ヒト科ホモサピエンス
ちキ
第1話
せんせ!おはようございます。
今日も元気いっぱいの幼稚園生がバスに乗ってやって来る。
幼稚園生と言うものは元気いっぱいで、外に出てスポーツする子や室内で食べきれない給食とにらめっこしている子もいる。
まさに個性むき出しとも言えるだろう。
小学生に上がると、これがまた面白いことに個性と個性のぶつけ合いみたいになる。
それも各々自分が正しいと思い込んでいるようで、些細なことでケンカして殴り合いになったり、気に入らないからという理由で人のものを隠したりする子もいる。
なにが正しいのだろうか。
私は粘土で親子参観に展示するツボを作っている幼稚園生を見ている。その光景はとても美しかった。美しいものは美しく映画にでもして保存して欲しいくらいに、私はその様子に魅入られる。
ただ、なんの濁りもない。ペロッと少し舌を出し、目を大きく見開いて歪ながらも徐々に作り上げられていくツボ。
これをなんの説明もなく、初めて見る人はきっと下手なツボだ。と思いツボの前を通り過ぎるだろう。
しかし、その製作過程を見てきた人はどうだろう。
きっと下手だと言う事よりも一生懸命つくったという点が勝ってそこを評価する。私はそうする。
もし、このツボが美術館に展示されていたらどうだろう。きっとこのツボの前で色んな人が足を止め、様々な考察をして、悩みながら自分の中で都合のいいように解釈して去っていくだろう。
やはりそう思うと場所の雰囲気や製作者を知ってるか知らないかで評価は変わるものなのかもしれない。
せんせぃ。今度の親子さんかん、とうさんとかぁさん来れないんだって。
少年は自分の作りあげたツボをさびしそうに両手で抱えていた。
この子が本当は何を伝えたいのか、何を言ってあげたら安心してくれるのか。
少し冷たいかもしれないが、それは本人にしか分からない。
なぜなら簡単なこと。私はこの子じゃないから。
産まれてきた年、産まれてきた両親、さらには家庭環境も。
一人一人全部ちがう。だから一人一人性格も違う。
十人十色という四字熟語があるように。
だが、時代によって考え方が変わってくる。
本当は進化と言いたい所だが、インターネットの普及などによりなのか、何年か前まで中学生で、よく他の中学にタイマン張りに行っていた近所の不良少年は今では家の中に引きこもってオンラインゲームをしている。
ただ、年齢が成長してそういう事はしなくなっただけかもしれないが、目に見えない個人情報を流布されるかも、という怖さに知らず知らず支配されているのかもしれない。
ただ、これは私が寂しいという感情に何か結びつけて安心したいだけ。きっとそうだ。
「そうなんだね、一生懸命つくったのにお母さんたちに見せれなくて残念だね」
少年はちいさい頭をコクリとさせて、とぼとぼ一人だけで廊下に展示する場所を探しに行く。
私は少年の表情や手の動きからその子の気持ちを読み取って、きっとこんな感じだと思ったことをそのまま言語化してキャッチアンドリリースするしかない。
もし、少年が求めていたことばではなかったらどうなってただろう。
きっと少年は歯を食いしばり悔しさを胸に閉じ込めて次にどう対処すべきかを身につける。
きっと私は後悔する。そして寝る。
もし、少年が求めていたことばだったらどうなっていただろう。
きっと少年は歪ながらも微笑み自分の経験として感情の居場所を見つける。
きっと私は後悔する。そして寝る。
たとてそれがいい事だったとしても、私は後悔する。もっといい事が言えたはずだと。
過去に囚われているのはわかっている。けど、体験してしまったら、それはもう自分の一部になってしまっている。
学生の時一度だけ過去も未来も考えたくなくて学校も行かなくて友人関係もなくて勉強もしなくて、全部切ったことがある。
そしたら今はないってことがわかった。今とはもう過去で未来だった。
作品の置き場所を決めた少年が教室へ戻ってくる。横目で私の方を見た少年は静かに自分の席に戻っていった。
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