第9話 ケンカ

 商品を包んでいた手がとまった。

 私の視線の先に気づいたのか、佳乃さんはあわてた様子で赤い口紅が塗られた口を動かす。


「これ、このお店のイヤリング。友達に、もらったんです。友達にここを紹介したことあって」


 友だち? 純にいちゃんが買ったイヤリングと同じものを、別の人が買って佳乃さんにプレゼントした……。


 嘘だ。蘇芳染めの糸とゴールドのチェコビーズの組み合わせは、ひとつしかつくっていない。


 私がつくったのだから、間違いない。あやちゃんがこれを選ばなかったから、純にいちゃんは佳乃さんにあげたのだろうか。


 それもちがう。だって、そのイヤリングはものすごく佳乃さんの雰囲気に、似合っていた。

 今どき珍しく染められていない真っ黒な髪に、白い肌。大人かわいいイヤリングが、ぴったり。


 純にいちゃんは、私にこのイヤリングをあてた時、絶対佳乃さんの顔を思い浮かべてたに違いない。

 いつまでも、イヤリングを見ている私を不振に思い、佳乃さんは声をかけた。


「あの、どうかしました?」


 早く、手を動かさないと。そう思うけれど、しびれが全身にまわり動かない。

 ライティングビューローの上におかれたカップへ、私ではない手が伸びてきた。


「かわります。まこさん、朝から調子悪かったでしょ。貧血ですよ」


 しろくんの落ちついた声で、私の思考はようやくまわり始める。朝から調子が悪かった覚えはないが、その言葉に甘えることにした。


「大丈夫ですか」


 佳乃さんの心配そうな声にこたえられず、私はしろくんの手を借り染め糸へ移動し机の上につっぷした。

 貧血じゃないのに、グラグラと地球がゆれている。


 いつ佳乃さんが帰ったかわからなかったけれど、私の横にしろくんが立っていた。


「純弥さんの、彼女さんいい人ですね。帰りぎわにも、まこさんのこと心配してましたよ」


 私は顔をあげ、視点の合わない目でしろくんをじっと見る。


「知ってたの?」


「僕、自転車を土田商店の駐車場にとめてるので、帰りたまに見かけるんです。純弥さんと佳乃さんが車に乗るところ。向こうも気づいて挨拶してくれる時もあって」


「知らなかったの、私とおじいちゃんだけ?」


 そういえば、あやちゃんも前に変なこといっていた。『泣かんかったらええけど』と。


「純弥さんが、内緒にしてくれって。おじいさんに知られると、面倒くさいからって」


「そっか、私にバレたら、おじいちゃんにもばれちゃうかもしれないもんね。ハハ、そういうことか」


 私は、無理やり口の端をあげる。過去、純にいちゃんに彼女がいたことはあった。ショックだったけれど、自分の気持ちはかわらなかった。でも、今度はいつもの彼女じゃないような気がする。


 だって、ペアの食器を買っていたのだ。佳乃さんは……。


「びっくりしたよ。あやちゃんのイヤリング、佳乃さんしてるんだもん。ひどいよね、純にいちゃんうそつくなんて」


 今ここで、大声をあげて泣きたいけれど、私はことさらおどけていう。


「まこさんも、今うそついてますよね。どうして、無理やり笑うんですか。僕の前でそんなことしないでください」


「えっ?」


 しろくんは、痛みをこらえるように顔をゆがめている。


「まこさん、純弥さんのこと好きでしょ。今、すごくショックうけてるんでしょ」


「知ってたの? 私の気持ち――」


「ここに来た日からわかってましたよ。あなたが純弥さんを見る顔、恋心がだだもれてました。それから僕ずっと、あなたの横顔を見てたんです」


 瞬間、頭に血がのぼり我を失う。


「そんな私見てて、おもしろかった? この人かわいそうだなって思ってたの? もうすぐ失恋するのにって」


 怒りにまかせ、声はどんどん大きくなっていく。


「教えてくれたらよかったのに、純にいちゃんには、彼女いますよって。そんな物欲しげな顔しても、無駄だって!」


 しろくんは、拳を握り私をまっすぐみすえる。


「いえるわけ無いでしょ。あなたが、傷つくところなんて、見たくない!」


 最後は悲鳴に近い叫びだった。その怒りの意味がわからず、私も叫んでいた。


「見たくないなら、見ないでよ。こんな、なさけない顔みないでよ!」


 いつの間にか、私の頬には涙がつたっていた。

 内玄関が、あく音がして祖父の声がする。


「なんや、大きい声だしてケンカか? めずらしい」


 私があわてて、手の甲で涙をぬぐったとたん、祖父がひょいと染め糸の部屋をのぞいた。


「なんや、深刻そうやな。どれ、店番かわったるさかい。思う存分いいたいこと、ゆうといで」


 そういうと、祖父は私としろくんの背中を押す。グイグイと格子戸から外へ二人は出されてしまった。


 雨はあがり、雲のすきまから光がさしこむ。路上にふった雨が、光輝いていた。

 私の気分と真逆の美しい雨あがり。心の中は土砂降りなのに。


 でも、これからどうしよう。授業中にケンカして、廊下にたたされた子供みたいになさけない。


 祖父はしばらくしないと、中へ入れてくれないだろう。かといって、ここにふたりでぼーっと立っているのも、ご近所さんの目が気になる。


 というよりも、お客さんにみられたらどういいわけをすればいいのか。


「ちょっと、散歩しませんか。気分転換に」


 しろくんは、私がついていくともいっていないのにもう歩き出していた。



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