第57話 この外道が!
さっきの音は何だったのだろう、と慶次郎さんを見る。
部長はまだ、その音の出処を特定出来ていないらしく、窓の方ばかりを見ている。恐らく、雷か何かだと思ったのだろう。
ごく、と唾を飲む。
ここから、どうなるんだろう。
何となくだけど、あたしはもうかなり安心している。
あたしは絶対無事にここから出られるだろう、って。
どう考えても取っ組み合いとかなら絶対負けそうな人なんだけど、それでも、どうにかしてくれそうって思ったのだ。だって、スーパー陰陽師だもんな。本人はそう思ってないっぽいけど。
だけれども、この状況から、何がどうなって一件落着となるのかが全く見えない、というだけで。
などと考えていると、慶次郎さんが、す、と片足を上げた。といっても、高く上げたわけではない。その場で足踏みをする程度の上げ方、っていうのかな、いや、それよりは高かったかも。だけど、とにかく、それくらいだった。
だから――、
まさかたかだかそれくらいの高さから下ろしたその足から、それほどまでに強い音が鳴るなんて思わなかった。音だけじゃない。この小屋全体が震えるほどの衝撃である。
だん、だん、と一歩進んでは角度を変え、また数歩進んでは角度を変えてと、奇妙なリズムでそれは続いた。それと共に、地を這うような、おおん、おおん、という低い声が聞こえてくる。その声も慶次郎さんのものだのだろうけど、にわかには信じがたい。普段の彼の声はもっと高く、澄んでいるのだ。くるりと回ってこちらを向いた彼の薄い唇が微かに動いているのが見える。ああ、やはり彼の声なのだ。あの、男性にしては――なんて言っちゃっても良いのか、いつもほんのりと紅い唇から、まさかあんな獣の唸り声みたいなのが出るとは。
おおん、という言葉以外にも、呪文のような御経のようなものも聞こえてくる。けれどなんて言っているのかも、もちろん意味だってわからない。ただ、『フルフル』だったか『ユラユラ』だったか、何かそんなようなのは聞き取れた。ああ、これは確かにホンワカパッパではなかったな、と思う。
そして、最後に一際大きく、だん、と足を踏み鳴らす。床が抜けちゃうんじゃないだろうか、というのも心配だが、あの
けれども、床が抜けることも、彼の足が砕けることもなかった。
その代わりに――というのか、部長の腰の方が砕けたようだった。
べしゃりとその場に尻をつき、何やらぶるぶると震えている。それを真上から見下ろす慶次郎さんの目は冷たい。一度だってそんな目で見られたことはないし、さんざん彼をからかう歓太郎さんやケモ耳達にもそんな目をしているのを見たことはなかった。
「な……何だよ、お前……、ほんとに」
「さっきも言ったはずだ。陰陽師だと」
「は、はぁ……? 何が陰陽師だ、このコスプレ野郎!」
「何とでも言うが良い。しかし、それではお前はただのコスプレ野郎に腰を抜かしたということになるが」
「ぬ……っ、抜かしてなんか……!」
いや、がっつり抜かしてるで、アンタ。
「なんっ……、何か、知らないけど、身体が動かないんだよ! 何だよ、これ!」
実際そうなのだろう、彼の両手は、まるで床に縫い付けられてでもいるかのように、不自然な形で固定されている。たかだか腰を抜かしただけなら、手はあんな風にはならないはずだ。
それを見た慶次郎さんは、ふん、と鼻を鳴らして、部長の周りに視線を泳がせた。彼ではなく、彼の背後を、つぅ、となぞるように。
「お前を強く怨む者達の生霊が押さえているんだ。心当たりが、あるだろう」
「はぁ? 心当たりなんか――」
そう言う部長の股の辺りに、ばさり、と茶封筒が落とされた。音からして、なかなかの厚さと思われる。上手いことそれの角がブツに刺されば良いのにと願ったが、慶次郎さんが配慮したのか、はたまた偶然か、そんなこともなかった。運の良い野郎だ。
「『二〇一九年七月九日』」
「――は」
「『従姉妹の娘が遊びに来た。子どもだとばかり思っていたが、時の流れというのは侮れないもので、気付けば彼女も十九である。』」
「な、に。お前、何で」
「『未成年だが、発育も良く、相当遊んでいる印象。ならば、と飲みに誘ってみる。奢ると言えば、案の定釣れた。やはり胸がデカい女は尻も軽い。』」
「おい、やめろ」
ちょっと待ってよ。
部長、何やってんの……?
「『既に酒の味も知っているようだ。とんでもない不良娘である。』……それで、彼女に、何をした。彼女以外の記録も全部見つけた」
「それは……その……」
「心当たりが、あるな」
だいたい察しはつく。
あたしと同じことをしたのだろう。いや、あたしはとりあえず未遂であるわけだから、彼女と、いや、彼女達と同じことをこれからされる予定だったのだ。
「……こンの、外道がぁぁぁぁぁっ!」
思わず叫んだ。
固定されている手足をガッシャガッシャと動かして。そんなことをしたって外れないことくらいわかっている。だけれども黙っていられるものか。
「慶次郎さん! これ外して! マジで! あたしが! あたしがぶん殴ってやる!」
「ちょ、ちょっとはっちゃん。駄目です。暴れないで! 痛いですから!」
「痛くない! あたしは痛くない! あたしよりも痛い思いした子がいるんだ! その分まで殴ってやっからよぉ! 早く外せやぁぁぁぁぁ!」
「はっちゃん! い、いま外しますから! お願いですから、暴れないで! ああ、はっちゃんの綺麗な手と足があぁぁ!」
「うるせえええ! 鍵だ鍵! そいつが持ってっから! 探して持ってこぉい!」
手足を拘束しているのは手錠であるため、これを外すには鍵が必要だ。だからつまり、慶次郎さんはいまだ動けないでいる部長のありとあらゆるポケットをまさぐって鍵を見つけ出さなくてはならないのである。
何でこんなにポケットがあるんだよってくらいに、部長の服は上も下もポケットだらけで、あたしがぎゃあぎゃあと彼を口汚く罵る中、慶次郎さんは「はっちゃん、もうそれ以上は!」とか「はっちゃん、それは女性が口にすべき言葉ではありません!」などと合いの手を挟みつつ、ありとあらゆるポケットに手を突っ込みまくっていた。
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