その境界の狭間で

鶯埜 餡

それを運命と呼ぶことはできるか、それとも

 僕が意識を取り戻したとき、目はなにかで覆われていて視界は真っ暗闇だった。

 それを外そうとしても手も動かせない。

 顔は柔らかいもの、タオルとかなにか服で覆われているのだろうが、手の方は硬くて温もりがあるもの、すなわち木で固定されているようだ。


 その代わりとは言ってなんだが、鼻腔をくすぐった苔の匂いがするし、わずかにせせらぎの音が聞こえた。どうやらここは川沿いなのだろう。


 それ以上に問題なのは、いったいだれがこの“オレ”を捕まえたのか。

 おそらく一般人ではないだろう。可能性があるとするのならば七十八家、それも“オレ”の正体を知っているだれかということになる。

 そうでなければ“オレ”の価値はない。


 この世界は二層構造になっている。

 一つは表の世界。

 いわゆる日常のことだ。こちら側における“僕”、九条誠司はごく普通の男子高校生で、なにも取り柄はない。

 しかし、裏の世界。

 基本的に表の世界で過ごす人間には関わりのない世界。特殊な能力を持つ七十八家とその調停をする機関“真夜中の黒犬”に所属する人間にとってみれば、この世界は戦争がつねに起こっている。“オレ”はこちらの世界で知らないものはいない。


 何回か木を揺らしてみたが、びくともしない。どうやら物理的に拘束しただけではなく、なにか強化が施されているのだろう。


「『臨・びょう・闘・者・皆・陣・列・在・前』!」


 かろうじて口枷ははめられていなかったから、手首の方に意識を集中させて一族に伝わる真言を唱える。なんの系統の強化だったのかよくわからなかったが、簡単に強化が解けたらしい。バキッという音とともに落下するのがわかり、すぐに地面に接触した。


ってぇ」


 手首をさすりつつ目隠ししていたもの外すと、幸いにも落ち葉が溜まっていたところだったようだ。それが僕を助けてくれたらしい。

 でも、犯人は“オレ”を助けるつもりだったのだろうか。吊り下げられていた枝を見てもあまり高くないし、なによりここだけこんもりと落ち葉が溜まっている。


「不自然極まりないんだよなぁ」


 そう思ったが、辺りは夕暮れ。早く抜けださなければよくないものに喰われるだろう。木の上に登って麓を見下ろし、景色から自分が今どこにいるか特定したあと、夕日を頼りに山を下ろうとした。けれども、それは不可能・・・だった。


「なんだ、この結界は!!」


 降りようとしても、なぜか同じ場所に戻ってくる。

 十周ほど周回したあと、その場に倒れこんだ。さすがにこれ以上無駄な動きをしたくない。


「でも、すべてを総合して扱えるのって冷泉れいぜい播磨はりましかないよなぁ。というか、なんでこんなところに来たんだっけ?」


 息を整えながら考えを巡らせる。ひんやりとした土の感触がなんとも言えなかった。


「冷泉、播磨、冷泉……まさか、澪が??」


 意識を失う前のことを思いだす。たしか冷泉みお、同じクラスでちょっと変わった彼女と一緒に帰っていた。そのときに彼女になにかを言われ、そして……――




「誠司くんっていったい何者なの?」




 首元に冷たく鋭いものが当たっている。一歩でも動けば首にそれが刺さるだろうと理解した。

 彼女、冷泉澪の氷のような声音に僕は動けなかった。まさか彼女だとは思わなかったから、うっかり“オレ”は真言を使ってしまったじゃないか! 露見してしまったのならば仕方ない。記憶を飛ばしてやろうか。



「私の告白・・を断ったんだから、になってもらわないと困るの。冷泉うちの掟だから悪く思わないでね?」



 そうだった。

“オレ”は囚われることを恐れて、冷泉澪かのじょの告白を断ったんだった。そして、彼女に囚われた。


 笑えない。


 たしかに冷泉家の面々は通称結界師とも呼ばれ、贄を主体に結界術を張ることで有名だったのを思いだす。

 そして、冷泉澪が裏の世界で有名人だったのも。


 冷泉家現当主の三女ながら、上の二人を差し置いて次期当主になるのではないかと言われている。

 そんな彼女の贄にまさか“オレ”がなるとは思っていなかった“僕”は、このまま彼女の贄なんかになりたくないと刃が突きつけられている反対側から身を起こして、脱走することを選んだ。


「ちょっと誠司くん、逃げないで私の贄になってよ!」


 後ろから澪が追ってくるのが見えた。

 巫女装束というのか?

 あんなような着物っぽいのを着てるのに、思った以上に追いかけてくるのが速い。

 とはいえ、こちとら簡単に捕まるわけにはいかない。

 しかし、地の利は冷泉澪あちらにあった。


「つ・か・ま・え・た☆」


 苔が生えている岩で滑り、コけたところで捕まえられてしまった。

 はぁ。

 運動音痴だからとなんにも体術を学んでこなかったのが間違いだったらしいね。冷泉の贄の詳細いみはよくわかってないけど、これで“僕”も終わりだ。


「誠司くん、魔法陣描くから、ちょっと待っていてね」


 まるで今から遠足に行くようなウキウキとした表情で、澪は木の枝を使って模様を描いていく。もちろん当然、動けないように縛られていた。それもさっき以上にご丁寧に、猿轡までかまされていた。まだ“オレ”は未成年だったからこういった事態に備えての訓練は行っていない。こんなことなるのならば、リーダーに頼みこんで早くから訓練しておくべきだったかな。


「うん、うん、これでいいかな?」


 じゃ、これから儀式始めるね?

 無邪気に笑う彼女に恐怖を感じたが、もう逃げられない。蜘蛛の巣に絡めとられたような状況に“オレ”は覚悟を決めた。

 贄ということは“僕”は死ぬだろう。まだまだやり残したことが多いけど、仕方がないよね。


「かしこき、かしこみ、みずべのみずち。いずるひのこにすわれぬように」


 澪の詠唱とともに魔法陣がキラキラと光はじめ、“僕”を締めつける力が強くなったのがわかる。


「もうすぐ楽になるよ♪」


 どこまでも楽しそうな彼女の声。おそらく彼女はもうこの《儀式》を何度も繰り返しているのだろう。

 だれか、彼女を止めてくれ。

 だれにも届かないだろうけれども、“オレ”はありったけの声で叫んだ。


 その刹那、結界が割れる・・・音が聞こえた。


「だれなの!?」


 割られるはずがないと過信していたのだろう。澪が割られた方向を向いた瞬間に、“僕”は魔法陣の中から逃げだした。

 結界が破れたということは、もう周回しなくてすむはずだ。今度こそ追いつかれないように山を駆け降りる。

 もうすぐ坂道が終わるころ、またまた大きな石に躓いてしまい、転倒してしまった。さっきは両手が使えたから受け身の姿勢をとれたが、今回は思いきり顔面からいってしまった。


「アイタタタタタ……」


 おそらく澪がもう追ってこないだろうと踏んで、そこで座りこむ。


「あいつから逃れられたかあ」


 近くにあった鋭い岩を逆手で持ち、縛っている紐を切る。ようやく自由になった手をプラプラさせたあと、じゃ、もう一回行くかと立ちあがった。

 結界の中では夕暮れどきだったが、どうやら時間操作もされていたらしい。どうやら学校と家の中間地点だったようだ。見慣れた公園が目の前にあったが、あたりはすでに真っ暗で、近くにあった街の時計はすでに夜中の十二時を指していた。

 どれだけ多才なんだ、あの女れいぜいみおは。


「さあ、さっさと帰りますか」


 澪の結界を破ったのがだれなのかわからなかったが、術式の痕跡ぐらいならば明日でも見つけられるはずだ。今はゆっくりと体を休めたい。

 そう思って家の方向に足を向けると、女が目の前に立っていた。


「チッ。またあいつかよ」


 暗闇だから相手の顔なんか見えない。けれども、白っぽい服を着ているということは澪だろうと思って、反対方向へ走りだすと当然のごとく相手も追ってきた。

 いくら高校の通学路といっても、この辺の土地勘はあまりない。

 やっぱりあいつの告白を受け入れておけばよかったのかな、なんて思いながら住宅街を走っていたら、いつの間にか目の前がどん詰まりになっていた。


「チクショウ」


 振り返ると“オレ”を追っかけてきていた女が数メートル離れた先に立っていた。

 今度こそ無理か。

 そう思った矢先に、女が良かったぁと言って近づいてくる。

 澪じゃない?


「はぁ、九条君ってどんくさいところがあるからさぁ、いつか澪に絡めとられるんじゃないかって思っていたんだよね」


 ええっと、ちょっと待ってください?

“オレ”の内心なんか構わずに近づいてペタペタと全身を触る女に“僕”は焦った。


「あの、正親町さん、だよね?」

「そうだよ、毎日クラスで会ってるのに、なに言ってるの?」


 まさか彼女、正親町明穂だと思わなかった“僕”はなんで彼女がここにいるのかという疑問でいっぱいだったが、彼女から漂ってくる匂いで納得した。


「君さ、自覚症状なかったと思うけれど、入学してからずっと毎日、澪に詰め寄られていたもん。だから、いつかこうなるんじゃないかなーって思ってたんだ」


 でも、無事でよかった。

“僕”の全身を、局部まで余すことなく確かめたあと、抱きついてきた正親町さん。

 スポーツ万能爽やか系お姉さんの彼女にまさかそんなことをされると思ってもいなかった“僕”は、呆気にとられていた。


「さすがに住宅街だし、夜中だからちょっと場所変えよっか?」

「ああ、そうだね」


“僕”の気持ちなどお構いなしの彼女は、そう言って手を取ってきた。

《鳴弦師》である正親町家の彼女も例外なく、弓を鳴らすために鍛えられあげた腕をしていた。

 ひょろひょろな“僕”なんて簡単に引っ張られてしまった。





「うん、ここなら大丈夫か」


 正親町さんが連れてきたのは、だれもいないファミレスだった。

 地元高校の制服を着た男女二人がこんな時間に店に入ってきたら、普通だったら通報案件だろう。けれど、目くらましでもしているのか、誤認視覚の術でもかけているのか、訝しられる気配もない。


「で、なんで九条君なんかに澪は喧嘩なんて売ったんだろう」

「“僕”がなにもできないのを見越してなんじゃないの」

「そうかな」

「だって“僕”は体力テストでも学年の最下位だし、そもそもこんな体で運動できると思う?」

「そういうことじゃないの」


 二人とも走り疲れていたからか、すぐにジュースの飲み放題を頼み、一杯飲み終えた後に喋ることを再開した。

 正親町さんにはまだ“オレ”のことは知られていないはずだ。

 彼女が助けてくれたことだけ礼を言おうと思っていたのに、当の彼女はまどろっこしいとばかりにテーブルにこぶしを打ちつける。


「あのさ、九条君って、本ッ当に隠せていると思っているの?」

「なんのこと?」


 まるで痴話喧嘩みたいだと他人事のように正親町さんを観察してしまう“オレ”。こういう彼女でもいいかなとちょっぴり本職の査定業務のように観察してしまうが、続けられた言葉に、返す言葉を失ってしまった。



「……しらばっくれるんじゃないわよ。あなた、《真夜中の黒犬》の“怪人九面相ナインシーヴス”でしょ!?」



 なにも反論できない“オレ”を見て、やっぱりねとほほ笑む彼女。


「だって、そもそもすべて・・・のことにおいて一般的な高校生の平均以下の成績を取るなんて普通はあり得ないんだもの。どうにかして印象操作をしているという風にしか感じなかったわね」

「そんなことで……」


 まさかそんなことでバレるとは思わなかった。

 体力については素の自分なのだが、いわゆる座学については小さいころから徹底的に仕込まれたおかげで、本気を出せば全教科満点を取れる自信はある。

 けれども、そんなことをしたら目立ってしょうがない。だからあえて平均点以下、赤点にならないすれすれのラインをかいくぐってきた。


「でもね、“怪人九面相ナインシーヴス”だと確信できたのは去年の文化祭のときかな。だれかがボヤを出して、文化祭が中止に追いこまれかけたけれど、土壇場でそれをひっくり返したのは九条君、君だもんね。未成年ながら私たち『テクラパールズ』と澪たち『碧玉の雫』の抗争に参加させられている伝説の英雄ヒーロー、“怪人九面相ナインシーヴス”の九条誠司君」


 正親町さんの指摘に肩を竦める“オレ”。

 たしかに生徒会と教員どもに粘り強く交渉はした。けれども、まさかそれを目撃されていたとは思わなかった。

 そしてその正体に気づかれていることも。


「で、正親町さんは“オレ”にいったいなにをさせたいんだ。この抗争からは手を引けと? それとも正親町家、いや『テクラパールズ』に加担しろと?」


 もう正体が割れているのならば、こちらの喋り方で構わないだろうし、なにか交渉したがっているようだから、“オレ”はそれに乗ろう。

 正親町明穂はゆっくりと首を振る。


「ううん、九条君ならば、今の私を見てどうするかっていうことを聞きたいんだ」

「どうするか?」

「そ。《真夜中の黒犬》の最強交渉師として、私をどう見てるのかなってね?」


 首を傾げる姿は本当に爽やか系お姉さんなんだよな。

 さっきの残念な行動さえなければ。

 とはいえ、“オレ”の答えは決まっていた。


 彼女、正親町明穂の《鳴弦師》としての腕は正直、二流だ。しかし、それを上回る知力、体術、澪の結界でさえ破るすべを兼ね揃えている。


「〇〇〇〇〇〇“〇”〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇?」


 深呼吸をして彼女にそれを告げた。

 その言葉に今までの爽やか系お姉さんであった彼女が変貌する。彼女の唇が嫣然と弧を描く。


「ええ、いいわよ。どこまでも九条君についていくわ」


 この日、僕と彼女は運命共同体になった。

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