ああ……嘘よ。こんなの夢に決まってる――」
目の前の現実を受け入れられないミリアは、うわ言のようにブツブツと呟きながら放心しかけていたが、アクトを守らねばという一心でかろうじて意識を繋ぎとめる。
腰が抜けて立てない脚を引きずりながら何とかアクトの元へと近づき、父の血にまみれた息子の体をかたく抱きしめた。
「――おいおい、この女よく見りゃ中々いい身体してるじゃねえか。顔も悪くねえ……ちょうど旦那もいなくなった事だし、これからは俺らに尽くしてもらうってのもいいかもなあ!」
「へっへっへ、そいつはいい考えだ!」
顔を見合わせながら下品で醜悪な笑みを浮かべる3人の盗賊たち。しかし、この時のミリアにとっては、自身に待ち受けるであろう死より辛い未来の事などどうでも良い出来事になっていた。
何故なら目の前で信じられない現象が起きていたからである。
「アクト!……あなた痣が――」
割合でいえばアクトは既に体の7割以上が呪いの痣に覆われていた。しかし今まさにその痣がミリアの目の前でみるみるうちに引いていったのである。
今まで呪いを押さえようとあらゆる方法を試してきたが、いずれも効果はなかった。にも関わらず今こうして痣が引いているという事実に、ミリアの思考はその原因を特定しようとフル回転する。
「一体どういうこと? 血を飲み込んでしまったのが影響したの?
いいえ、アクトはこれまで色んな生き物の血を飲んできたけれど全く効果はなかった……今までと違う点があるとすれば、それは――」
「おーい!気でも触れたか?何ブツブツ言ってやがる! 大事に抱えてるそのガキともそろそろお別れだ。お前らさっさと女を縛れ!!」
「了~解! チャチャっと縛って~、子供は殺して~、それから逃げられねえように足の腱を切っておかないとなあ。へっへっへ」
盗賊の薄汚い腕がミリアに伸びてきたその時――
「うごっ!?……ぐっ!」
盗賊の頭の後頭部から眉間を貫くようにして一本の弓が突き刺さる。
短い断末魔の声を上げた大男は、そのまま白目を向いたままバタンと倒れてしまった。
「お、お頭!?――畜生、警備隊が来やがった! しかも相当な手練れだぞ!」
「動くな盗賊ども!! よくもトールさんをやってくれたな!」
一瞬の隙を突いてなだれ込んで来た村の警備隊の男たちは、うろたえる盗賊の手下二人をあっという間に切り伏せて制圧することに成功した。
油断なく盗賊たちの脈を確認し終えた彼らだったが、その顔にいつもの笑顔が戻ることはなかった。
トールの亡骸に上着をそっと被せ、ぐったりと意識を失った我が子を抱き締めながらうわ言のように何かを呟くミリアに頭を下げて謝罪の言葉を口にする。
「ミリアさん……本当に申し訳ない……もっと早く異変に気付いて駆けつけていたらこんなことには――」
「大丈夫、大丈夫よアクト……あなたは助かるわ。だって、見つけたんだもの……! これからは私が“お薬”を取ってきてあげるからね」
警備隊の男たちの言葉が聞こえていないのか、ミリアは天井を見上げながらボソボソと言葉を掛け続けている。
――弱々しいその声とは裏腹に、ミリアの瞳には強い決意と覚悟の光が怪しく宿っていた。
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