こどくのカンタレラ

ゆにこーん

第1話 邪悪の澱

 ──全くこの町は汚らわしい、人間臭くて反吐が出る──



 石造りの美しい街並み、街を行き交う大勢の人間。

 ここモンテスリオ侯国は、古くから貿易の要所を担ってきた小国である。人の流れと共に伝播する数々の技術や文化によって、国は大いに繁栄してきた。一方でエルフや獣人といった亜人は、永らく差別や迫害を受け続けていた。

 繁栄を謳歌する人間と、常に虐げられてきた亜人。モンテスリオ侯国の闇は深い。


 夜空に浮かぶ眩い満月。

 日付も変わろうかという深い夜、街外れに建つ豪華な屋敷で人間達による夜会が催されていた。

 集まった人々は一様に派手なマスカレイドで正体を隠している。一見すると貴人達による華やかな社交の場だ、しかし実態は決して華やかなものではない。


「ひぃ……ひぃ……」


「ふふふっ、もっと無様に這い回りなさい」


 布切れ一枚身に着けることなく、四つん這いで床を這う亜人の子供達。首に巻かれた鎖を引かれ、剥き出しの肌を床に擦られ、血を流しながら這い回る姿は余りにも痛々しい。


「止めて……もう止めて……」


「うるさいわよ犬っころ、人間様の言葉を口にするんじゃないわよ」


「う……うぅ……」


「ほら、犬は犬らしくワンワン鳴いてなさい」


「わん……わん……」


「あははっ、本当に鳴いたわ!」


 響き渡る貴人達の笑い声。

 狂気に満ちた屋敷の広間は、邪悪の澱と呼ぶに相応しい。


「クククッ、広間は盛り上がっている様ね」


 邪悪の澱を潜り抜けた先、広間の奥に位置する小部屋では、二人の女性が丸テーブルを囲んでいた。

 一人は豪奢な金のドレスに身を包んだ貴婦人。もう一人は赤いビロードの服に身を包み、頭部を布で覆い隠した女だ。


「魔女ラ・ヴォワザン、相変わらず貴女の夜会は心躍るわ」


「光栄です、フランソワーズ様」


 フランソワーズと呼ばれた貴婦人、ラ・ヴォワザンと呼ばれた赤いビロードの女。二人は醜悪な笑みを浮かべながら、親し気に会話を続ける。


「してフランソワーズ様、本日のご用件は?」


「いつものを頂戴」


「ふふっ、かしこまりました」


 ラ・ヴォワザンは丸テーブルの下から、透明な液体の入った薬瓶を取り出す。


「ご所望のでございます。今回は一瓶……いいえ二瓶お譲りしましょう」


「ありがとう、いつも感謝しているわ」


「ところで先日お譲りしたシロップはどうされましたか?」


「クククッ、直ぐに使い切ってしまったわ。貴女の作るシロップは効果覿面ね、誰に飲ませても三日と経たずに痩せ細り死んでいくのよ」


「それは重畳……」


「でもまだ足りないのよ。私の周りは邪魔者でいっぱい、死んで欲しい人間ばかりで困ってしまうわ」


 フランソワーズは「クククッ」と独特な笑い声をあげ、小さな包みを丸テーブルに置く。重量感のある音から察するに、金品の類が収められているのだろう。


「それでは魔女ラ・ヴォワザン、良い夜を……」


「良い夜を……」


 フランソワーズはマスカレイドで顔を隠し、静かに小部屋から立ち去る。一人残されたラ・ヴォワザンは包みの中身を確かめる。


「あら、随分と大金を包んでくれたわね」


 包みを丸テーブルの下へと仕舞い、広間から聞えてくる笑い声へと耳を傾ける。


「シロップなんて呼んでいるけれど所詮はただの毒薬。そんな物を魔女である私から買おうだなんて、全く貴族という生き物は愚か者ばかり。でもだからこそ良いカモだわ……あら?」


 丸テーブルの下を探り、顔を顰めるラ・ヴォワザン。


「品切?」


 備え付けられた呼び鈴を鳴らすと、ガコッと音を立て書棚に見せかけた隠し扉が回転する。

 隠し扉の向こう側、じっとりと湿った暗闇から顔を覗かせる一人の少女。頭からボロ切れを被った小汚い少女だ。


「ご主人様、お呼びでしょうか──」


「エマ! 呼んだら直ぐに来なさいと言ってあるでしょう!」


「──ひっ、申し訳ございません」


「お仕置きよ!」


「ぎゃっ」


 ラ・ヴォワザンの振るった短鞭は、エマと呼ばれた少女を激しく打ちつける。

 激痛に崩れ落ちるエマ、その拍子に頭を覆っていた布は落ち、ツンと尖った長い耳が晒される。エルフと呼ばれる亜人特有の、長く尖った形状の耳だ。


「ちょっと! 気味の悪い耳を出すんじゃないわよ!」


「きゃっ……ぎゃぁ……」


 幾度も鞭に打たれたエマは、痛みで立ち上がることも出来ない。にも拘らずラ・ヴォワザンは、無慈悲にエマを蹴り飛ばす。


「品切れよ、どうなってるの!」


「ひっ、申し訳ございませ──」


「十分な量を準備しておきなさいと言ったでしょう!」


「──で、でも足りる様に準備していたかと思います。どなた様かに多くお渡しされたのでは?」


「口答えするんじゃないわよ!」


 ラ・ヴォワザンは狂った様に動けないエマを蹴り続ける。命を奪いかねない仕打ちに、エマは黙って耐えることしか出来ない。


「自分の役割を言ってみなさい!」


「ご……ご主人様のご命令通りに、お品物である毒薬をお作りすることです」


「分かっているなら早く補充してきなさい、今夜のお客様はあと一人よ!」


「は、はい……」


 エマはヨロヨロと立ち上がり、隠し扉の奥へと戻っていく。


「急がなくちゃ……遅れたら鞭で打たれちゃう……」


 隠し扉から続く階段を、体を引きずり下っていく。

 階段を下りた先は薄暗い地下室へと通じていた。部屋の中央に置かれた作業台、壁一面の薬棚。ズラリと並ぶフラスコやビーカーは、毒々しい色の薬液に満たされている。


「早くお品を……え?」


 地下室へと足を踏み入れたエマは、そこでピタリと足を止める。


「嘘……」


 地下室の中央に彼女はいた。

 肌も髪も瞳も、首に巻いた長いマフラーも、目深に被ったキャスケット帽も、そして体を覆うブカブカのポンチョも全ては雪の様に真白。

 ポンチョの袖から手を伸ばし薬液の入ったビーカーを手に取る、そして──。


「んくっ……んくっ……ぷはぁ!」


 ──美味しそうに薬液を飲み干してしまう。

 あまりにも現実離れした光景に我を失うエマ。ハッと我に返ると、慌てて真白な少女へと詰め寄る。


「ちょっと、何をしているのですか!?」


「んぐっ!?」


 真白な少女は慌てた様子でキョロキョロと目を泳がせ、ペロリと舌を出して見せる。


「あー、お代わり貰える?」


「はぁ?」


 その日エマは、猛毒の名を持つ少女と出会った。

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