あのころのリマインダー


 二〇〇〇年十二月二十七日。

 学校は冬休みに入った直後、の話なの。


 わたしのおばあちゃんが亡くなった。おばあちゃん家の近所に住む伯父からの電話で、まずママが知って、そしてわたしに伝えられる。ママは自分のママが亡くなったっていうのに、なんだかそっけない顔をして「準備しなくちゃ」と呟いた。だからわたしも「年明けにお年玉をもらう相手が減ってしまったなあ」と思うにとどめる。世紀末、実感のない死。ついこの間、早めのクリスマスプレゼントをもらったばかりだった。


 テレビのニュースは、チャンネルをぐるぐる回しても風車宗治かざぐるまそうじ首相の死の話題を取り上げている。国民に愛されていたこの人は、自宅の風呂場で足を滑らせて頭を打って亡くなったらしい。だっさ。泣き出すキャスターもいた。街頭インタビューのカメラが揺らいだ。号外を配る人も、仕事へ向かう人も、なんだか悲しんでいるように見えた。


 当時のわたしは風車首相が『すごい立場で、偉くて、みんなから尊敬されている人』だとはわかっていて、だからこそどんなメディア――テレビだけでなく、新聞や電車内の広告でもその顔を見ない日はないほどだった、けれども、だ。所詮は画面の向こう側の人で、わたしには関わりのない人。


 そんな人が、もう二度と動かないのであっても、悲しいとは思えなかった。

 わたしのおばあちゃんに会えないことのほうが悲しい。


 命は平等ではない。


 市井の人々は風車宗治ばかりを悼んでいる。わたしのおばあちゃんはわたしたち家族と伯父一家とで見送った。悲しんでいるのはこの十人足らずだけだ。そんなふうに思えて仕方ない。おばあちゃんだって、すごい人だったじゃん。煮物は美味しいし、裁縫は得意だし。


 きっとあの首相は、そんなことできないの。――いや、できるのかな? 決めつけるのはよくないの。でも、できたとしても、おばあちゃんほど上手くはないと思うの。


 ***


 それから中学校を卒業して、神佑大学附属高校に入学して、こちらも卒業して、わたし――秋月千夏あきづきちなつは、神佑大学の法学部に入学し、卒論を書くにあたって、ふと、この二〇〇〇年十二月二十七日を思い出した。風車宗治について、並びに、能力者保護法について、書こうと決心する。

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