第29話 ノー、ノット美人って何だよ!
とにかくどうしても濃茶の着流しは嫌だということで、渋々その恰好で出掛けることになった我々である。こうなったらもういっそアレだ。服は現地調達するしかない。
そう思って歩き始めて気が付いた。
裏にもプリントされてるのね、このTシャツ。そんで裏は『無縁バター』って書いてる……。縁のないバターって何よ。どういう状態よ。逆に縁のあるバターも謎だけど。あのわいせつ神主、どんなポイントでこのTシャツ選んだんだよちくしょう!
「……はっちゃん。気のせいでしょうか。何だか視線が痛いです」
「奇遇だね、あたしも」
これはアレだな、何でこんなイケメンがあたしみたいな乳だけ女と歩いてんのよ的な視線だろうな。間違いないわ。せめて昨日の恰好だったら良かったんだけど、あたしも近所のコンビニに行く時の恰好だもん。
そりゃそうよ、慶次郎さんはイケメンなんだもん。例えTシャツが発光バターだろうが無縁バターだろうがイケメン度は変わらないのよ。ぶっちゃけ誤差の範囲内だわ。
「ごめんね、慶次郎さん」
「何ではっちゃんが謝るんですか?」
「たぶんね、あたしのせいなんだ、その視線」
「えぇっ!?」
なぜはっちゃんのせいだと……? と真剣に考え込んでいる慶次郎さんは、広告のモデルみたいだ。しかもあれね、香水とかさ、そういうしゃれたアイテムのね。下着とかじゃなくて。いや、下着でも良いけど。ただし、あのウエストゴムのところにCKとか書いてる、それただのブリーフじゃないんだ?! っていう海外ブランドの男性下着ね。
「それはもしかして、僕みたいなのがはっちゃんと歩いているのが、その、身の程知らずとか、そういう意味でしょうか」
「どーしてそこまで卑屈になれんのかなぁ? 慶次郎さんよぉ」
土曜日にも拘らず『休業日』のプレートを下げている個人ブティックの前で立ち止まり、その大きなガラス窓を指差す。
「よっく見てみなって。良い? ユー、イケメン、オーケー?」
「へ?」
「オーゥゥケーェェーイ?!」
「お、オーケー、です」
「そんで、ミー、ノット美人、オーケー?」
「ええ? ノー! それはノーですよ! ノー、ノット美人です!」
何だその英語。
ていうかあたしもか。
「いやいやいやいや、慶次郎さん。視力大丈夫?」
「僕、目は良いんです。ばっちりです」
「うーん、だとしたら美的センスがイカレてんだな、可哀相に」
はぁ、と大きくため息をついてみせると、慶次郎さんはガラスの方ではなく、真正面からあたしをまじまじと、それはそれはもうまじまじと、もう舐めるように、まさしくこれが『舐めるように』って状態なんだなってくらいに全身くまなくじぃーっと見つめてきた。
「きれいですよ。とても美人さんに見えます」
「うーん、まぁ、そういうことにしてくれても良いけどさ。残念ながら、世間一般ではね、あたしってぶっちゃけ『胸だけ』なんだよね」
「む、『胸だけ』とは?!」
それはもしや妖怪の類……?! とマジで混乱してるけど、本当に大丈夫なんだろうか。いや、いっそあたしがそういう妖怪だったら良かったよね。そしたらほら、陰陽師としての出番なんだし? あたしもその『胸だけ』部分が浄化なり何なりしてくれれば願ったり叶ったりよ。
でも残念なことに、あたし、人間なんだわ。
「いや、だからさ。そのまんまの意味よ。自分で言うのも何だけどね? ナンパとかは結構されるんだ、あたし。でもそれってぜーんぶ、身体目当てなわけよ。全く納得いかないんだけど、どうやら世の中にはね、『胸がデカい=遊んでる』って思ってる人が結構いるみたいでね?」
「それは単なる二次性徴の結果であって、育ち方には個人差もあるでしょうし、そこが大きいからといって遊んでるなんて言いきれないのでは。真面目に勉強している人もたくさんいると思いますよ、僕は」
「うん、何となく慶次郎さんの言う『遊ぶ』の意味が違う気がするけどまぁ良いわ。とにかくね、あたしの場合、この乳だけなの。ここが本体。顔なんかどうでも良いのよ」
もう自分で言ってて悲しくなってきたわ。
やんなるくらいに育った胸に手を当て、ほよんほよんと弾ませてみる。きっと枕にしたら最高なんだろうな、なんてぼんやりと考えながら。
「……はっちゃん、僕は」
「うん?」
「僕は、その、そこが大きいからどうこうっていうのはよくわかりませんけど。でも、僕ははっちゃんが不真面目だとは思いませんし、魅力的なところがたくさんあると思ってます、よ」
そこでちらりとあたしの胸を見て、すぐに逸らす。そうして、明後日の方向を見たまま、ぽそりと「あなたは僕の太陽だから」と呟く。いや、そういうのはもっと声を張って言ってくれ。ううん、やっぱ良いや、こんなの声を張って言うやつでもないわ。恥ずかしい。
「ま、まぁー、良いや。行こ行こ。慶次郎さんが気にしないってんなら、あたしこのままで良いや。そんでさ、せめて慶次郎さんの服だけでもちょっとましなやつ探そっか」
「これ……変ですか?」
シャツの裾をちょんと引っ張ってロゴに視線を落とす。うん、変です。とは言い難いけど。
「変だわ」
やべっ、口が滑った。
案の定慶次郎さんは、しょん、と肩を落とした。変なんですか、これ、と言いながら。ああでも、そうか、勘太郎さんが選んだんだもんな。例え彼自身には悪意があったとしても、悪意しかなかったとしても、だ。恐らく慶次郎さんにはそんなことわからないんだろうし、兄が自分のために良かれと思って買ってきてくれたと思っているんだろう。
「まさか歓太郎が……」
うんと傷ついた顔をして、発光バターというロゴをなぞる。
残念だけどさ、あのお兄ちゃん、きっとあなたが思ってるほど良い人ではないんじゃないかな。いまごろ、自分の弟がクソダサネタTシャツを着て往来を闊歩しているの想像してほくそ笑んでると思うよ。
「そんなにおかしなセンスをしていたなんて……」
「ううん?」
「だけど、そんな彼が僕のために一生懸命選んでくれたんです」
一生懸命かどうかは甚だ疑問である。
「だから!」
そこで彼は初めて顔を上げた。
何ていうか、今日イチのきりっとした顔である。何らかの決意を固めた表情っていうのかな、いっつもそういう顔してりゃ良いのに、この人。
「歓太郎のその思いを汲んで、僕は今日、これを着続けます!」
……うーん、ここで声張るかぁ。まぁ良いけどさ。
「えっと……、うん。好きにして、もう」
「はい!」
「おう、めっちゃ良い返事出来るじゃん、君」
「はっちゃん、行きましょう!」
「お、おう……」
多分この人、僕は歓太郎の好意を無駄にしないよ! とか思ってるんだろうな……。歓太郎さん、良い弟を持ったね。
お前は少し反省しろ。
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