ヒトを救うようにはできていない

ハビィ(ハンネ変えた。)

テんにカミサマなんてものがいるのなら

ふと、この世に未練などないと考えたのだ。

空は晴れていて、良い自殺日和だった。

盛夏の日差しは強く、木々の緑が一段と影を濃くする。

鮫の皮のようにザラザラした木の幹の葉陰には、幾匹もの蝉が羽を休めているのが見える。

蝉の声は降りしきるように響き、あとは何の音もしない。

わたしの足元にはキャンプの残骸なのだろうビールやジュースの空き缶が転がっている。

樹海の中を適当に歩いているだけなので、自分がどの辺りにいるのかもよく分からない。

運が良いのか悪いのか、バスを降りてからこの場所に来るまで誰ともすれ違うことは無かった。


世界に自分だけが取り残されたような閉塞感は死への恐怖を薄く軽いものにしていく。

パンパンに脹れた桃色のボストンバッグを地面に下ろして、中から折りたたみ椅子と赤いロープを取り出した。

頭上の木の枝は太くて逞しく、簡単には折れないであろうとふんだのである。

首吊りはこの木でやることにしよう。

わたしは、ロープを首にかけて固く結んでから目当ての一番太い枝の真下に椅子を置いた。

スニーカーを脱いで、木の根の元に揃える。

読ませる相手もいないので、遺書の類は何も遺さないつもりだ。


わたしは微かにぐらつく椅子に登って枝にロープをかけて、深呼吸をする。

思い返すと、つまらない人生だった。

考えれば考えるほど、わたしは齢二十歳を迎える前に死んでおくべき人間なのだ。

昔、中学校のパソコン室でこっそり見たインターネットの掲示板には「私は職をなくし、妻に逃げられ、自殺しても美しくない年齢になってしまいました」という四十代の男性による書き込みがあった。

その文字列を見た瞬間、わたしの背中にはビリビリと雷に撃たれたような強い衝撃が走ったのだ。

そして、この見知らぬ男性によって身の毛もよだつ恐怖心を植え付けられてしまった。


醜い死への嫌悪というものは、わたしの内部を鋭利な刃物で何度も突き上げるような恐怖を味わせたのだ。

わたしは死に際くらい、せめて美しく価値のあるものでありたい。

だから、わたしこと高嶋陽菜(たかしまひな)は花の女子高生と呼ばれる年齢のうちに死ぬことした。

頭の奥がじんじんするほど蝉が鳴いている。

しかし、自殺というのは思った以上に度胸がいる行為らしい。

わたしの身体は石にでもなったかのように動かず、首の縄を掴む手はブルブルとめちゃくちゃに震えている。

死に対する動物的な恐怖のせいか、大した水分補給もしていないのに尿意を催し、トイレに行きたくなってきた。


死んだ後に失禁するならまだ良いが、死ぬ前に汚らしくお小水を撒き散らすのは流石に嫌だ。

「キミ、死ぬのかな。死んだあと食べてもいいかな」

突然聞こえたゆったりとしたテノールボイスは奇妙なほど耳に馴染む。

瞼を開けて、わたしは驚く。

女好きのしそうな眉目の男が右手に斧を左手には倒れ伏した人間の足首を掴んで佇んでいた。年齢は大学生か新社会人くらいだろうか。

首の後ろで一つに結ばれた長髪は光のせいもあるだろうが、その色の白さは玲瓏と言いたいほどで、気の強そうな眉から形の良い鼻梁は凛とした気性の象徴だろう。

髪は純白に透けて夏風に吹かれて舞っていた。


「キミ、死ぬなら僕の家の中で死んでくれよ。死体ってのは、自分の意思で立つことを辞めた人間というのは案外重たいんだよ。僕一人でキミまで調理台に運ぶのは面倒臭いからちょっとヤだよ」

「わたしを、こ、殺すんで、です、か……?」

わたしの問いかけに、男は目を逸らして露骨につまらなそうな顔をする。

彼は右手の斧を新体操のバトンのように空高く放り投げ、くるりと一回転させると再び木製の柄を握りしめた。

まるで、サーカスショーの曲芸師でも見ているようだった。

「生きる気があるなら殺さない、けど……死にたくないなら僕のことは出社途中のしがないサラリーマンだとでも思ってくれ」


平日の昼間から樹海を斧と死体を片手に闊歩する成人男性の存在はどう見てもカタギのサラリーマンとは程遠い。

綺麗なかんばせも手伝って、シンプルな黒いワイシャツにラフなジーンズという姿はどちらかといえば、若いツバメと言われた方がしっくりくる。

「サラリーマンには、見えないです……あっ、いえ、悪い意味ではなく!」

黒曜石を思わせる澄んだ墨色の瞳。

彼とわたしの視線は出会い、彼ははにかんだように笑う。

しかし、やがて堪え切れないとばかりに噴き出し声を上げて笑い始める。

あまりにもよく笑うものだから、笑顔は結構可愛い系なんだなとわたしは最早現実逃避のように考え始めた。


「キミは若い女の子だからね、死んだあとも汚くならないようにしてあげるよ。そっちの方が良いだろ?本当に運が良いな。キミの生命の蝋燭は僕がいつでも吹き消してやれる。幸福なキミは自殺なんて寂しいことをしなくて良いんだ。つまり、キミの死体は僕が食べて良いんだよね?」

彼はうれしそうな表情を浮かべて、わたしに聞いた。

断る理由も無かった。

元より死ぬ為になけなしの貯金を全て崩して道具を揃え、この場所まで来たのだ。

しかし、樹海まで来て首吊りをしても確実に死ねるとは限らない。

運悪く誰かに見つかって助かってしまう危険性だってある。


それなら、目の前の男に殺されてみるのも良いのでは無いのだろうか。

何より相手はこの美男子である。

わたしの最悪な人生を最高の最期で彩るにはもってこいだろう。

どうせ死ぬのだから、危険かどうかなんてもはやどうでもいいことだった。

それに、死体から発せられる鼻から脳を貫くような異臭は本物だ。

彼は確実にわたしを殺すだろう。

死体を掴む手は微かに茶色で汚れている。

彼は死体から手を放すとジーンズで手についた土を雑に拭ってから、わたしの頬に手を伸ばして優しく撫でた。

彼は顔を耳に近づけて、優しい声で囁く。


「美味しく食べたキミのことは、ずっと覚えてるからね。僕がカミサマになった世界でしあわせにしてあげる。あはははは」

空には一欠片の雲すら見えず、地面には木漏れ日が揺れている。

わたしは木の枝と首から縄を外し、椅子から飛び降りてスニーカーを履いた。

両手の塞がった彼の為に、わざわざ家まで生きて着いて行くことにしたのだ。

いくら拭っても顎の先から滴り落ちる汗をそのままに、改めてわたしの隣を歩く男を見つめる。

うつくしい横顔は今すぐ殺されても良いとすら思うほどだったけど、それは彼が望むことではなさそうなので機嫌を悪くしないために黙っておくことにした。

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