玉座に君は
春日希為
止まった時間
今日も謙は必死にノートにペンを走らせていた。小学生が使うマス目が大きいノートだ。そこに将棋の駒を表す文字を書く。書いては消して、書いては消してを繰り返す。教室に将棋盤は持ち込めない。だが、謙は少しでも腕を磨かなければならなかった。自分なりに考えた学校でも腕を磨くための最善の策。いつか隣に並んで座るため、いいや、あいつを玉座から引きずり下ろすため。そのために何でもできるという自分の特技を才能に変換する。
謙は授業中も休み時間も青春という全てを投げうってこの動作を繰り返す。中学の授業は自分にはあまりにも簡単でつまらない。だからといって他の暇つぶしはいくらでもあるのだが一人将棋を選んだのにはそれなりに理由があった。
「武尊はいいよな。天才、天才って言われてさー」
「謙だって頭いいだろ。僕からすればそっちのほうが天才って言葉にふさわしいと思うけど?」
「皮肉かよ。俺は別に頭良くねぇし。ちょっと勉強の要領いいだけだろ。武尊も将棋そんだけ強けりゃ頭相当いいはずだろ」
「塾の成績上がってないんだから頭は良くないほうじゃない?謙の言うとおりだとしたら僕は将棋するたびに頭良くなるって事じゃん」
「それもそっか」
俺は小学六年の夏、塾で仲良くなった武尊とそんな会話をしながら家路に着いた。お互いがどこか特別な才能を持っていた。自分は頭の良さ。武尊は最年少で将棋の全国大会優勝をした将棋の天才。才能が俺たちを偶然にも引き合わせた。そして、この後俺たちは一生を才能に食い潰されることになった。皮肉にもお互いの才能のせいでだ。
「今日も会えないんですか」
「ごめんね謙くん。武尊が謙くんが来たら絶対に追い返せって。謙くんは何も悪くないのよ。ごめんなさいね。」
「そうですか。武尊にこれ渡しておいてください」
教室でずっと書いていた手書きのノートを武尊の母親に手渡した。あれには指し手と相手に負けたとき、その敗因を事細かに分析したことが書いてある。
「渡しておくわね。」
今日も学校帰り武尊の家に寄った。門前払いもいいところだったが...あの日からずっと武尊には会えていない。まだ始まったばかりだが、中学に一度も来ないまま武尊は家に籠りっぱなしだからだ。俺の記憶はあの小学六年生の夏で止まっている。あの日興味本位でエントリーした将棋大会で優勝したあの日から。
家に着いた俺は武尊にあんなにも進められるならとオンライン将棋で少しの経験を積んだその勢いで武尊に秘密で地方大会にエントリーした。偶然か元々の要領の良さの為か俺は自分でも驚くほどに勝ち進んでいき優勝した。そして県大会の切符を手に入れた。両親はとても喜んだ。勉学の才にも恵まれた子供が将棋の世界でも才能を手にしたと思ったからだ。県大会当日俺は武尊の姿を探した。そこにはいつものように落ち着いた様子でじっと自分の席に座っていた。周りは大半が大人でちらほらと高校生らしき人達が混じっている感じだった。対照的に自分は席についても落ち着かなく動作もぎこちなかった。それでも対局が始まると嘘のように落ち着いて順調に勝ち進んでいった。県大会は五人しか勝ち上がれない。ここで勝った五人が全国へと進むのだ。俺はその五人に選ばれた。順調すぎるくらいだった。勝った五人はトロフィーを貰うために会場の前に集まった。一人一人座る。右から二番目に座った俺は隣がいつまで経っても埋まらないのを不思議に思った。
「あの小学生またバックレかよ」
「子供だからってなぁ」
優勝者たちの間でそんな声がひそひそと聞こえた。アナウンスが聞こえ呼ばれた名前は武尊の名前だった。やっぱり武尊は強い。だけど空いた真ん中の席には誰も座っておらずここにいないことを証明していた。授賞式が始まっても武尊は一切姿を現さなかった。その日玉座は空席のままで大会が終了した。王の不在。家臣だけ授賞式。その日から将棋の天才で無敗の君主は将棋界から姿を消した。新たなる天才に玉座を乗っ取られたためである
後日、武尊に大会の時どうして授賞式に現れなかったのか理由を聞くために武尊の家に行った。
「何度言ってるだろ。僕はもう将棋はしないって!」
「でもあんなに好きだったじゃない」
「もういいんだって」
インターホンを鳴らそうとしたときそんな声が家の中から聞こえてきた。武尊が将棋を辞める?将棋一筋で毎日一人で指していると言っていた武尊が?頭の中が疑問符でいっぱいだった。夏の暑い時期なのに冷汗が止まらなかった。手足が震えて必死に原因を探ろうと呆けた頭で考えた。それでも正しい解は見つからない。他人の家の前で数分ぐらい硬直していると、家から飛び出してきたであろう武尊と目が合った。武尊と声をかけようとするが声が出ない。すると、武尊がいつもの澄ました顔で「ちょっと話したいことがある」と俺を近くの公園に連れて行った。
「僕、将棋辞めることにした。」
簡潔できれいな解答だった。たとえそれが自分が望んでいたものじゃなくても美しい公式のようだった。
「なんで」
絞りだした声は死にかけのセミのようだった。それでも武尊はしっかりと聞き取ってくれていたようで質問に答えた。
「まずは県大会優勝おめでとう。謙なら全国でも余裕で優勝できるよ。けどさ同時に僕怖くなったんだよね。あれだけ言われた才能も結局は天才の前では何の意味もない」
「だから辞めるって?武尊だって天才だろ」
「僕は将棋の天才じゃない。多分努力の天才だよ。だから純粋な原石には敵わない。地方大会で思い知ったんだ。決勝戦、僕は負けなかった。だけど対局して分かったんだ。相手は天才だ。これから対局という工程で磨かれ、光り輝くダイヤモンド。そんな相手だった。そこで気づいた。相手は君と同じほとんど初心者みたいな手を指してくる。だけどこっちが指すごとに向こうはすごい勢いで僕の今までに追いついてくる」
それがとてつもなく怖かった。と武尊は言った。
「ならもっと努力すればいいじゃんか。好きなんだろ将棋」
「そうだね。僕が純粋な天才だったら続けてたかもしれない。けど僕には不純物が混じっているんだよ。好きなら勝ち負けなんてどうでもいい。けど僕は将棋で勝ち続けて誰かに認められたいんだ。それはきっと天才じゃない。ただの貪欲な凡人だ」
ここまでいくと凡人ですらないのかもしれないね。武尊は自嘲気味に笑った。
「なら勝ち負けなんて気にしなきゃいいだろ。純粋にこれからを楽しめばいい。」
どうにかして俺は武尊を将棋の世界から出したくはなかった。だから元気づけるために綺麗ごとばかりを吐いた。それこそが武尊をさらに追いつめているとは知らずに。
「君とは違うんだよ。君はそうやって無邪気に何人の才能ある人間を食いつぶしてきたんだ?」
初めてその時武尊の顔をしっかりと見た気がした。自分が見ていた武尊は虚像だった。武尊は澄ました顔なんてしていなかった。ただ自分を哀れな人間だというような顔でこちらをずっと見ていた
「俺がいつ人を馬鹿にしたんだよ!俺は本気で武尊に将棋を辞めてほしくなくて言ってるだけだろ。悪意なんてない。」
武尊の表情は変わらない。この顔は知っている。出来の悪いどうしようもない生徒を見る教師の目と同じだ。なぜ出来ないのか。分からないのかと責め立てる人間の目だ。
「それがお節介だって言ってるんだよ。僕はもうあの席には座れない。玉座は君が座るべき場所だ。王は二人もいらない。信頼できる側近は二人でいいし、その補佐も二人でいい。」
「なんの話だよ。玉座とか今関係ないだろ」
「将棋の話だよ。玉座は王を表し、側近は金、補佐は銀を表す。だからあの大会は優勝者が五人も出る。その席は決まってないようで決まっていて、戦績だとか将棋歴とか優勝歴とかで決まっている。僕が毎年真ん中、玉座に座ってた。けど二年前からかな優勝はできるけど個人開催での大会の戦績が落ちてきた。だからいつもギリギリで玉座に座ってた。そのたびに落ちぶれたとか言われ始めて怖くなって授賞式に出なくなった。」
だから隣に座ってた人たちはあんなことを言っていたのか。ずっと疑問だったことがよあのく腑に落ちた。でもまだ何も解決はしてない。武尊はこのままだと本当に将棋を嫌いになる。それだけは嫌だ。俺は武尊と将棋を指したくてここまで来たのに
「正直言うと僕はあの大会で君に負けたんだ。」
「でも玉座は空いてた」
「それは君が知らずに偶々玉座に座らず、司会もそれを咎めないままだったから。指しての数とか良さの面だけで僕の今までの努力は君に負けたんだよ。それが腹立たしくて僕は将棋を辞める決意をしたんだ」
「俺のせい...俺はただ武尊と将棋がしたかっただけなのに」
「なら君は玉座を守り続けろ。僕が君を許し続けるまで君は将棋を指し続けろ。これは僕からの呪いだ。それを背負い続けながら君は玉座を守り続けるんだ。」
最大の呪いだった。いつ許してもらえるか分からない。一番をとり続けなきゃいけない。重くて長い。先が見えないトンネルに放り込まれた。
「じゃ僕はそろそろ帰るから。せいぜい頑張れ。謙」
公園に取り残された俺はゆるゆると立ち上がりこれからのことを考え始めた。
秋が来て、冬が過ぎて春が来た。俺は中学生になった。始業式を終え、クラスに入ると隣の席には武尊の名札が置いてあった。担任が入ってきても武尊がその席に座ることはなかった。担任は帰り際に俺に手紙やな名札が入った封筒を渡してきた。
「あの、俺武尊の家は反対方向ですよ」
「武尊君のご両親が配布物は謙くんにって言っていたのよ。ごめんね」
「そういうことなら」
配布物を受け取って俺は武尊の家に向かった。
武尊の家のチャイムを鳴らすと武尊の母親が出てきた。
「わざわざごめんなさいね。手紙ありがとう」
「あの武尊は風邪でもひいたんですか」
「さあ、でもそうだわ。武尊から謙くんにって預かっているものがあるのよ。」
ちょっと待っててね。と言って家の中に入っていった
「はいこれ。武尊が伝えたいことは全部ここに書いたって。それじゃほんとに今日はありがとうね」
「いえ、じゃ俺も帰ります」
そういって俺は家ではなくあの日の公園に向かった
あの日座ったベンチに腰掛け、貰ったノートを開く。そこに書かれていたのはあの日からの日記だった。方眼ノートに乱雑に殴り書きされた俺への呪詛の数々。いじめで行われる暴言の落書きに近かった。それでも俺は目を背けずに一ページ、一ページ丁寧に読んでいった。そうして最後のページにはたった一言、ノートの中心にでかでかとこう書かれていた。
『お前の玉座を奪うのは僕だ。』
「ははっ。なんだやっぱお前は天才だよ。俺なんかよりよっぽど才能がある。将棋を愛する才能が。」
俺は将棋を愛してはいない。ただ楽しみたい。今はそれだけだ。そして天才を打ち負かしたいという不純物が混じっている。それに自分は何事の出来てしまうがゆえにすぐに興味を失ってしまう。自分を将棋の世界に繋ぎとめているのはあの日の呪いだけだった。
「俺は天才じゃねぇよ。俺の才能はとっくに食い潰されてんだよ。あの日から抜け出せないせいでな」
あの夏の日がよほど自分にとって重しになったのか私立の中学を受験するつもりだった俺は受験に落ちた。武尊の言う通り玉座を守り続けた。だけどそれは武尊ありきの才能だったようで長くは続かなかった。今となっては勝つことすらできない。それでも武尊は少しづつまた努力と愛によって力をつけて蓄え続けている。いくら時間がかかろうとも武尊はいずれまた将棋界に戻ってくるだろう。
「俺も対等にならねぇとな」
空は赤く色づいていた。
梅雨が始まろうとする頃、いつものように武尊の家に向かった
「これ手紙です。あとノート、武尊に渡しといてください」
「いつもありがとうね」
「いえ、大丈夫です」
「あ、武尊からなんか新しいノート預かっているのよ。どうぞ」
「新しいノートですか?」
「なにか変なの?」
「いえ、まだ渡したノートはページ余っているんですよね。まあ武尊なら何か考えてそうですけど」
「そうね。じゃ気を付けて帰ってね」
「はい」
俺はすぐに公園に向かった。ベンチに座り、ノートを開く。
『明日、あの日の公園でお前の玉座を奪う』
でかでかと宣戦布告が書かれていた。
俺たちの青春は周回遅れで回り始めた
玉座に君は 春日希為 @kii-kasuga7153
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