失踪する猫

佐藤清春

第1章-1



 四月十七日

 午後十一時三十八分


 雨の明治通り



「いいかげんいちまいな。

 あたしゃ、あんたを知ってるんだ」


「……」



「そう、その目だよ。

 あたしは

 あの頃から

 あやしいと思ってたんだ」


「……」



「なんかお言いよ!

 あの子たちは

 あたしの命だったんだ。

 返しておくれよ。

 ほら、返せってんだよ」



 ドンッ。


 ガタガタガタガタ・・・・・・


「うっ」




「ふんっ」


「……」






 【 1 】




 都電のじん駅からほど近く、じゅれいの古そうなけやきがつづくさんどうの並びにいっけんの怪しげな店がある。よく見ないと通り過ぎてしまうほど目立たぬとうせいかんばんには『占い・各種ご相談事』、その下に、これまた小さく『はすじゅん


 太い樹がさしかける影に文字は同化して見にくく、まるであまり重要性はないと伝えるために置いてあるようだった。入口は広く、古ぼけて建てつけの悪いガラス戸が四つ並んでる。それが参道と店を仕切る唯一のもので、すきから冷たい風がれ入っていた。


「なあ、のぼりでも立ててみようか。ここにゃってないけど、オーダーメイドもできるって書いてある。『占い』とか書いときゃいいんだろ?」


 そう言った男――つまりは彼が蓮實淳なのだけど――は年代物の大きなデスクに向かい、分厚い本へ目を落としている。ぴったりと身体に合ったグレーのスーツによくにがかれた茶色のバックルシューズというちで、髪もれいでつけていた。


「駄目よ」


 こたえたのはくすんだ緑色のソファに座った女で、『Damn It !!』と大きく書かれたパーカを着て、デニムのショートパンツをはいた脚を組んでいた。彼女もなにか読んでいたようだったけど、それを放るとデスクの方を見た。


「あくまでもシックにいくの。そう決めたでしょ。――大丈夫よ、あなたの〈能力〉は本物なんだから。ま、昨日はまったく駄目だったし、今日もいまのところは駄目だけど、」


 彼女はちらと時計を見て(二時四十二分。あらあら、もうこんな時間だったんだ)、それから外をながめた。風が強く、薄暗い。雪でも降ってきそうな感じ。これじゃ今日も売り上げはゼロかも。――いや、私がこんなふうにしてたら、この人はもっと弱気になっちゃう。


「前に比べたら、だいぶマシになったでしょ。今日だって誰か来るわよ。だから、おとなしくしてなさい」


 蓮實淳は本から目を離した。デスクの近くには薄いオリーブグリーンの丸ストーブがあり、鮮やかなオレンジ色のかんが乗せられている。てんじょうから伸びたライトはえんすいけいのかさにはつねつとうがついてるもので三つ並んでり下げられていた。ラフマニノフの『ピアノきょうそうきょく三番』が流れるスピーカーには猫頭の像があり、それ以外にもいたところりの猫がたなから下界をのぞくように、あるいはウンベラータのはちかげからものねらうかのように置いてある。床は細長い板がめられてるだけで、これも古く、ふしけた穴をパテでめたしょもあった。すべてが古ぼけていて、まるで深いきりの中にただよなんせんのようだ。


「だけど、やっぱりあれじゃ目立たないんだって。それにシックっていうなら、君の格好もどうにかした方がいい。俺にはあまりシックにみえないけど、自分じゃどう思う?」


「私? 私はいいの」


「どうして?」


「だって、助手だもん。それに、のうたんがあった方があなたのぶってるのが引き立つってもんでしょ。私、これでいろいろ気をつかってんのよ。できれば私もシックな格好したいもんだわ」


「なるほど」


 テーブルに放られた雑誌を見て、彼は肩をすくめた。それから、窓の外へ目をやった。人通りはなく、冬の風がガラス戸をらしてる。


「ね、いつまで『アスクル』なんて見てる気? あなた、そうやって外のものに頼ろうとしてたから、いろんな仕事駄目にしちゃったんじゃないの?」


「うるさいな」


「幟なんて、つけ麺屋じゃないんだから、そんなの何本立てたって意味ないわ。それに、また大きな看板出そうとかもやめてよ。今はそんなのにお金使ってる場合じゃないの。待つのも仕事の内。あせっていろいろしようと思うと、それだけで働いた気になるものでしょ。無駄にお金も時間もろうして、けっきょくのとこそんするばかりだわ。思いあたること、あるでしょ?」


 首を振りながら蓮實淳は『アスクル』を閉じた。うるさいとは思うものの、「思いあたること」ばかりだったのだ。




 カンナは商売のようていというのを心得ている。この店が「前に比べれば、だいぶマシになった」のも確かだった。いや、前がひどすぎたのだ。日がな一日ガラスの先を眺めてるだけで、お客さんなんて一人も来なかった。まあ、その代わりといってはなんだけど、彼の方も夏場はTシャツに半ズボン、すずしくなるとトレーナーにジーンズといった格好で、とても占い師にみえる姿ではなかった。


「ねえ、もうちょっとは占い師らしいふくそうってのがあるでしょ?」


 初めて顔を合わせたとき、カンナはそう言った。彼女は蓮實淳の元恋人の従妹いとこだ。非常に簡単にいうとそれだけの関係だった。それがどうして一緒に働くことになったのかは、まあ、いろいろな要因があるのだけど、その最も大きいものは彼の持つ〈能力〉にあった。これも非常に簡単にいうと、カンナがその〈能力〉に強くかれたということになる。


 ところで、その〈能力〉については簡単に述べるのが難しいので、ちょっとだけ後回しにさせてもらう(簡単に書くと馬鹿げてると思われる可能性があるからだ)。とにかく、カンナは初めて会ったとき、彼の〈能力〉にかんたんはしたものの、その服装なり、態度なり、店のないそうなり――つまりは見せ方や売り出し方にもんを言ったのだ。

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