8-1.お出かけ前の一幕
「……あ、そろそろ時間」
呟きながら、わたしは早朝に理事長に会いに行ったさいに渡されたスマートフォンから顔を上げた。……スマートフォンは初めて触るけど、自分好みにするための設定がめんどうだって思った。
というかスマートフォンを渡されても、正直困る……。だって通話するような相手は居ないし。なんていうか、手綱を握られている感じがして落ち着かない。しかもパパとママには内緒で持っているからなおさらだ。
そんなモヤモヤとした気分を感じながら、早朝のことをわたしは思い出していた。
工房でモノづくりに集中した結果、いろいろと創ってしまった。……それをそのまま倉庫の中とか工房内に放置しておくのももったいないと思ったわたしは、倉庫へと創ったそれらを入れてからマーナとともに家に帰り、今日の朝にまだ農家の人たちが畑仕事も始まっていないときに窓から出て空を飛び、あの日連れてこられた理事長の屋敷に向かった。
理事長の屋敷が近づいてきたところで、まだ都会のほうに帰っていないかと思って魔力を使った気配感知を行ってみたけど屋敷の方からは理事長から感じていた魔力があったから問題はないと思いこっそりと中に入って理事長にもとに向かった。
……けど、しょうじき驚いた。
きっと理事長はベッドの中でぐっすりと寝ていると思っていたけど、居たのは執務室っていえば良いのか、それとも書斎なのか分からないけど……その部屋の机に突っ伏して理事長は眠っていた。そして机の上には大量の書類があって、換気されていない部屋はコーヒーのにおいが籠っていた。
そのすがたを見て、この人はかなり苦労人なんだということが何となく解ってしまった。
「……このまま眠らせておくのもいいけど、机に突っ伏してはちょっとかわいそう」
なんてことを呟きながら、カーテンを開けて窓を開ける。
すると室内に上りはじめていた日の光が射しこみ、窓からはすこし冷たい空気が流れ込んでくる。同時に室内のコーヒーのにおいは出ていった。
「うっ、うぅん……さむい……。じいゃ……まだ寝させてくだしゃい……」
入りこんできた外気に理事長は身を震わせつつ、わたしをあのおじいさんと勘違いしているみたいだった。
このまま無視しておきたいけど……、起こさないと話が進まないから声を掛けよう。
「わたし、じいやじゃないから」
「ふぇ……? りゃあ、いっはいだ……うぇっ!? え、た、只野さん!? な、何でここに!?」
「ん、おはようございます」
「あ、はい、おはようございます……って、そうじゃなくて――~~~~っ!! な、なじぇ、ここに居るのですか……!?」
声をかけると理事長は半分寝ぼけながら書類を頬に貼りつけながら顔をあげつつ、キョロキョロしてたけどわたしを見た瞬間におどろき飛びあがった。……けど、座ったまま飛びあがるという器用な真似をしたから太ももを机にぶつけてて、ぶつけたときの音もすごいから痛そうだと思った。
そんな理事長に普通に声をかけると、相手も律義に返事をするけどここに居ることにおどろき大声を出す。
「普通に入ったからここに居る」
「あなたが言う普通って、ぜったいに普通じゃありませんよね……?」
「べつに良い。それよりも大丈夫?」
「ああ、はい……いちおう大丈夫です。ですがいったい何の用ですか? まだ素材は用意できていませんよ?」
「知ってる。けど、用事があって来た」
言いながら倉庫からいくつかのアクセサリーを取り出す。
『体力回復』の付与が施されたペンダントトップ、『身体強化』の付与が施された指輪、『速度上昇』の付与が施されたアンクレット。他にもいろいろとある。
それを見た理事長はおどろきと戸惑いを見せる。
「あの、これは……?」
「しばらくぶりに錬金、彫金、付与をおこなったら調子に乗りすぎた」
「え、えぇ……?」
「とりあえず理事長はこれを付けておいたほうが良いと思う。あとこれも飲むといい」
「あ、ありがとうございます? ……あ、少し楽になってきました。それとこちらはポーションですか」
ペンダントトップとポーションを差し出し、理事長がそれらを受け取りペンダントトップを首にかけるとすぐに効果が発動したみたいで疲れが取れているみたいだった。そして続けてポーションに口をつけた。
半分戸惑っているからなのか、それともわたしを信用しているのか分からないけど……すぐに装備するべきじゃないと思うし、ふつうに怪しい液体って飲まないと思う。
「これは……酸っぱいですがあちらで飲んだポーションと違って蜜も入っているからか甘いですね。というよりもまるでジュースに近い味わいで……ん、んんっ!?」
「きいてきた」
理事長に渡したポーションははじめに蓄積している疲労を除去して、最終的にはスタミナが回復するという方向に重視した戦いのときだと絶対に飲めない種類のスタミナポーションといったもの。だけど、その代わりに……。
「た、たた、ただのさ……い、いったい何を飲ませ――ひぅ!?」
「……デトックース」
「か――可愛く言おうとしているみたいですけど……、無表情な上に淡々と言ってるからぜんぜんですよぉ……っ!!」
がくがくと椅子の上で全身を震わせはじめた理事長からは、だくだくと大量の汗が流れ始める。化粧をしていたかも知れないけど、それも汗で流れていると思う。
そして5分もしない内に着ていた白を基調にしたスーツはぐっしょりと濡れて、革張りの椅子も汗で濡らしていく。というか木製の床にも広がっていって……まるでオネショをしたみたいにも見えてしまっていた。
でも、それを言ったら正気に戻った後の理事長に怒られそうだから言わない。
ちなみに汗まみれの理事長はビクンビクンという感覚に震えていて、顔はとろんとしながら……濡れた髪も頬についていたりして、ちょっとセクシーって感じに見えた。
こうして寝起きだった理事長は、今は全身を汗まみれにして椅子からずり落ちそうな体勢ながらも体を預けた状態でくたっとして、虚ろな表情で小さく息をしていた。
きっと世の男性ってこういうのに興奮するんだろうなってバカな想像が浮かんだりした。
――コンコン。
「お嬢様、またこちらで眠ってしま――お、お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「……おはよう」
「た、只野様……? い、いったいどうやって屋敷に……いえ、それは置いておいて、お嬢様になにを……?」
扉がノックされ、眠っていると判断したのかすこししておじいさんが入ってきたけれど、とんでもないことになっている理事長を見ておどろきの声をあげる。
そんなおじいさんに挨拶をすると、どうやってここに入ったのか分からない様子だったけど、ぐったりしている理事長を心配そうに見ながら近づく。
「お嬢様、大丈夫ですか? お嬢様……!」
「じい、や……? え、ええ、だいじょう……え?」
「お嬢様? どこか悪いところでも――「いえ、その逆です」――は?」
体を揺すられ、正気を取り戻した理事長を心配そうにおじいさんは見ていたけど、理事長は自分の様子に戸惑いながら椅子からずり落ちそうになっていた体を起こすと立ちあがり、かるく動かしはじめた。
首を左右に動かしたり、腰を回すように上半身を動かしたり、肩のストレッチとして腕を伸ばしたりするたびに動かしたあたりからぽきぽきと音が聞こえるけど……どこか健康そうに見える。
ひと通り体を動かすと、ふぅとひと息吐いてからわたしを見てきた。
「……ありがとうございます只野さん、あのポーションのお陰で体がスッキリしました」
「ん、別にいい」
「で・す・が・! 飲む前にどんな効果が起きるかぐらいは教えてもらえなかったでしょうか? 正直脱水症状で死ぬかと思いましたよ!?」
「ごめん、つぎは気をつける」
「はあ、もう良いです……。それで今日こちらに来たのはこれらを届けるために来たのですか?」
お礼から説教に変わり、わたしが頭を下げて謝ると……諦めたようにため息を吐いてから用件を聞いてきた。
大人の対応ってこんな感じなんだと思いながら、おじいさんから出されたお茶を受けとり飲む理事長を見る。
っと、用件をすまさないと。
「それらはあれらに与えても良いし、護衛の人たちにあげても良いから。でもこれを使っての悪いことだけはしないでほしいと思ってる。それとここに来た用件だけど……理事長は向こうの世界で森のなかで、オオカミタイプのモンスターに――」
今日ここに来た理由であるマーナの親の話をわたしははじめた。
はじめは関連することを思い出しているのか黙っていた理事長だったけど、思い至ったのか「あ」と小さく声を漏らしてから何とも言えない表情を浮かべはじめたので、いったんわたしは話すのを止めた。
すると理事長はポツリポツリと喋りはじめる……。
「旅をしていたとき、山間のとある村に寄りました……。その村の近くにある森には攻撃されない限りは基本的に人を襲わないオオカミタイプのモンスターの群れが住んでいました……。普段影が薄いけど腕は一流だったテイマーさんもそのモンスターたちには『敵対心がないからテイムがしやすいと思う』って言ってたのが印象的です。
その群れを統率するボスであった巨大なオオカミはモンスターでしたが、長く生きていたからかわたしたちと話すことができて、偶然にも話す機会があったので賢者さまが率先して話すと森の中の澄んだ空気によって人を襲おうという気持ちが薄れているそうでした。そこで私は賢者さんと相談をして、森の中に清浄な空気で満たすことを試してみました」
懐かしむように理事長は言う。
なるほど、それを行った結果……マーナの居た群れには聖女のことが伝わってたんだろうな。でも、聖属性の魔法ってモンスターには有害すぎる……いや、森の中の澄んだ空気自体が聖属性に近いものだったら、その森で暮らすオオカミタイプのモンスターたちはそれを日常的に接種してたんだと思う。ということはマーナたちその森に暮らしていたオオカミタイプのモンスターは広い目で見るとモンスターだけど、実はモンスターと呼ぶ存在じゃないと思えばいい?
そんなことを思いながら理事長の言葉を待つ。
「賢者さんと相談して考えた方法は特定の魔力を外に出さない結界を森の中に展開して、その中を聖属性で満たせばいいというものでした。まあ、只野さんも想像している通りモンスターには聖属性は害となるので只野さんがこの世界でしたことに近いものを行いました」
「近いもの……あ、特定の道具に聖属性をたっぷり込めて、少しずつ出す。いわゆる芳香剤とかそんな感じの方法?」
「そうです。私の場合は、すこし前まで使っていた杖とベールに聖属性を込めました。そして、それを設置しても良いかと群れのボスと話をして森の中に置きました」
「なるほど。だからその群れで生まれた子たちは普通に森を駆けまわるから、杖とベールから聖女のにおいを覚えていたわけだ」
「そうでしょうね。……ですが、あの群れのボスが殺されたなんて……」
わたしの話を思い出しながら、理事長はどこか悲しそうな表情で呟く。
きっと向こうの世界での思い出のひとつだったんだろうな……。
「……理事長、タイミングがあったらマーナと会ってみる?」
「そう、ですね。機会があれば、ぜひお願いします。それにしても……あの群れのボスを呆気なく殺す敵ですか」
「アレがこっちに来たら、わたしたちは終わると思う……」
「只野さんほどの方がそう言うということは、危険ですね……。こちらも四夜さんたちに訓練の度合いを上げることを考えます」
「ん、すこしでも強くならないといけないから……」
真剣な表情で理事長は言う。それに対し、わたしも頷きながらも……同時に強さを求めてしまう。
強く……強くならないと。
そう心で思いはじめていると、壁にかけられた時計から何回か音が鳴った。
「あ、そろそろ戻らないと。渡したそれは使っても良いから。あとこれも」
「ポ、ポーションですか……。普通に使えるタイプですよね?」
「大丈夫、こっちはダメージ回復用だから」
「信じておきますね? ――あ、ちょっと待ってください!」
渡したアクセサリー類、それとポーションを多めに差し出して窓へと向かおうとしたわたしを理事長が止める。
振り返ると理事長はすこし慌てながら机の中から何か箱のような物を取り出すと、それを持って近づいてきた。
「お礼……と言えば良いのか分かりませんし、只野さんにしてみては首輪とか思われて嫌かも知れませんが……」
「これ……スマートフォン?」
「はい、こちらは四夜さんたちにも渡しているタイプと同じものですけど、今のところは私の電話番号だけ入っています。ですのでこちらは好きに使ってください」
持っていた箱の中には、わたしにはすこしだけ大きいと思うサイズのシルバーカラーのスマートフォンが入っていた。
……正直いらないと思う。でも、高校生になったらスマートフォンはあると便利ですと朝ごはんを食べているときについていたテレビのニュース番組の特集で見たこともあるけど、そのときはあまり興味はなかった。
モルファルの家で授業を受けるためにタブレット端末を触ってたけど、機械の操作ははっきり言って苦手だと感じているからたとえスマートフォンを貰っても……。
そんな風に悩んでいると、理事長は言う。
「たとえ使わなくても良いので、持っていてもらえませんか? もしも只野さんに何かあったときに、こちらを頼ってもらえればと思いますが……そうならないことを祈ります」
「…………ん、わかった。それじゃあ、受け取っておく」
「ありがとうございます。スマートフォンの月々の代金などは、私が渡した形となっているのでこちらが持ちますので安心してください」
「わかった……。その、ありがとう……ございます。それじゃあ」
スマートフォンが入った箱を倉庫に入れて、やさしく微笑む理事長にお礼と挨拶をして窓から出ると帰宅するために空へと舞い上がる。
……とりあえず家に戻ったら、出かける準備をしよう。
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