ただのしみんのなつやすみ・前編
6-0.プロローグ
※ ???視点 ※
――ワタクシには何かしなければいけないことがあった。
――それは、とても、とてもだいじな、大事なことだった……はず。
ときおり思い出すその想いをゆっくりとすり減らしながら、ワタクシは意識を浮上させる。
『……夏、ですか。今回は、春の風景は見れなかったようですね』
この地方の短い春が過ぎて、やって来た短い夏が来たことを視界から見える風景とともに空から降り注ぐ陽射しを感じながら、浮上した意識が再び沈むまでボーっと過ごす。
生きていた頃には日々の生活を送っている間にも言いようのない焦燥感を、夫と子供に囲まれた幸せな日々を築き過ごす中でも……心のどこかにそれを持っていた。
けれど、その焦燥感の正体がいったい何であったのかは……わからない。
何せその焦燥感の正体を知るための記憶がまったくないのだから。
だけど記憶を取り戻そうという思いも、くすぶっていた焦燥感の正体を知ろうという思いも……もう湧かない。湧いてこない。
長い時間を過ごした結果、ワタクシという存在はとうの昔に人の形を失っており、今ではボールのような形となっていた。するとそれに伴うように感じていた焦燥感もなにかを考えようとする思考も徐々に徐々に削り落ちるように消えていった。
そんな擦れるようにポロポロと消えていくワタクシのなかにかすかに残っているのは、ワタクシを愛してくれた夫と……産まれた愛おしい我が子との断片的な思い出。
記憶を失ったワタクシを拾い、世話をしてくれた人。彼との間に絆は生まれ、いつしか愛となり、その結晶である子を生した。
産まれた我が子は夫とワタクシの愛を受けて成長し、愛する人と結ばれ結婚して子を産み、ワタクシたちに孫ができ、時はゆっくりと流れていく。
春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がきて、また春がやってくる。
そうして……ゆっくりと時間は過ぎていき、ワタクシたちは少しずつ老いていき、先に夫が眠るように亡くなり、それを知った家族全員が涙した。
ひとりきりとなったワタクシを心配するように我が子はいっしょに暮らさないかと声をかけたけれど断り、度々顔を出すようになった。
けれど夫の死から数年の後、ワタクシも家族に見守られながら最後を迎えた。
これが人生の終わり、そう思った瞬間に全身を――いえ、心の中を言いようがない焦燥感が埋め尽くしており……気づけば、ワタクシは自身の墓の側に立っていた。
どうやらワタクシは未練を残してしまったために、天に昇ることは出来なかったらしい……。
幽霊となったワタクシの姿は我が子たちには見えず。時折、孫の子、さらにその子どもの中で視れる者がいるぐらいだったが、その子たちも成長すれば見れることは無くなっていった。
そしてゆっくりと時間が経ち、老いた我が子は亡くなり墓に埋葬され、今度は老いた孫が亡くなり、それを見続けていた。
そんな様子を幾度となく繰り返し見て長いときを過ごしていたワタクシは、きっと初めの頃には持っていたであろう未練も残っていない。
それどころか、愛おしかった家族たちの顔も思い出せない。
愛する夫が居た。けれど……もう顔は思い出せない、どんな声をしていたのか、どんな風にワタクシに話しかけてくれていたのかさえも思い出せない。
愛おしい我が子が居た。けれど……もう顔は思い出せない、どんな話をしたのかも思い出せない。楽しい思い出も悲しい思い出も何も思い出せない。
愛おしい孫が居た。けれど……もう顔は思い出せない、どんな風にワタクシを見ていたのか、笑いかけていたのか、それさえも思い出せない。
子孫たちの顔がゆっくりとすり減るように消えていく。……ああ、ああ、ワタクシはいったいどんな想いで子孫たちを見ていたのだろう?
ポロポロ、ポロポロと日々が過ぎていくにつれて記憶はメッキのように剥がれ落ちていく。ワタクシという存在は意識ごとまるで砂時計の砂が零れ落ちるように消えていく。
徐々に徐々に、時がたつにつれて……この世界に残っていたワタクシという存在は……自然のなかに消えていく。
けれどそれは苦にはならない。それどころか、感情もなに一つ湧いてこない。
ただひとついえること。それは――、
『……もうすぐ、ワタクシという存在は……完全に消えてしまいますね』
自己の消滅、それは人間としての残したいと願っていた記憶があった頃は恐怖であっただろう。しかし……その恐怖さえもわかない。
ただ、唯一……そう、唯一残念なのは毎年毎年移り変わっていく周囲の景色が見れなくなることと、愛おしい我が子孫たちの姿が見れなくなること。
……そういえば、子孫といえば……。
『数年前にこの地を訪れていたあの子は、どうしてるのでしょう……』
この国を離れていった子孫のひとりが連れて来た娘。
妖精のように儚げで、美しい銀色の髪をした幼い娘。
けれど幼い娘は綺麗な風景を見ても、子孫たちと触れ合っていたとしてもまったく笑いもせず、感情を表すことをしない。それはまるで丹精を込めてつくられた人形のようであったあの幼い娘。
愛おしい我が子孫の中で、最も後に産まれた娘。
目を覚まし、あの子の姿を初めて見た瞬間から……どういうわけか目を離すことが出来なかった。
そして、何があったのかは分からないけれどある日を境に彼女は……頻繁に近くの森に向かう姿を見るようになった。
けれどそこで何か運命的な出来事があったのか、幼い娘はまるでサナギが蝶に羽化するかのように……より美しくなっていった。
けれどもその美しさを幼い娘は何らかの方法で周囲には分からないようにしているようだった。そんな幼い娘の姿を見ていると、かつて夫が楽しそうに妖精の物語を語っていたことをフッと思い出した。
そんな思い出に浸らせてくれる幼い娘を、ワタクシも通るたびに目で追いかけるようになっていたけれど……娘は来たときと同じように霧が晴れるかのように居なくなった。
後日、この地に根付く子孫らが墓を掃除しに訪れた際、幼い娘は元の国に帰ったと聞かされ、残った感情がすこしだけ浮上して落ち込んだ。
けれど、何故ワタクシはあの幼い子孫に惹かれたのだろうか……。
わからない。だけど、冬が来る頃にはきっとそう思うことも無くなるだろう。
ただただ、ワタクシという存在は自然とひとつになるのだから……。
そんな風に思っていると、ふいに獣の鳴き声がし……そちらを見るとウルフの子供が駆け回っているのが見えた。
『ウルフ? この地にモンスターがいるはずが……。……?』
ワタクシはなにを、言った? モン、スター……?
一瞬、思考を奔った単語。けれどそれが何であるかはわからない。きっと、何かあったはず。なのに、分からない。
どうしようもないモヤッとした想いだけれど、それもすぐに消えて……何時の間にかワタクシを見上げるように子ウルフが居た。
『ハッハッハッハッハッハッ――キャン、キャン!』
……どうやら、子ウルフはワタクシのことが見えているみたいだった。
だけど一体どんな風に思っているのかは分からないけれど……、何処か愛嬌のある様子で尻尾を振り続けて鳴いていた。
野良なのか、ペットなのか分からないけれど、何かを呼んでいるように子ウルフは鳴いた。
すると、それは現れた。
「どうしたの? ……あ、残ってるたましい発見」
『え?』
「げっと」
声がした瞬間、そちらに視線を向けようとしたところで――思考は途切れた。
ただ、淡々と聞こえる声はワタクシに役割を与えるように告げた。
「見たところ、みれんがあったからこの世界に残ってるみたい? あ、ここって……もしかして、このたましいって……うん、気にしないでおこう。でも、思わず手に入れたけど、これなら合うかも?」
いや、合うってなんです? ていうか、誰ですか?
声の主を見ようとするけれど、何かに閉じ込められたようでワタクシの視界は真っ暗となってしまった。
そして、自然とひとつになる眠り……とは違うなにか別の眠りにみちびかれるようにして……ワタクシは、ねむりに……つい、た。ぐう。
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