第7章ー1



【 7 】




 春は過ぎ、夏が近づいてきた。


 すべての経験は過去のものへと変わっていく。いちいち立ちどまってけんしょうするひまなどないくらいお客さんは来るし、相談も多様だった。だから、カンナ言うところの『なんとかのなんたら事件』も増えていった。『まんじいさん逆ギレ事件』、『とうい猫の集団脱走事件』、『老後のたくわふんしつ事件』等々だ。まあ、それらは比較的簡単に解決できたけど、『ぞうじくすり替え事件』というのは警察にまで発展した。


 それはこういう『事件』だった。西池袋で居酒屋をやってる男(その会社ではせんでもある)が父親(同じく社長だ)の掛け軸を金にえようと持ち出したのだ。しかも、バレないように似たような物を同量用意してすり替えるということまでやっていた。


 当初、蓮實淳は父親から「どうしようもない息子をなんとかできないものか」というあいまいな相談を持ちかけられていた。実際にもその息子――しぎぬまとおるといった――は見るからに「どうしようもない」感じだったし、何回か会ってる間にもその印象は変わらなかった。そして、『秘蔵の掛け軸すり替え事件』がバレるにいたったのだけど、そのとき彼はこう進言した。


「もうこれまでのようにしていては駄目だと思いますよ。あなたはなんだかんだ言われても息子さんをできあいしてるんです。いえ、幼い頃に母親をくしてる徹さんにも言い分はあるんでしょう。しかし、彼はもう三十過ぎだ、本気で立ち直らせたいと考えておられるなら、警察に相談するんですね」


 ただ、これは実に馬鹿げたことになった。父親秘蔵の掛け軸より息子の用意した物が高額だったのだ。徹をそそのかしたぶつしょうしょうげんによってそれが明らかになると警察は手を引き、けっきょくげんじゅう注意だけで終わりとなった。


 そういう『事件』を解決(というかなんというか)するたび蓮實淳はこう思う。――っていうか、これって占い師の仕事じゃないだろ。しかし、カンナのにんしきは違ってるようだった。らいがあればなんでもこなす。それこそがなんでもお見通しの蓮實先生の持ち味、とだ。





 まあ、このようにして春は過ぎていった。ごくたまに彼は自らの〈能力〉に限界を感じたけど、相談者はそんなのを待ってくれない。見えた映像をなんとかつなぎあわせ、指先を向けまくっていた。


「あなたは心苦しく思ってますね。その感情はお父様へたいしてのものだ。あやまりたいとどこかで思っておられるんでしょう。それは子供の頃からの思いだが、行き違いがあって関係はさらにこじれてしまった。ただ、お父様は入院されましたね? 今こそ素直になるべきではないでしょうか。それに、今しかできないかもしれませんよ。――違いますか?」


 相談者(見てるだけで心配になるくらいせ細った女だった)の瞳からは涙があふれる。


「はい。ほんとうにその通りだと。ありがとうございます。そう言われて気持ちが整理できました」


 いっちょうがりというわけだ。立ち聞きしてるカンナの頭ではレジスターの音が鳴りひびく。ガチャン、チーン!


 彼らの仕事には常におんさがつきまとっていた。まあ、学生からは「私は誰それ君が好きだけど、彼は誰それさんが好きみたいで困っちゃう」といった相談が多かったものの、それにだって不穏さは色濃くふくまれてるものなのだ。


 あるとき、床をきながらカンナはこう言ってきた。


「それにしたって、いろんな問題があるものよね。それをまたいろんな人がかかえ込んでるものだわ。まあ、私にだってないわけじゃないけど、人に相談したいとまでは思わないわ。そういう意味じゃ、私って幸せなのかな」


 蓮實淳はバステト神像を横にさせ、組み体操ばりに上へ重ねようとしていた。ガラス戸の外は街灯に照らされ、にぶく光っている。


「ま、それは俺も同じだな。こんな商売してるけど、誰かに相談しようとは思わない。きっと俺も幸せ者なんだろう」


 そりゃそうでしょうよ。でなきゃ、そんなアホっぽいことしてないでしょうから。カンナは唇をすぼめた。――あ、でも、お家になにかあったって言ってたな。あんときはさみしそうにしてたけど、なにがあったんだろ?


「ねえ、あなたのお家ってどんなだったの?」


 ちり取りを使いながら、カンナはそう訊いてみた。


「は?」


「ほら、ひるさんとこで言ってたじゃない。バラバラになったとか」


「ああ、言ったかもな。でも、たいしたことじゃないんだよ。それに、もう終わったことだしな」


「終わったこと? 家族の問題って終わらないものじゃない? 私だってそう思ってるのよ」


 彼は視線をただよわせてる。ただ、すぐそんげな顔つきになった。


「まあ、そうだろうけど、どこかで終わりにしなきゃならない場合もあるんだよ。過去に引っ張られすぎると前進する気力が鈍る。ここに来てる人たちだって、ほんとはそう思ってるはずなんだ。ある意味では過去を断ち切りたいって思ってるから相談しに来てんだろ」


「そうなのかなぁ」


 ちらちらとうかがいながらカンナはゴミ箱にほこりを落とした。彼の表情は変化なしだ。


「そうだって。ほら、俺も君も家から離れたわけだろ? 理由は違くても、そうやってこれ以上自らがそこなわれないようにしたんだ。遠のくことで自分を守ったんだよ。俺たちは明日も生きていかなきゃならない。家族の問題なんかに足を取られてる場合じゃないんだ」


「ま、それは当たってるけど」


「だろ? 君の過去を見たとき思ったんだ。俺たちには似たとこがあるってね。同じにおいがするんだよ。不穏さから逃れようとしたこと、――ま、完全には逃れられないかもしれないけど、すくなくとも逃げようとしたのは似てる。そうは思わないか?」


 同じ匂いがする? いやだ、変なこと言わないで。カンナはガラス戸の外を見た。顔を見られたくなかったのだ。――でも、確かにそうなのかもしれない。私たちは不穏さから逃げてきたんだ。そして、ここでめぐり合った。これって運命みたいなものなのかも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る