第27話 よし、結界の外に出そう!

 それで、だ。

 作戦会議なのである。


 ただ、作戦会議作戦会議と言いつつも、正直なところ、何に対する作戦会議なのかいまいちわからないんだけど。ていうか何、今日って貸し切りなの、ここ? まぁ良いけどさ。


「とりあえず、会議にはコーヒーです」


 言われてみれば確かにそんな気がしないでもない。確かにドラマの中の会議では何かしらの飲み物がデスクの上にあったし。カフェインを摂取した方がきりっと頭も冴えるしな、などと思って、慶次郎さんが湯呑に淹れてくれたホットコーヒーを飲む。


 今日はグロスなんてシャレたものを塗っていないから、湯呑を拭ったりはしない。出掛けに塗った薬用リップすらも飲み食いしているうちにすっかり落ちてしまっていた。


 例えばここにグロスをべったりとつけるのが女らしさなのだろうか、なんてことを考える。

 真っ赤な口紅の跡なんかはちょっとセクシーに思えてしまうけど、あのグロスってやつの、カタツムリが這った後のようなぬらぬらとした質感は、逆にちょっと汚らしく見えるというか。やっぱりその都度その都度拭き取るのが正解なのかな。うん、どちらかといえばそっちの方が女らしい気がする、かな。いやーでも、案外男の人はそのグロスにドキドキしたりするのかもしれないし。


「……ちゃん、……はっちゃん?」

「おわ! 何!」


 目の前で手を振られ、ハッと我に返る。


「どうしました? 美味しくなかったですか?」

「いや? 美味しいよ」

「それなら良いんですけど。その、ずっとそれを見つめているので」


 何か失敗したかなって、と眉を下げる。彼の分のコーヒーは相変わらず升に入っていて、それにそっと両手を添え、困ったような顔でへにゃりと笑った。


「あんさ」

「はい?」

「もっと自信持ちなって。何ていうかさ、もう何回言ったかわかんないけど、そういうとこなんだって」

「そういうとこ、と言いますと?」

「食べ物の好き嫌いもそうだけどさ。もう全体的に? 自信がなさすぎ。別にオラオラ系になれってことじゃないけどさ。何、あたしはそんな美味しいかどうか自信がないやつ飲まされてるわけ?」


 そんなことは、と反論するその声もやはり弱い。


「謙虚ってのはさ、日本人的には美徳ってやつなんだろうし、あたしも日本人だからさ、そんな馬鹿みたいに自信満々で俺が俺がって人は好きじゃないけど、慶次郎さんのはちょっと目に余るっつぅか」


 そう言って、まだ熱いコーヒーをごくりと飲む。


「あたし、まぁぶっちゃけコーヒーのことなんか全然詳しくもないけどさ、慶次郎さんの淹れるコーヒーは美味しいと思うよ」


 そりゃあこの店に入ったのはあのゲリラ豪雨がきっかけではあったけど、この香りに誘われた部分だって大いにある。

 

「コーヒーは……」


 升の中のコーヒーに視線を落としたまま、ぽつ、と話し出す。


「昔から歓太郎が良く褒めてくれたんです」

「ほぉ」

「僕は高校を出たら神社を継ぐ気でしたから、大学受験なんてなかったんですけど、歓太郎はそうじゃなかったから、毎日遅くまで勉強してて。それで、眠気覚ましにって」


 もし慶次郎さんが予定通りに神社を継いでいたとしたら、歓太郎さんは大学生活をさぞかし謳歌していただろう。学生生活の半分くらい留学してそうだけど。いや、そもそも外国の大学という可能性もある。インドとかな。インド好きみたいだし。


「歓太郎、本当はコーヒーが好きじゃないんです。いまでもあんまり飲まないんですけど、だけど、僕のコーヒーだけは美味しいって。だからもし、神社の息子じゃなかったら、カフェの店長だな、なんてよく言ってました」


 まさかそれが叶うとか思いませんでしたが、と自嘲混じりに笑う。


「歓太郎は、すごいんです。やると決めたらとことんやるタイプで。僕がこんなことになって、一時的にでも神社を継ぐってなったら、そっちの勉強もたくさんして、あっという間に色々覚えて」

「何か言ってたね、優秀だって」

「だけど僕は」


 そう言って、しょぼん、と肩を落とす。


「出来ることが少なくて」


 コーヒーと、あと式神を出すことと。たぶんそれくらいしか。


 そうこぼす。

 力なく落とされた肩は、内側に丸まり、華奢な身体がより一層小さくなる。


 ――いやいやいやいや!


 コーヒーはまだしも、式神とか!

 普通はないから、そのスキル! それが出来るだけでもとんでもないことだから!


 と一般人のあたしは思うわけだけど、慶次郎さんにしてみれば、その力は生まれ持ってのものだ。これといって特別な努力をしたわけでもなければ、血の滲むような修行をしたわけでもない。


 それはこの世に生まれた時から備わっていて、息を吸うが如く自然に出来たことだ。だから彼が式神と戯れることは、積み木で遊ぶことと何ら変わりなかったのである。


「外の世界もたくさん知ってて、友達もたくさんいて……」


 ボソボソとそう話す度に、どよん、と空気が重くなる。ちょっと待って。何かあたしまで息苦しいんですけど。えっ、何か肩も重い。何か霊的なもの乗ってない? 


「ちょ、もうストップストップ。何かこの空気であたしまで死にそう!」

「えっ?」

「もー駄目。わかった、もう、そこからだ。な?」

「はい?」

「慶次郎さんの場合ね、もうマジで内面の問題。慶次郎さん自身の内面に問題があるんだわ」

「僕の内面ですか」

「そ。陰陽師のその……能力? その辺はあたしわかんないけどさ、ウジウジしてんのがもう駄目!」


 だん、と卓に拳を打ち付ける。慶次郎さんは、あわわ、と言いながら、「い、痛いですよ。そんなことしたら。駄目です」とあたしの手を擦ってきた。こいつこういうことはナチュラルにしてくんのな。


 まぁこれはこれで良いか。手を握られて恥じらうような年でもない――というか、リク先輩ならドキッとするかもだけどさ。


 というわけで。


「ううん?」

「行くよ、慶次郎さん」


 握られたままの手を逆に握り返す。


「え、あの、行くって、どこに」


 そんなの知るか。


 とりあえず、ここは駄目だ。ここもそうだし、あの神社もそうなんだろうけど、とにかくこの辺りは全部慶次郎さんの結界の中なのだ。外敵から身を護る、彼の結界である。


 出さなくては、この外から。

 何の刺激もない、微温湯ぬるまゆの空間から。


「あたしいつも土曜は街に出るって決めてんの。だから付き合って」


 ま、街に、と声を震わせる彼の手をぐいっと引っ張って立ち上がる。あーサンダルで良かった、サッと履けて便利ー。

 ざっざ、と足を滑らせるようにしてサンダルをつっかけると、彼は引っ張られるがままに草履を履いた。


「まさかと思うけど、行ったことないなんてないよね? 高校には行ってたんでしょ? だったら――」

「い、ってましたけど! でも、僕はいつもまっすぐ帰宅して、その、神事とか陰陽道の勉強を――」

「はあぁ? マジか?! あり得んわ、そんなの。じゃ、なおさらだ。行くよ」

「で、ででででも、この恰好で?」

「いや、良いじゃん。和装男子カッコいいじゃん。え、何、それとも、私服は和服じゃないの? 陰陽師なのに?」

「陰陽師だって、私服は洋服ですよ! いま令和ですよ?」


 確かに。

 いま平安時代じゃないもんな。


「わかったよ。そんじゃ着替えてきて。ただし、十五分ね。遅かったら置いてく」

「そんな!」

「走れぇっ! ダッシュっ!」

「は、はいっ!」


 ぱぁんと背中を叩いて送り出すと、成る程これが『けつまろびつ』という状態か、といった様子でわたわたと慶次郎さんは店を出ていった。


 すると――、


 あのかっこんかっこんが見える窓から、ひょこ、とケモ耳が三つ飛び出した。そしてそれはゆっくりと上昇し、三種三様のイケメンが顔を出す。

 きょろきょろと同じリズムで視線を左右に動かし、それに合わせてふかふかのお耳もひこひこと動く。


 が、その目があたしを捉えるや、三色の頭がびくっ、と震えた。何、いないと思ったの? そして、そろーりとフレームアウト――……、


「させるかぁっ!」


 その距離を一気に詰める。サンダルだからって舐めんな。靴擦れはクッソ痛いけど。


「ひょえぇ!」

「わぁっ!」

「おわぁ!」


 サンダルを脱ぎ捨てて座敷に飛び込み、その勢いのまま窓を開ける。


「へい、ちょっとユー達。後で話あっからな」


 ドスの効いた声でそう言うと、三人はケモ耳を、へにょ、と寝せて頷いた。

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