満たされない幸せに一滴(ひとしずく)

東川善通

1


「幸せになってね」


 そう言っていなくなった幼馴染みの小さな魔女。一緒にいるのが当たり前だったのに、気づけば王子の婚約者になっていて、気づけば婚約破棄されて、辺境の修道院に連れていかれてしまった彼女。最後に会ったのは婚約破棄された時だっただろうか、力もなく、そんなことはないと声をあげる勇気さえなく顔面を涙でぐちゃぐちゃにした僕の両頬に小さな手を添え、ぐにぐにと遊ぶように慰めるように弄った後、彼女はそう言って笑った。




「……幸せってなんだろう」

「急に哲学ですね」


 僕の言葉に反応したのは補佐官のフィト。ただただ、普通に仕事をこなしていたら、いつの間にか上の方に来ていた。でも、ふとした瞬間にあの時の光景が広がり、どうしようもない気持ちになる。今回も思わず、口から出てしまっていたようだ。


「仕事があるのは幸せだろう、食事をとれるのは幸せだろう、まともな寝床があるのは幸せだろう」

「そうだろう? というような目で見ないでください」


 幸せなど人それぞれですよと言うフィト。そういうものなのか。では、僕の幸せとはなんだろうか。


「……フィト、幸せがわからない」

「例えばの話でもよろしいですか」

「もちろん」


 はぁ、やれやれとばかりにフィトは口を開いた。


「心という入れ物を満たすものと考えてはどうでしょうか。そうですね、例えば、傍にいると落ち着く、話していると楽しいなど心が満たされる状態が幸せという風に。逆の傍にいなくて落ち着かない、話していてもつまらないなどありますがそれは不幸せ、不幸というわけではなく、心が悲しみなどで満たされてないと考えてみては?」


 子供を諭すような口調にはムッとなったけど、なんとなくストンときた。

 あぁ、なるほど、そうか、ともすれば、僕の幸せは単純なのかもしれない。セラフィナを思うだけで幸せなんだ。


「ルシアノさん、考えるのは大いに結構。けど、手は動かしてください。仕事、溜まってるんですから」


 あ、ちなみにこれ追加ですと山の上に顔がにやけそうになる僕を余所目に山を追加で重ねるフィト。これ、僕の所に関係ないのも混ざってない?? 混ざってないのか、そっか。領収書や請求書がいっぱいなんだけど、随分研究熱心だね、みんな。


「これ、明らかに研究のじゃないでしょ」

「そうですね。ご丁寧に店名まで書いてくださってるので、後で店の方に確認してみますね」

「よろしく」


 とりあえず、優先順位が高いと要調査の分とに分けよう。にしても、最近、変な領収書、多いな。湯水の如く、金が湧いて出るわけじゃないんだけど、分かってるのかしら。


「わかってないんだろうな」

「多分、変な領収書はほぼ提出者の実費になるでしょうね。えぇ、払ってやる義理などありませんとも」


 ただでさえ、どこぞの王子妃のせいで予算がないというのに。いっそのこと、持ってきた人の記憶を確認できる魔導具を作ってやろうか。ん? あ、それいいかも。


「ルシアノさん、なんか変なこと思いついてません? お花舞ってますよ」

「いやいや、ちゃんとしたのを思い付いたんだよ。人の記憶を一時的に映させる魔導具とか真偽を見るのにちょうどよくないかい? いずれは偽証するものも出てくるかもしれないが、最初なら上手く誘導すれば簡単に引き出せるはずだ」

「で、本音は?」

「僕のセラフィナがいつでも見れる」

「そんなところだと思いました。でもまぁ、思い出を振り返れるなど需要はありそうですね」


 作るのはいいですが仕事は済ませてからにしてくださいと言うフィトに需要がありそうなら先にと口にすれば、期限が近いのでこちらが優先ですと押しきられてしまった。

 セラフィナ。僕の幼馴染みの小さな可愛い魔女。僕に色んな魔法を教えてくれた彼女。会いに行きたくても、距離が遠い。何故か王子妃の許可制だし、隔離されてるし、侵入しようにもそれもできないようになっている。魔術で侵入しようと思ったらできそうなところなんだけど、僕ができないようにする魔導具を作っちゃったんだよね。使用用途をよく確認しておくべきだったよ。ま、だから、記憶の中だけでも夢の中だけでもいい、セラフィナを見ていたい。心を満たされるのが幸せなのならば、少しでも満たせるようにしたい。

 僕は何時もよりもハイペースで仕事を終わらせると最近はあまり使っていなかった研究室に立て籠った。まぁ、立て籠ったところで仕事になればフィトが扉を蹴破って、僕を回収に来るのだけど。





「フィト! 見てくれ! 完成した!」

「そうですか、おめでとうございます。はい、こちらは本日分の仕事です」

「もう少し、見てくれてもいいと思うんだけど。僕、頑張ったんだけど」

「はいはい、わかりました、あとでしっかり拝見させていただきます。まずは先に仕事を終わらせてください」


 ドサッと机の上に落とされた書類。量の減らない用途不明の領収書。


「フィト、これ端末機ね。それから、こっちが本機」


 見ててねと端末機と呼んだ薄曇りの水晶をフィトに渡す。そして、フィトが何かを言う前に僕は本機の水晶を持ち、それを作動させた。


「……!」

「わかった? わかったなら、この用途不明の確認よろしく」


 水晶に写し出されたのは幼いセラフィナの姿。僕の思い出の一部。それは端末機である水晶にも映し出されたはずだ。目を見開いて驚いたのはその証拠。本当はフィトにも僕のセラフィナを見せたくなかったんだけど、他にいい思い出や風景なんてないからね、しょうがない。


「本機をフィトが持って、端末機を対象者に。持たせたら、作動するようにしておくから、上手く記憶を呼び出してみて」

「……かしこまりました」


 本機で端末機を読込みに設定し、本機にも映し出されるように設定して僕はフィトを領収書とともに送り出した。

 さて、どのくらい減るかな。フィトとは別の水晶を取り出し、机上に置くと本機に繋ぐ。仕事を片す傍らで確認すれば、会食の様子が映し出されていた。


「へぇ、この会食、王子や王子妃が参加してるのか」


 随分と豪華なものだねと目を細める。国庫が大変だからと節制に努めてる陛下や妃殿下、他の王子殿下を蔑ろにしてるねと口元に薄く笑みが浮かぶ。


「……妃殿下もだいぶ王子妃に悩まされてたよね。セラフィナを陥れたのも王子妃だったし、彼女の言い分が正しいのか確認してみてもいいかもしれないね」


 そうすれば、僕の心は満たされるかな。だって、セラフィナが関わることだし、上手くいけば、セラフィナに会えるようになるかもしれない。

 会いたい会いたい、セラフィナに会いたい。いっそのこと、この国を消してセラフィナのもとに行こうか。あぁ、でも、そんなことをするとセラフィナが悲しんでしまうかな。彼女の笑顔が曇るのは嫌だな。ふわりと花のように笑う彼女がいい。


「まずは陛下にこれをプレゼントしてあげよう」


 いつでも見られるように数日程度だけど保存機能をつけておいてよかった。王子妃には音声機能も付けてあげよう。きっと泣いて喜んでくれるにきまっている。まぁ、その前に陛下にでも顔合わせの機会を頂かないとね。





「…………」


 陛下に茶菓子とお土産を持っていったら神妙な面持ちでお土産を見つめ、拳を震わせている。いやー、あの用途不明の領収書のほとんどが王子と王子妃関連のものだったよ。僕も驚いた。


「…………」

「これ、数日記録残るから、好きにしていいよ。出来れば、ココに関わった連中排除してくれるとスッキリしていいんだけど。あ、褒美は王子妃に合わせて欲しいな」

「……何を、するつもりだね」

「んー? ただ、確認がしたいだけだよ。彼女が本当に僕のセラフィナに苛められてたのかどうか、ね」

「わかった、許可しよう」


 ふーっと息をつきながら、背もたれに凭れかかる陛下。この数秒で少し老けたかも。でも、仕方ないよね。それだけのことをやらかしてるんだもの。


「感謝するよ、陛下」

「その代わり、我々も同席する、構わんな」

「もちろん。ただ、僕の予想だと今日のよりもっと酷いかもだよ、覚悟しておいて」

「……」


 これ以上にかって目を見開いて僕を見つめないで欲しいな。見つめてくれるならセラフィナがいいな。セラフィナだったら、いつまでも見ていて欲しいし、僕も見ていたい。


「……覚悟しておこう」


 あまりの小さな声に聞き逃すところだった。よろしくと言って僕はあれに音声機能につける方法を考えながら、執務室に戻った。

 まぁ、戻ったら、フィトにどこに行ってたんですかと問い詰められたけど。


「それ、私も同席いたします、よろしいですね」


 いつも以上にフィトの圧が凄かった。思わず許可してしまったけど、まぁ、いいか。


「仕事片付けたら、ちょっと籠るから」

「なぜです? すでにこれがあるから何か用意する必要などないでしょう?」

「いやいや、音声機能も付けたら面白いかなって」


 きっと面白いことになるよとニヤッと笑えば、フィトは大きな溜息。仕事が終わった後にフィトに言われた一言は「死なないでくださいね」だった。待って、なんで僕が死ぬのかな。変なフィト。




『ルシアノ』

『ありがとう、ルシアノ』

『ふふっ、ルシアノは凄いわね。きっと私よりもすごい魔術師になれるわ』

「あぁあああああああ!!」


 死にそう。いや、今なら、死ねる。もう、天国が見えるよ。僕は床をゴロゴロと転がった。もう、悶絶だよ。


「僕はなんて恐ろしいものを作ってしまったのだろう」


 もはや兵器だよ。僕による僕を殺すための兵器だよ。思い出だけでも殺傷力が高かったのに、声までついたから殲滅兵器だよ。なんてこった、フィトの言葉は正しかった。


『ルシアノ』


 笑顔の彼女にそう言われて、僕はぶっ倒れた。明日、フィトに言わんこっちゃないと言われそうだ。

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