彼女の未来に僕はいない

名無与喜

序章

 生前1

 思えば、多くの屍を超えてきた。15歳の僕はまだ子供で、眼下に広がる光景が現実なのか、夢想なのか区別する手段を持っていなかった。それでも、時間は経過していく。僕は選択を迫られている。どの道を選んでも、苦悩が待っていることは決定的だ。トロッコ問題のように、命を天秤にかけるものだと今は思って欲しい。15歳の子供にあまりにも荷が重すぎる。苦渋の選択。思い悩んだ僕が選んだのは、大勢の命であった。結果的に僕は英雄と呼ばれた。大切な友人の命と引き換えに。


 ●


 まずは、仙崎カンナについて話そう。発端はおそらく僕と仙崎が出会ったことが原因と思われるので、避けては通れない。


 仙崎カンナとの出会いは良く覚えている。覚えていると言うか、印象が強すぎて忘れられないが、正確な表現かも知れない。仙崎カンナは、僕のような陰気な要素が滲み出て、湿っている人間とは、世界が違う人間である。僕にとって規格外であり、埒外の存在であったのだ。


 高校に入学してから初の追試でのことだったと思う。なんでも、この高校では抜き打ちで小テストを行うらしく、赤点だった場合は追試を受けなくてはならないらしい。抜き打ちと言っても、小テストの情報は事前に漏れているようで、クラスメイトは直前に短期記憶して挑むので、追試を受けることはまずない。しかし、僕は何も知らなかった。元々、地頭も良くないし、勉強なんてろくにしたことがない。クラスで孤立している僕が、小テストに対する手当は何も持ち合わせていなかった。


 お察しの通り、全く勉強をせずに臨んだ小テストは散々な結果で、自分がここまで頭が悪いとは思っていなかった。薄々感づいてはいたけどね。


 それはさておき。追試を終え帰宅準備に取り組んでいると、同じく追試を受けていた女子が、僕に視線を注ぎに注いでいるような気がしてならなかった。自意識過剰と言われるとそれまでだ。しかし、顔を少し傾ければ目の前に、彼女の顔があるのだから、少なからず気のせいと言うことはあるまい。


 試しに振り替えると、彼女は酷く驚いた。驚いたのは僕も同じだ。前屈みの姿勢で垂れた髪が輪郭を隠して、大きな瞳と綺麗な鼻筋を強調している。こんな綺麗な顔をした子がいただろうか。しばらく僕の時間は奪われた。体感時間は1分以上。現実では数秒のこと。

 

「えっと、何? 僕の顔に何かついてる?」


やっとの思いで口にした僕の声は震えていたと思う。情けない。

 

「ううん。なにも」

 

 彼女は平然と嘘をつく。言いたいことを抱えていることは明白だ。

 

「柿原君って、勉強苦手なの?」

 

 緩慢な対応からの問い。君と同様に僕は追試を受けているんだ。当たり前だろうに。なんだか恥ずかしくなってきた。荷物をまとめて早くこの場を去ろうと思い立つ。


「え!? ちょっとまって」


そんな僕を彼女は引き止めて、軽く走りながら、後を追ってきた。

 

「何で着いてくるんだ」

 

「何でって、柿原君と仲良くなるチャンスだと思ったから。だって柿原君とせっかく同じクラスなのに、話したことって、殆どないから、是非とも仲良くなりたいと思ったしだいです」

 

 僕と仲良くなるメリットが君にあるのだろうか。同じクラスみたいだけど、それだけで仲良くするのもよくわからない。僕はクラスで浮いている存在であると、自覚している。カースト底辺の嫌われものだ。君が僕をどう思っているかは、正直興味はないし、僕は君と仲良くするつもりはない、だから僕は「そうか、なら僕は帰らしてもらうよ」


「何で、そうなる」

 

 彼女は速足で、僕の進路を遮る。俊敏な動きだ。

 

「柿原君ってどうして、誰とも関わろうとしないの? もしかして一人が好きなの? そしたら変わり者だね。偏屈者だ。変態だ」

 

 いきなりデリケートな質問だな。答えるつもりはない。誰が何と言っても、僕の心は揺るがない。しかし「最後のは余計だ。否定する。僕は変態ではない」

 

「違うの?」

 

「ちげーよ。本気でなんだよあんた! 喧嘩売ってるのか」

 

 彼女は萎縮して俯いた。少し強く言い過ぎたかも知れないが、殆ど話したことのない他人に変わり者扱いされたら誰だって、気分を害するものだ。僕は悪くない。

 

「柿原君って、元ヤンとかなの? 怖い」

 

「違う」

 

「同じクラスだけど話したことってないし、柿原君が誰かと話しているのを見かけたこともないし、だからといって憶測で人を評価するのもおかしな話だから、実際に話してみたら、それはそれで取っ付きにくいし」

 

 つまり僕の態度が悪いから気に入らないと、そう言いたいのか。ほっといて欲しい。

 

「僕が危惧しているのは依存だ。協調性が大事とか言って人は人に依存する。それは悪いことでないと思う。人は一人で生きていけないから大事なことだと思う。だけど、時に依存は判断を狂わす。善悪の基準すらあやふやにする。例えば、いじめとかもそうでしょ? 多くの人が正しいと判断すれば、それが正義になる。怖い世の中だよ」

 

 僕は何を言っているんだろう。偉そうに、ただの嫌な奴だ。

 

「ごめんね。私、嫌われてるみたいだね」

 

 彼女は観念したのか。俯いたまま、僕に背中を見せる。

 

「コックって意味わかる」

 

「料理人?」

 

 突然の問いかけに反射的に答えてしまった。彼女は不適に笑い「違う。料理人って意味もあるけど。他にも意味があるんだよ。わかる?」

 

 「わからない。答えは?」

 

 正直、考えるのはめんどくさい。しかし彼女は僕が反応を示してたのが嬉しかったのか、終始笑顔なので、もう少し付き合うことにする。僕が考えるふりをしていると、彼女は僕の耳元でヒソヒソと答えを言う。聞き間違えたようなので、「ごめん、もう一回」

 

「恥ずかしいから、次が最後だよ」

 

 頬を朱色に染めた彼女は、もう一度言った。最初と同じ言葉だった。

 

「ド下ネタじゃないか!! 女の子なんだから、もう少し羞恥心を持って」

 

 僕は本気で叱責した。笑いながら大声で叱責した。笑いながらでは、本気らしくないので、一生懸命我慢した。あんまり効果はないようだ。

 

「だって、男の子と仲良くするてっとり早い方法って下ネタかなって」

 

「君は結構かわいいから、だいたいの男は話かけられだけで気分は良くなる。すぐに仲良くなれると思うよ」

 

 彼女は頬を先刻より朱色にして「けど。柿原君、私に興味なさそうだし、それに私の名前だって覚えてないんでしょ。最低!!」

 

 それを言われると返す言葉はない。同じクラスの子のはわかる。だけど、名前と顔は一致しない。否、名前は、まるで把握していない。これは彼女に限ったことではなく、クラスメイトの名前は基本的には知らないのだ。その基本から外れる例外は、席が近いクラスメイトのみ。誰でもそうだろう。映画館で偶然にも席が隣だった赤の他人に興味を持つことがあるだろうか? 顔は見るかも知れない。そいつが変な言動を取れば興味は抱くかも知れない。それでも名前を聞くまでには、なかなか至らないと思う。それと一緒の感覚だ。クラスメイトを常に初対面の赤の他人だと思っていると、毎日が新鮮そのものだから、オススメする。とは言え、味方が多い方が気楽であることは否定しない。

 

「興味はあるよ。とても」


「本当に??」


「ああ、ここまでしつこいと、さすがにね」


「あっそ」と仙崎は遮るように僕の目の前に立った。

 

「私は、仙崎カンナ。ちゃんと覚えてよ。柿原くん」


 仙崎とは挨拶をするくらいの仲になった。とは言え、仙崎はフレンドリーに手を振ってくるのに対して、僕は軽い会釈するだけだったりする。不慣れな陰オーラ全開だ。それでも仙崎は僕と打ち解けたくて、再三絡んで来るようになった。


 例えば、球技大会が催された時は、体育館の裏でサボっている僕をわざわざ探し出して参加を促した。


「なんでサボってるの?」


「体調が悪いんだよ」なんて平然に嘘をつく僕を仙崎は本気で心配した。こっちが心配になるくらい純情な子だと思った。愛育されてきたんだろう。両親はさぞかし立派な人物で、社会的な貢献度も高いに違いない。仙崎はおそらく、僕みたいな社会の底辺予備軍が相手をしていい人材ではない。もっと高貴な存在で、影響力のある者達と仲良くするべきだ。少々卑屈かも知れないが、僕はかなり特殊な人間なのだ。


「今は今しかないんだよ。一度きりの今を一緒に楽しもうよ」


「すげー。名言みたいだな。けど僕の心には響かない」


 かわいい女子が傍らにいたら、人生が楽しいかもな。それは認める。


「つまんない」と仙崎は僕の隣に座った。どうして座るんだ。肩と肩が触れ合う。それだけで、心の臓器が異常音を鳴らす。今にも爆発しそうな勢いだ。


「どうして隣に座るんだよ」

 

 なるべく平然を装おう。僅かにでも、緊張していることを悟られてはならない。かつての僕は、鉄のような心を持った戦士だったのだ。可能なはず。くぐり抜けてきた修羅場の数は、段違いだ。


「ほら、私ってかわいいでしょ。客観的に見てもそれなりだと思うし、スタイルもそこそこ良いと思うの。そんな私に密着されたら、どんなに偏屈な男でも、少しは心が揺らぐと思って」


「めっちゃ自信過剰だな」


「うーん。最初話した時だって、柿原君は私のことをかわいいって言ったから」


「そうだったけ」


 僕は恍けた演技をする。名脇役俳優くらい味のある演技だったと思う。


「実際、ドキドキしてるでしょ? ビックリするくらい伝わってくるよ」


「まさか!? そんなはずないだろう」


「図星なの?」と仙崎は愉快そうだ。僕と言えば、小馬鹿にされた気分になり、萎えた。


「好きなように過ごしても良いけど。私の活躍はしっかり見ててね」


 それだけ言い残すと仙崎は走り去った。僕は台風が過ぎ去った午前のように、清々しい気分となり、仙崎の活躍を拝見させてもらうことにした。仙崎はバレーに参加しているようで、小柄なのに打点の高いスマッシュを何度も決めて、絶賛大活躍中だ。立ち振る舞いから察するに、仙崎は運動が得意のようだ。それに自分で言っていた通り、スタイルが良い。発育がいいようで、他の女子よりも、よっぽど女性らしい体付きだ。いかん、こう言う話は良くないな。


 仙崎の活躍で球技大会に優勝した僕らのクラスは、担任の粋な計らいで某有名店のシュークリームが贈呈された。何にもしていない僕が貰ってもいいのだろうか。なんてことが頭を過ぎったが、2秒後にはシュークリームに食らいついていた。味わったことのない上品な甘みが上手過ぎて、仙崎にお礼を言った。「私に言うのは違くない?」と説教されたのは。ここだけの話にしておく。



 仙崎と話すようになり、学校での見地が大きく変化した。神の視点でクラスメイトを観察していた僕が、第三者の立場で物事を見れるようになったのだ。あんまり変わらないと思うかも知れないが、これは僕にとって大きな一歩であり、飛躍的な進歩とも言える。


 仙崎は僕と話す機会をたびたび設けるようになった。特にお昼を一緒に食べるようになったことには、心底驚いた。水曜日になると僕が隠れて食べている体育館裏の穴場にやってくるのだ。


「やっと見つけた。なんでわざわざこんな所で食べるの?」


「どうしてここがわかったんだ」


「跡をつけたの」と仙崎が僕の隣に座った。なんだかデジャブだ。仙崎は持っていた鞄から弁当箱を取り出した。意外にも地味なデザインの弁当箱だった。


「ここで食べるつもりか?」


「当然でしょ」


 なぜ? ストーキングしてまで、僕とお昼を一緒に食べる理由がわからない。裏があると勘ぐってしまう僕は、偏屈者だろうか? 僕はその日から食べる場所を変更するようになったが、仙崎は当然のように僕を探し出した。恐ろしいくらい迅速なので、全てが筒抜けなのではないかと、身震いが起こる。仙崎には悪びれる様子がないのが、厄介だ。


「どうして水曜日なんだよ?」と僕は聞いたことがあった。仙崎は「その曜日しか空いてないの」と、シフトの予定みたいに答えた。忙しいのはわかるが、変な感じだ。いろんなコミュティと仲良くするなんて憔悴するだけだと思う。しないのが仙崎なんだろうけど。そんな仙崎が水曜日なのに、来ない日があった。寂しいとかではない。ただ、いつものペースが崩れると、落ち着かないのだ。ソワソワしながら弁当を食べ終わると、背中を押された。体育館裏で弁当を食べている孤独な男子高生の背中を揺さぶるのは、もちろん仙崎であった。仙崎は破顔しながら「寂しかった?」


「そんなわけあるか!」


「嘘が下手だよね」


「嘘はついていない」


「顔に書いてあるよ」


「そんな馬鹿な」


 この頃の僕はまだ仙崎を否定的に見ていた。とは言え、心境の変化があったことは事実だ。少しずつだが、僕は人の姿を認識できるようになった。それは鬼に心を売ったかつての僕には贅沢なものであった。




 その日は、いきなりドツかれた。

ペナルティーとして追試を受けているにも関わらず、うたた寝している僕が悪いんだろうけど、他にも方法はあるだろう。例えば、体を擦るとか、声を掛けるとか、他にも良心的な方法は幾らでもあったはずだ。


暴力ってのは最終手段、もしくは奥の手として、珍重してもらいたい。しかも、加減ってのは知らないようで、重い一撃だった。後頭部から発せられた衝撃は頭部を貫き、ダイレクトに付き刺さったんだ。これに僕は、殺意を感じて身震いした。


「な……何すんだよ」


「起こしてあげたんでしょ」


 頭の痛みが癒えてきたので、仙崎カンナに問う。目頭に溜まった涙で仙崎の顔は、よく見えない。しかし、悪びれる様子がないことは口調でわかる。


「あんたの悪態に先生も困っている様子だったから」


 追試の開始を合図として、夢の中に逃げ込むような、いい加減な奴が何を言いだすか。説得力がまるでない。むしろ追試中にがっつり振り返っているほうが問題ではないだろうか?


「なに言ってんだ。僕はこの日の為にしっかり勉強をしたんだ。寝る間を惜しんで勉強したからこそ、余力ができた。だからこそ寝る権利を得たんだ。お前とは違う。起こす必要は微塵もない」と僕は嘘を付いた。本当は勉強なんてしてない。追試を受けることを理由に勉強ができるなら、初めから勉強している。


「それが、あるんだなぁー」


 仙崎はニタニタとする。その表情には嫌悪感しか読み取れない悪人の面だ。さっきもこんな顔していたんだな。


「何だよ。何を企んでる」


 仙崎は立ち上がり、僕を見下ろす。なんだか圧迫感を感じた。女帝的なやつ。エリザベス1世とか、エリザベータとか、女性でありながら国をまとめあげた為政者的な威厳と尊厳だ。一般人には到底理解できない特殊なオーラみたいな。


 女帝と会ったことはないけど、僕が感じている敗北感はこれに違いない。しかし、よくよく考えたら、仙崎は女帝というタイプではない。どちらかと言うと戦士だ。アレクサンドルス大王の姉であるキュナネとか、甲斐姫とか。


「見せて」


 仁王立ちでカンニングをすると宣言した仙崎は、尊大な態度だ。追試を受けているのは、僕と仙崎のみで、担当教師は何故か見当たらない。(仙崎が何かしたんだろう)だからこそ大胆な行動を取れるのだろうけど。非常識ではないか。


 仙崎は逸脱した行動を取る。自由気ままで、時には周りを巻き込むのだ。冷静に考えれば迷惑な奴。なのに誰も仙崎を咎めようとはしない。無論、僕も特には悪く思っていない。不思議なものだ。仙崎には不思議な魅力があってことだろう。うん。


「なに言ってだ」


「ここは劣等生同士、仲良くしようよ。互いに協力すれば、どんな強敵でも倒すことができる」


 仙崎は回答用紙を見せつけた。名前すら書いてない、白紙の用紙だ。そんなやる気のない紙切れなんて見せるな。はっきり言って不快だ。これは協力ではない。利害がまったく一致していないではないか。と言うか僕のほうがリスクが大きい気がする。


「何が協力だよ。白紙じゃないか」


「え? バレた」


「バレないと思ったのか」


「ほらカッキーって馬鹿だから、ばれないと思ったの」


「お前にだけは馬鹿と言われたくない」


「またまた、同士じゃないのよ」


「違うわ」


「だったらなんであんたは、ここにいるのよ。私達は同士よ」


 彼女の茶々に億劫なふりをしながら対応するのは、恒例のやり取りだ。入学当初の僕は、形振り構わない無頓着な人間が苦手で、仙崎は鬼門だった。苦手意識から差し当たりのない返事をする、もしくは頑固として無視を続けていたんだが、仙崎は笑う。めげずに笑い続けた。何がそんなに楽しいのか。何がそんなに面白いのか。僕なんかと何を話そうと言うのか。小馬鹿にされていると、思っていたが、それとも違う。今ではすっかり友好的ではあるが、僕と仙崎は本来相容れない人種だ。


 学校と言うところは、不思議とヒエラルキーが進む傾向がある。容姿や言動でグルーヴを振り分けられ、抗うことのできない絶対的な厚みを持った階級社会。いわゆるスクールカーストだ。もはや人間の本能、文化的側面すら持つような、社会の歪み。


 そんな偏屈な文化を持たない仙崎には、心底驚いた。仙崎は今風のギャルぽい容姿で、毛先を遊ばせた茶髪は軽薄な印象を受ける。ここで多くの人が人種の違い、壁を感じる。だが、仙崎は笑う。笑顔。それだけを武器に彼女は邁進する。教室の端で影のように潜む僕に純真無垢な笑顔を晒し、閉鎖的なグループ間の橋渡しを積極的に行う姿勢は勇ましかった。


 仙崎は自身の功績に対して自覚はないだろう。けど、僕は知っている。クラス内での虐めはない。爽快に思った。僕には到底できない所業に感情が弾み、羨望を抱いた。あのコミュニケーション能力は、自然と人を惹き付け、この先の未来に置いても、優位な立場に導いてくれる。仙崎はきっと人の上に立てる逸材だ。彼女が本気になれば経営者として成功もできるだろう。流石に誇張かも知れないが、世界を動かせるのではないかと、バイト経験すらない僕が仙崎を評価している。うん、説得力がなくなった。


 とは言え僕はコミュニケーションが苦手な部類なので、常に取巻きに囲まれている仙崎に「疲れないか?」と聞いたことがある。


すると仙崎は「疲れるってなんで?」と真顔で僕に聞き返した。僕が唖然としていると「みんなみんな友達だから。親に教わらなかった? 友達は大切にしろって」と仙崎は笑い、僕は説教された。


 もちろん友達がいない僕に対して仙崎は「友達を大事にしよう」と長々語った。そもそも友達がいない僕に対して「友達を大事にしようなんて」ハードルが高すぎる。いや、ハードルを飛び越える権限すらないだろう。チャレンジをすることすら許されない。


 それに「友達を大事にしよう」って言ってもだ。仙崎は少し違うと思う。


 取巻きの数。人望の深さはクラスを越え、校内ならどこにでも友達がいる。同級生はもちろん、持ち前の人懐っこさから先輩に可愛がれ、面倒見もいいので後輩にも慕われる。仙崎が一人でいる場面を僕は知らない。それは仙崎依存、もしくは中毒、彼女なしでは学校は成り立たない。「友達も大事にする」を体現するどころか、かなり高度なレベルにまで底上げすることに成功した仙崎はおそらく、古代より登場する英雄、王様みたいな、カリスマを連想するかもしれないが、周りが仙崎を捲し立てるわけで、彼女自身は至って自然体だ。


楽しければいい。と仙崎は謳っている。


 だからこそ仙崎カンナは人気者だ。正直、僕なんかが仙崎を語るなんて、おこがましく艱難で、失礼極まりない。


 そんな仙崎にも欠点はある。成績は芳しくないようで、毎度のように追試を受けている。入学してから追試を受け続けている僕が言うからには間違いない。


 今回の試験でも赤点を取り、仙崎は僕と同様に追試を受けている。その態度に些か問題があることは明白で、端的に僕はとても困っている。


「体育祭で代表リレー走るんだろう?今年の夏で退学なんて、洒落になんねぇよ。カンニングなんかしないで、頑張れよ」


「そういえば、そうだったね。忘れてたよ」


 仙崎は運動神経がすこぶるいい。真新しい記憶を探れば、春に催されたクラス対抗球技大会での活躍だ。女子バレーに参加した仙崎は、現役のバレー部顔負けの強烈なスマッシュ、サーブを連発して、クラスを優勝に導いた。今年も同様の活躍が期待されている。



「何だよ忘れてたのか? 皆期待しているぞ」


 仙崎くらいしか話し相手がいないので、知らないけど。


「何て言うか、そんな先の事を考えている余裕がないと言うか」


 ハハハと仙崎は無理に笑顔を作る。


「遊ぶ予定でいっぱいなのか」


 友達の多い仙崎のことだ。スケジュールがぎっしりで二ヶ月も先のことなんて上の空なのだろう。


「何それ? 私のこと遊び人か何かと思ってんの。酷い」


「何だよ。違うのか?」


「違うよ。そのニュアンスだと私が尻軽みたいじゃん」


「尻軽そう」


 胸元ざっくりのギャル風女子が何を言い出す。仙崎は身を乗り出した。


「違うもん」


「わかった。わかったからやめてくれ」


 僕は明らかに動揺していた。なんせ胸元が見えてるから。挙動不審にもなる。


「はぁ? なんで挙動不審」


「別に何でもないよ」と僕は嘘をつく。


 仙崎は鈍感なのか。男子の疑わしい視線に反応を示さない。小柄なのに意外とスタイルが良く普段から視線を集めているのに、稚気な言動でスカートが捲れて、下着の柄は周知になっている。これでは思春期の男子の餌食なっても、いいわけはできない。いちいち気にしていたら、女子なんてやっていけないのだろうけど、鈍感過ぎるように思える。ちなみに今日は水色であったと把握している。


 仙崎はそっぽを向く。


「ごめん、仙崎」


「まあ、いいけどね。初めから怒ってないし、そんなことよりーー」と仙崎は最近あった出来事を話始めた。〇〇君が、〇〇ちゃんが。友達の多い仙崎は、次々に名前が出る。名前と顔が一致しないので、いまいち漠然としないが。それでも仙崎の楽しそうな顔が見れるなら、些細なことだ。しかし、よく喋る。


「佐々木とねねちゃん付き合ってるんだってーー清水先輩が、他校の男子と仲よく歩いてるのを見たよーー田中が二股してたらしくて、私が説教したーーフラれて落ち込んでた七本君を励ましたーー」


 ここまで饒舌な仙崎は初めてだ。話しは聞き覚えのある内容にまで遡る。まるで過去を振り返っているようだ。適当に相槌を打って対応していると、話しは僕と仙崎の関係性にまで発展した。


「追試の時に初めて話したよね」


「そうだったな」


「無視ばかりで大変だったよ。よく覚えてる」


「そうか。結構頑張って、声を出したんだけど」


「嘘をつくな」


「すいません」


 信じられない。友達の多い仙崎が僕との会話なんて覚えてるのか。僕なんか今日の朝食すら思い出せないと言うのに。これもまた仙崎が人気者である理由なんだろう。


「ねぇ、どうして友達をつくろうとしないの?」


 唐突な投げ掛けに、僕は思考速度を跳ね上げる。今さらそんなことを聞いてどうするんだ。教室の隅っこで根暗オーラを辺りに撒き散らし、今しかない青春をミイラ化させている阿呆こそが僕だ。


 そんな奴が、「僕の左腕は義手なんだ」と説明をしたら、どう思われるか。当然、頭のおかしな奴と、罵られ、煙たがれる。友達をつくろうと努力しても、報われないのは目に見えて辛い。こんな表現をしたら、友達が欲しいみたいじゃないか。それは違うと公言させて貰いたい。


「仙崎は僕のこと、どう思っているんだ」


「へぇ? 友達かな? 何で?」


「じゃあ良いよな! 友達いるし。それに知ってるだろ? 僕はこの辺の人間じゃないんだ」


「そっか。地元、遠いんだっけ」


「うん。電車一時間くらい。友達を作ろっても、遊んだりするのが……めんどくさい」


 何を言っているのだろう。語彙が狭いので上手く誤魔化せない。


「へぇー。変わってるね」


「お、おう」


「それでカッキーは楽しいの? 楽しいんだったら、それでいいんだけど」


「それは……」


「やっぱり楽しくないんじゃない。けどね。私も強制するつもりはないんだよ。みんな独特のリズムを持っているものだし、たまたま波長が近い人たちが、たまたま仲良くなってるだけだろうし。無理して波長を合わせる必要はないと思う。私も誰とでも合うわけでもないしね」


「そんなわけないだろう。お前は誰とでも仲良くしてるじゃないか」


 まるでの説得力がない。何を言ってるんだよ。昨日もクラスメイトに囲まれて、楽しそうにしているのを僕は見た。


「みんなが私に合わせてくれるんだよ」


 担当の教師が戻ってきた。仙崎はなんの注意をされず席に戻る。その際に「ありがとう」と仙崎は言った。感謝されるような覚えはない。しかし、その時の仙崎の顔が印象的で、僕は素直に受け入れた。


 この時の僕はまだ知らなかった。仙崎が生まれながらにして愛される存在であり、人を魅了する不思議な力を持っている。と僕は誤解していた。


 それは違った。


 仙崎は救いを求めていたのだ。かつての僕は世界のズレに直面して、左腕は義手となり、第六感と表現できる魔力を得た。仙崎もまた現実と夢想の狭間で迷い、変化に戸惑っていたのだ。僕は、仙崎にとって唯一にして無二の理解者だった。この時はまだ知らない。

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