第4章-3


 夕方になると店は混みはじめる。その時間は主に大学生が来て、お茶を飲みながらしゃべったりしてる。占うのは一人だけの場合が多い。


「この前言ってた彼からラインがきたね。――うん、内容も悪くなかったようだ。君は服を買いに行った。デートの予感ってとこかな? でも、そう考えるのはいいと思うよ。望みさえしてれば良い方向に進むこともあるだろう」


「彼って、ほんとに彼女いないと思います?」


「悪いけどそれはわからない。本人を見ないとわからないんだ。ただ、君はこの前よりずっと良くなった。表情も明るくなったしね。いい方向に進んでるしょうだよ。そうしてれば結果はついてくる。そう思うよ」


 この場合、蓮實淳は相談者が服を(それと勝負下着らしきものも)買いに行ったこと、スマホを日に何度もチェックし、送られてきた内容に喜んだことくらいしか見ていない。ただ、表情からは思い悩みより希望が見てとれた。だから、それを伝えたに過ぎない。


「うん、なんとなくだけど良い方に進んでる気がしてきた。先生、ありがとう!」


 薄くほほみつつ蓮實淳は指先を向けた。そう、どんなにこんきょとぼしくても自信を持つのはいいことだ。それに、そうしてさえいれば、いつかは彼氏くらいつくれるものだしね。



 いそがしく過ごす一週間はあっという間に終わる。次の金曜、二人は店をはやいして、あとをつけることにした。蓮實淳はいつものスーツにステンカラーコートを着込み、黒いカシミアのマフラーを首にかけている(すべてカンナの見立てだ)。カンナは『close』の札(ふだ)に手書きのおびをりつけると「のぞいたりしないでよ」と言い、階段を上がっていった。


 前振りのつもりか? などと思いながら蓮實淳はてんじょうを見上げた。外からは風の音がする。れた葉がこすれてるのもわかった。そろそろと降りる足音に振り向くと、脚のラインがよくわかるスカートをはいたカンナがあらわれた。ジャケットもぴったり合っていて、さいくちべにくらいしか入りそうにないバッグを持っていた。


「千春ちゃんから借りたの。どう?」


「ん? ――ああ、」


 目の前に立ち、カンナは顔をあげた。彼は首を引いている。


「サイズ、同じなんだな。ま、胸の分だけ足りてないけど」


「なによそれ」


 カンナはほほふくらませた。でも、気を取り直し、ガラス戸をあけた。この男にそんなのを期待する方がおかしいのだ。


「行きましょ。これなら仕事帰りに見えるでしょ」


「確かにな」



 二人はじんわきみちを下り、明治通りに出た。カンナは気づいてないけど、そこここに猫がいる。蓮實淳は行き会うたびに目を配り、うなずいていた。時間はそろそろ六時。もう少し駅に近づくと、よくもまあこんなにというくらい人であふれかえっている。ただ、彼らのまわりはそれほどでもなかった。池袋ははんがいがぎゅっとあっしゅくされたようにかたまっていて、すこし歩くだけでたんに静かになる。ぞうなんてせいひつといってもいいくらいなのだ。二人が立ちどまったのは、ちょうどその中間辺りだった。


「ここで待とう。――そうだな、会社帰りに飲みに行く。俺たちはここで仲間が来るのを待ってる。そういう感じにしてるんだ」


「オッケー」


 カンナはコートの前を押さえてる。風が吹くと頬が痛くなるくらい寒かった。車はひっきりなしに通る。二人はたまに会社の入り口へ目を向けた。出てくる者はいるけど、目標人物はあらわれない。


「あれ? あそこにいるのってペロ吉じゃない?」


「ん?」


 蓮實淳はいま気づいたとばかりに首を曲げた。


「ああ、そうかもな」


「なにしてんのかしら、あの子」


「さあね。なにか待ってるんじゃないか?」


「待つ? 猫がなにを待つっていうの?」


 蓮實淳はコートを引っ張った。目指す人物があらわれたのだ。大和田義雄はそっと左右を見て、歩きだした。いかにもな中年サラリーマンといった感じだ。彼らはきょをあけてあとを追った。



 通り過ぎる人は楽しそうにしゃべってる。二人はそれをうように歩いた。集中しなくてはならないもののられる怖れもある。気をぎつつ、同時にしんを失わないようにするのがこうようていなのかもしれない――などと蓮實淳は考えていた。ただ、思考はたびたび中断させられた。カンナが話しかけてくるからだ。


「ね、さっきはあんな感じだったけど、ちゃんと訊いていい?」


「さっきって、いつのことだよ」


「ほら、私がこれ着て降りてきたとき」


 自転車が通りかかった。大和田義雄はわきによけ、立ちどまっている。


「で、それがどうした?」


「私って、こういう服も似合ってる?」


 カンナはじっと見つめてきた。目標人物との間には四、五人ほどいる。調ちょうを合わせるのも一苦労だ。


「あのな、自分がしてること考えろよ。こういうときに訊くようなことか?」


「でも、だまってるのも変でしょ。まわりの人だって普通にしゃべってるし。――で、どう? 似合ってる?」


「うーん、似合ってはいるけど、」


「けど、なに?」


「ん、普段のアグレッシブなのにれちまったからかな、俺はいつもの方が好きだ」


 そう言いつつも彼は目を細めた。もう少し行くと信号にぶつかる。このまま進んでも問題ないか? そう考えてる横でカンナはニヤニヤしてる。そういうのが自然に見えたのだろう、立ちどまってる間も顔を向けられることはなかった。


 信号が変わった。


 ジュンク堂のまわりは人が多い。しかし、大和田義雄は足を早めた。サンシャインの方に行くのか? そう思っていると突然右に折れた。そこには飲食店がなんけんならんでる。その前を抜け、比較的広い通りへ出た。


「いいかげん笑うのはよせよ。ほら、こんなに人が減った。目立つことはよすんだ」


 通りには人がまばらだった。蓮實淳はかんかくをあけた。はなれたものの背中はちゃんと見える。――ん? 彼は目を細めた。道の先、つじくるぶしまでかくれるようなロングコートの女がいる。


「なに? どうしたの?」


「しっ、声が大きいぞ。――じっとは見るなよ。ほら、あのコートの女だ」


「え? あの人?」


「そうだ。動きがおかしい」


「どこがよ。ま、格好は変だけど、それ以外は普通に見えるわ」


「まわりと比べるんだ。あの動きは周囲にそぐわない」


 女は公園の脇を歩き出した。足許はすこしふらついてるようだ。


「うん、そう言われるとそう見えちゃうわ。なんか変な感じ」


「だろ? 通常、人がするこうには思えない。――カンナ、一度あの女を抜かすぞ」


「え? そんなことしていいの?」


 彼はおおまたに歩き出した。大和田義雄は角を折れたところで周囲をうかがってる。


「って、もうやめちゃうの?」


「いや、あの角に入ったら止まる。ほれ、あのホテルに入るつもりなんだ。それを後から見るんだ」


 辺りを確認した上で男はホテルに入った。コートの女も何分か遅れでつづく。蓮實淳は深いところから息をき、額に指を添えた。


「ねえ、今のってほんとに指輪を探してた人?」


「たぶんな」


 のぞきこもうとしてるカンナを引っ張り、彼はきらめくネオンサインを見つめた。


「たぶんなの? じゃあ、これからどうするのよ」


「待つんだ。出てきたら今度は女のあとをつける。あずまどおりのアパートに住んでるはずだが、それを確かめるんだ。で、うちにあるファイルと照らし合わせる」


「ああ、なるほど。前に書いてもらったのと一緒か見るってことね」


「そういうことだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る