第4章 堕ちてイく
第36話 縛られるカラダ
女神祭も終わり、魔王ウルと契約してから約二週間が経った。
現在は右腕までしか奪われていないが、このままのペースではいつ全ての主導権を握られてしまってもおかしくない。
まるで操り人形のようにされ、あの魔王の思うままにされてしまうのが、ひたすらに怖い。だがしかし、口外禁止の契約によって誰にも相談が出来ない。
なにより、ウルに言われたあのタンポポ畑での告白が、ずっと頭から離れてくれないのだ。
『俺はキミを聖女としてではなく、一人の女性として愛している。だから俺はこれから、本気でお前を奪いたいんだ』
ウルが完全なる悪者では無かったと知った今、モナは彼の事を完全に拒絶することができなくなってしまっていた。それは同情なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
彼を受け入れつつある自分を止めたいのに、身体はどんどん
誰かに頼りたいのに、頼ることができないこの現状が非常にもどかしい。
モナはふらふらと、自分の家である教会の中へとやって来た。
最奥の祭壇にある女神像の前に
かつてこの世界に存在していたらしい悪神を、女神自らが聖なる槍を持って討ち滅ぼしたとされる救いの女神。
目の前の女神像も、その
文字通り神にもすがる思いで、ひたすら祈る。すると、モナの背後から近寄ってくる影があった。
「モナ……。今日は随分と熱心に祈っているのね。……何かあった?」
「……お母さん」
人影の正体は、この教会のトップであり、先代の聖女。そしてモナの実母でもある、レジーナ=サルヴェだった。
娘を想い、優しく微笑む彼女は穢れの無い白の修道服を着こなし、モナと同じ漆黒で艶やかな長髪をしている。そして二児の母であるというのにその肌の衰えは微塵も見えず、聖母の様に美しい。
なにより聖女として相応しい、慈愛に満ちた優しい性格をしている。
モナも心から尊敬している、自慢の母である。
その澄んだ
母に見つめられ、モナは不思議と心地良い気分になってきた。
(お母さんに相談すれば、なにか良い策が出てくるかもしれない……ううん、駄目。どこでウルが覗き見をしているか分からないんだから……)
「……そう。お母さんにも言えないこと、なのね?」
「おかぁさん……」
泣きそうな顔で見上げてきたモナの頬を、レジーナは優しく撫でる。
あの恐ろしい魔王を倒した英雄だったとしても、レジーナにとってあくまでもモナは娘であり、優しい性根の女の子なのだ。そんな大事な娘をこんなにも傷付けている存在に憎悪の心を燃やしていた。
「そう、誰かが私の大事な娘を苦しませているのね……」
悲しそうな顔をしながら、愛しのわが子を抱き寄せる。
言えない歯がゆさと、徐々にあの魔王にこの身体を蝕まれている恐怖。なによりも、それに抗えない自分の弱さによる悔しさが、母の無償の愛で癒されていくようだ。
これが母の包容力であり、長年聖女として民を癒し続けてきた実力である。
モナはレジーナに対してより一層の憧れを強くしていた。
「言えるようになったらでいいのよ。その時は私を頼りなさい。お父さんが居なくなった時、私が代わりにあなた達を私が守るって決めたんだから。それにお母さんだって、聖女として修業していたのよ? あなたに役目を預けるまで、近場のモンスターを狩ってたりしていたんだから。その辺のチンピラより強いんだからね?」
レジーナは白く柔らかそうな腕でむん、と力こぶを作って見せる。それは、父が早くに死んでからずっと護ってきてくれた、小さくても大きな手だった。
暖かな陽だまりのような安心感に、モナの荒んだ心もすっかり解かされていた。
「うん……あのね、お母さん……」
ほとんど、偶発的なものだった。
いや、母レジーナが信者からの
自分の意思では無かったとはいえ、モナの口は自然と開いていた。
「あつっ!?」
魔王が……と喉から出掛けたところで、お腹のタトゥーが熱を持つ。
(ウル……お母さんも駄目なの?? もう、契約なんていいじゃない。私のことが本当に好きなら、契約なんてものから解放してよ……!!)
「どうしたの、話したいことがあるならお母さんが聞くわよ?」
「だめ……だめなのお母さん……」
遂に我慢の堤防が決壊し、モナの目から涙がボロボロと溢れ出る。
言ってしまったら、絶対に家族である母も巻き込まれてしまう。契約を破れば、あの魔王に大事なモノを奪われるのだから。
泣きじゃくる娘の頭を撫でながら、深い溜め息を吐く母レジーナ。
モナからはその表情は見えなかったが、彼女は何かを決意した様子であった。
――そうしてこの日から、レジーナの姿は忽然と消えてしまった。
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