第58話 三色毛玉

「――ありました! はっちゃん、お待たせしました! いま外します!」


 宝物でも見つけたかのような良い笑顔を向ける慶次郎さんに「よっしゃ、でかしたぁ! とっとと外せぇっ!」と顎の動きで指示する。何かもう、気分は海賊か何かの女親分である。


 早く早く早くと足をバタつかせると、そこに優しく手を置いて、彼は言った。


「はっちゃん、落ち着いてください。気持ちはわかりますけど、そんなに暴れたら駄目ですよ。血が滲んでます。今日、お風呂滲みますよ」

「別にそれくらい」

「僕が嫌です」


 凛とした声だった。

 いつも自信なさそうに背中を丸めてばかりのスーパー陰陽師は、まっすぐにあたしを見つめてしゃんと背筋を伸ばしている。それは、的に向かって一直線に空気を切り裂く矢のように、あたしの胸に届く声だった。


「僕が、嫌です」

「別に、慶次郎さんはさ」


 痛くないじゃん、とそれだけ返すのがやっとだった。やっと自由になると思ってホッとしたのだろう。いっちょ前にこのあたしも怖かったらしい。らしくないけど、声が震えている。

 手足が自由になると同時に無理に動いたせいだろうか、いまさら付け根や関節が痛み始めた。手首と足首は擦れて真っ赤に腫れ、彼の言うとおり、うっすらと血が滲んでいるところもある。


「僕も痛いです。はっちゃんが痛いと、僕も痛い」

「そんなわけないじゃん」

「そんなわけあります。あるんです。はっちゃんは、僕の太陽ですから」

「お、おぉ、そうかい。そんならあたしが光っててやるから、あいつを何とかして」


 スーパー陰陽師なんでしょ、と言うと、彼はいつものように「僕はスーパー陰陽師なんかじゃありませんよ」とは言わなかった。


「無論」


 それだけを言って、彼は鋭い目つきで部長を睨みつけた。


 いまだおかしな姿勢で床に縫い付けられたままの部長は、股の間に置かれている封筒をじぃ、と見つめていた。落下の衝撃で、中身がほんの少し出ている。写真だ。むき出しの女性のふくらはぎが見えて、写真ものだろう、ということがわかった。わかったからもう、あたしはすぐに視線を逸らした。いくら同性でも、見たいものではないし、軽々しく見て良いものでもない。


 これを慶次郎さんが持っていたということは、彼は見たのだろうか。いや、見なければ部長の悪事はわからなかったはずだし、たぶん見たんだろう。仕方ない、とは思っても、気分の良いものではない。


「安心してくださいはっちゃん。僕は見ていません。見つけてくれたのはです」


 あたしの心を見透かしたか、彼はそう言った。彼らって誰よ、と尋ねる前に、ふわ、と首筋を撫でたものがある。


 もす、と視界を埋め尽くしたのは、ふわふわの毛玉である。かなりの大きさなのに、全く重さを感じない。その証拠にマットレスはわずかにも沈まなかった。


 その毛玉は、うっすらと発光しているため、こんな薄闇の中でもはっきりとその色がわかる。白と、金色と、焦げ茶色だ。


 そのそれぞれの毛玉から、ひょこ、と耳が飛び出す。くるり、と向きを変えれば、もふもふとしたたてがみのある、不思議な顔をした犬だった。

 犬……? 犬なのかな。でもどこかで見たような顔だ。ああ、そうか、これは――


「狛犬?」


 ぽつりとそう口にすれば、そのうちの一体、金色の子が「三分の二、正解!」と声を上げる。よく見れば、この子の鬣だけくるんとした巻き毛だ。ぼくだけ違うんだよ、とくるくるの巻き毛を揺らしてもふもふ笑う。こののんびりした喋り方と、何よりもこの毛の色!


「おパさん?」

「そうだよ、ぼくだよ、葉月!」

「大丈夫ですか、葉月」

「おれ達が来たからもう大丈夫だぞ」


 残りの二体も口々に言い、もふもふと顔を擦りつけて来る。わかったわかった。麦さんと純コさんなのね。もうわかったってば。


「あれはね、ぼく達が見つけたんだよ」


 ふふん、とくるんくるんの鬣をふるふると振って、おパさんは得意気だ。


「ぼくはとっても鼻が良いから!」


 鼻でわかるもんなの? 嗅ぎ分ける的な? 写真だよ?


「おれは耳が良い!」


 と、次は純コさんが胸を張る。いや、耳の要素いる? 写真だよ?


「そして私は目です!」


 負けてられるかと麦さんが続いたけど、いや、目の要素もさ。いやでも、目は必要か? やっぱりいらないのは耳……? 鼻もよくわからないけども。


 まぁ、とにかく、この三人――いや、三匹が見つけた、というのはわかった。わかりましたって。


 ここに歓太郎さんがいたら、「そして俺は口が上手い!」とかドヤ顔で言いそうだな、などとついつい考えてしまい、危うく吹き出すところだった。


 いや、しかし。


「君達、ちゃんと慶次郎さんに協力したのね」


 良い子良い子、と順番に撫でてやると、一斉にもふもふの尻尾を振り出す。ああもう、視界が三色の毛で騒がしいっ!


「そりゃあね。だってぼく達、慶次郎の友達だもん」

「友達……」

「友達が困ってたら、そりゃあ助けるに決まってるさ、なぁ」

「そうです。友のためと思えばこそ、心を鬼にもするというものです」


 成る程、友達なら命令がどうとかじゃないよなぁ。友達というのは対等なんだから。それに、果たすような『目的』なんていうのも、正直なところあってないようなものだ。友情は、ちょっとやそっとで消えるものではない。だから彼らはいつまでも消えないのだ。それに気付いて、ホッとする。良かった、彼らはずっと慶次郎さんと居てくれるんだろう。


「ほら、慶次郎。ぼさっとしていないで、さっさと片付けておしまいなさい」

「そうだよ。ぱっぱと終わらせて葉月のお誕生会しようよ」

「予定では明日だったけどな。こうなりゃ夜通し祝おうぜ」


 やいやいと毛玉達に急かされている慶次郎さんは、ぶつぶつと「わかってるよ」と口を尖らせる。もふもふ達の登場で、何だか場の空気が緩くなってしまっていたが、その視線が再び部長に向けられる時には、またひりりとした緊張感が辺りを支配した。


 指を二本立て、口元へと移動させる。呼気が漏れたような、うんとささやかな声が聞こえ、その指を、部長の股間――いや、股間って言うの嫌だな――封筒に向けた。


 と。


「――ぎ、ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 傍目には何も起こったように見えなかったのに、部長は目を見開いて絶叫した。毛玉達もまた、「うわぁ……」だの「あれは些か」だの「慶次郎えげつねぇな」などと、恐れおののいている。

 

 えっ、何。

 何したのよ、慶次郎さん。

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