第70話 全員アウト
「あれっ?! もう帰って来ちゃったのぉっ?!」
みかどのドアを開けるといらっしゃいませの言葉よりも先に飛び込んできたのは、おパさんの声である。
「意外と早かったですね」
カウンターでグラスを拭いている麦さんが冷静にそう言うと、「なぁんだよぉ、もっと遅くても良かったのにぃ!」とコーヒーのデカンタを持ったおパさんがぷりぷりと怒っている。漫画的表現をすると頭から湯気が出ている感じだ。
「そんなこと言われても。お店暇だったの?」
そう言いながら、慶次郎さんがいそいそとエプロンを着ける。どうやら今日は着替えずにこの恰好のままで店に出る気らしい。ちなみに本日のネタTシャツは『一寸先はyummy!』というロゴのもので、輪郭のないスマイルマークみたいなやつが添えられている。歓太郎さんチョイスのネタTの中では比較的マシなやつだ。これならギリギリ――いや、もう少し頑張ってくれ。
まぁでもエプロンでそのプリント部分が隠れればただの白Tだから――って残念! ギリ隠れない位置! てめぇ歓太郎さん、絶対狙って買ってるだろ! ていうか、そろそろ慶次郎さんが自分で選べ! あの兄貴に任せんな、もう! でもそれはそれで危険な香りしかしない!
「いえ? そこそこですかね。だってほら、『
「うん。だから大丈夫かなって思ってたんだけど」
「全然大丈夫じゃないよ!」
「何かよくわからないけど、ごめんってば。フードメニューがあんまり入らなかったとか? ランチの時間だったのになぁ」
「違うよ!」
ゆるふわ天使のような成人男性が頬を膨らませてぷりぷりしているのを、三組のお客さん達は、何だか我が子でも見つめるような慈愛に満ちた目で見守っている。こっそりスマホを向けている人もいる。あっ、すみません、ここ、従業員の撮影は御遠慮いただいてるんですよ。ラテアートとかそういうのは全然オッケーなんですけど、ってここ、ラテアートとかやってたっけ?
あぁでもきっとあたしが注意したら逆にややこしいことになるんだろうな。あたし別にここの従業員でもないし。
「やっと慶次郎が勇気を出して葉月に告白するもんだと思ってたのにぃ……」
うつむき加減で何やらゴニョゴニョ言っているせいか、全く聞こえない、何、珍しいね。いっつもうるさいくらい声を張ってるのに。
「じゃあもういいや、麦、純コ、プランBだよ! 葉月、次はぼくらとデートしよう!」
「えぇっ!?」
「……ハァ? いきなり何? ぼくらとデートってどういうこと?」
あのねぇ、こないだぼく良いお散歩コース見つけたんだー、とかにこにこと左右に揺れてるけど、だからそういうのはさ、こっちの了承を得てからにしてくれないかな!?
「さすがに三人全員というのは葉月も大変でしょうし、まずは各々がしっかりデートプランをプレゼンして、最も魅力的だと思うものを選んでいただこうかな、と」
「えっ!?」
「はぁぁ? いただこうかな、じゃないよ!」
「ちなみに私のプランはですね、穴場の古本屋さんにお連れしようと思っています」
「いや、ちょっと、そんな勝手に決められても……」
「そんでおれは、駅前のたいやき屋だな。あそこ、また新作出してたからさ、食いに行こうぜ!」
「いやいや、あたしの意見無視かよ!」
待てよ。
この流れからして、もう一人来るはずなのだ。
そう、あのわいせつ神主である。
どうやら巫女も兼任しているらしいという、まぁ言われてみればビジュアル的には巫女感がなきにしも系の中性的な顔立ちをした、中身はただのわいせつ野郎だ。
どこだ!
どこから来る!?
正攻法で入口からか!?
それとも勝手口か!?
腰を落としてキョロキョロと辺りを見回すが、一向に、あの腹立たしいほどうる艶の黒髪を持つ見た目だけはクールビューティー系神主が現れる気配はない。
「どうしたんです、はっちゃん?」
「い、いや、何でも……」
油断するな。油断しているところでひょこっと現れるんだ、あいつは。
「とりあえず、座ってください。いま何か冷たいものでもお出ししますから」
「いや、そんなお気遣いなく」
と言いつつもちゃっかりカウンター席に腰を下ろす。どうやらお客さん達のオーダーはすべて終わっているらしく、内二組に至っては、帰り仕度を始めている。
「お気遣いしますよ」
思っていたよりも早く、目の前にグラスが置かれる。アイスコーヒーだ。
「だってはっちゃんは僕の」
「っあー! わー! わー!」
「な、何ですかいきなり」
「何ですかじゃないよ。ちょっとやめてよこんなところで」
「こんなところ、って、僕のお店ですよ」
例えお前の店でもだ!
アレだろ、まーた「はっちゃんは僕の太陽だ」とかそういうの言う感じだったでしょ。やめてよ、他にお客さんいるでしょうが! いや、お客さんがいなかったとしてもよ。いまどき「君は僕の太陽だ」とか言う人いる!? いや、ここにいたけれども。あっでも太陽はやめって話になったんだっけ。じゃあ止めなくても良かったのか。
「とりあえずいただきます!」
ごくごくと喉を鳴らしてそれを飲む。ああこれは、水出しコーヒーか。成る程、道理であっという間に出て来たはずである。
っかぁー、と一気に飲み干して、コルクのコースターの上にそれを置くと、「良い飲みっぷり!」という合いの手が背後から聞こえて来た。お冷のポットを持った純コさんだ。
「お代わりいるか? それとも
「えー、あぁ、いや、良いかな」
「そうだよ! 葉月はもうぼくとお出掛けするんだから、そんなにお代わりさせないでよ純コ!」
「何でもうお前と行くことになってるんだ! 第一、こんな炎天下の中連れ回されたんだから水分補給は大事に決まってんだろ!」
「ちょっと待ってよ。連れ回したって、そんな!」
「はい、お会計千五百二十八円でございます。ありがとうございました。次のお客様どうぞ。お会計は別になさいますか?」
もふもふケモ耳(お客さんには見えてないけど)兄弟(しかも長男と末っ子)の口論にその主であるヘタレ陰陽師が加わるという、何ともカオスな状況の中、麦さんが淡々とお会計を済ませる。野口さんが千円だとか樋口さんが五千円だとかそういうのはわからなくとも、設置されているレジが優秀なので、表示された数字を読んでお金を入れ、ボタンを押しさえすれば正確にお釣りが出るのである。
「さぁ、葉月。ぼくとデートに行こう!」
「いや、デートって。お散歩でしょ? さっきお散歩コースがどうたらって言ってたし」
ごく自然に絡ませてきた腕をやんわりと解く。以前は何をどうしても振り解けなかったのに、今日はやけにあっさりと離れてくれた。そのことに少々違和感を覚えたけれども、そこを指摘すれば確実に面倒なことになるだろう。
「んっふふ、お散歩もれっきとしたデートだもん~。最後は、夕日を見ながら公園のベンチでちゅーとかしちゃう感じ~。ほーら、立派にデートでしょ?」
「おい、ちょっと待て! 何だいまの!」
主にちゅーとか、ちゅーとか、ちゅーとか!
「そうですよ、おパ。こんな炎天下の中で一日中歩かせるなんて、葉月が倒れたらどうするんですか」
「いや、そうじゃなくて」
「葉月、ご安心ください。私の方は移動こそしますけれど、基本的には屋内です。私以外に誰も来ないような寂れた古書店があるんです。あそこなら店の奥でキスしてもバレません」
「ヘイ! お前ヘイ! 店の中で何する気だヘイヘイヘーイッ!」
思わず妙なリズムでヘイとか言っちゃったわ!
何で今日は麦さんまでキスとか言いだすわけ?!
「あーそっかぁ、歩きっぱなしはキツイよなぁ。駅前のたい焼き屋と、アイスの屋台に、それから、田畑精肉の牛肉コロッケも外せねぇと思ったんだけどなぁ。どうすっかなぁ」
「そんでお前は食いもんばっかりだな!」
だけどまぁ、むしろその方がちゅーだのキスだのがあるよりは――、
「まぁ、最終的には葉月を食うんだけどなっ」
「お前が一番アウトぉ――――――!」
めっちゃ良い笑顔で何言ってくれてんだ貴様!
却下! もう全員却下に決まってるでしょこんなの!
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