第16話 ホンワカパッパじゃないのはわかった!

 その後、女性の足をじろじろ見るのは確かにあまりよろしくないかもしれないが、アキレス腱のみであればその限りではない、みたいなことを伝えて、やっとそれは貼られた。


「重ね重ね、すみません」


 絆創膏貼り替えミッション(難易度★☆☆☆☆)を無事に終えた慶次郎さんは何だかもう憔悴しきった顔で、しょぼんと頭を下げた。


「もう良いって、そんな頭下げなくてもさ。えっと、そんじゃ――」


 と立ち上がりかけて気付く。


 あれ、あたし、このまま帰ったら無銭飲食じゃね?

 そうだよ、何かあれよあれよとここまで引っ張って来られたけど、そういやヒレカツ定食と升コーヒーのお金払ってないじゃん! あっぶねー。


 浮かせかけた腰を再び石段にずしりと下ろし、鞄の中から財布を取り出す。


「お会計、お願いします」


 そう言うと、慶次郎さんはぽかんとした顔をしてから、「あ、あぁ、そうでしたっけ」と頭を掻いた。


 お前も忘れてたんか! だったら黙って帰れば良かった! じゃなくて!


「あー、ええと、すみません。お店に戻って伝票を確認しないと……その……お釣りなんかも……」

「だよねぇー、ですよねぇー」

「なので、とりあえず、店、戻りませんか」


 まぁどうせ、店の脇を通らないといけないわけだしなぁ。


 というわけで、慶次郎さんと並んで石段を下りることになったわけだが――。



「――ひっ、だっ! たたたたた……!」

「だ、大丈夫ですか?!」

「大……丈夫って言いたいとこだけど……、ど、どうにも……!」


 靴擦れに限らず怪我というのは不思議なもので、患部がどのようになっているのかを見さえしなければ案外平気なんだけど、見てしまったが最後、みたいなところがある。さっきまで絆創膏なんか剥がれかけた状態にもかかわらず何とか我慢して走ったりも出来ていたのが、今度はきちんと保護したはずなのに痛くて痛くてまともに歩けもしない。そんでまたこの石段がね、もう、一体何段あんのよ、全く。


 というわけで、手すりをきつく握ってひょこひょこと一段ずつ下りているという次第である。


 こんな痛々しいあたしを見かねた慶次郎さんはもちろん「お手をどうぞ」なんて紳士的なことも言ってきた。けれども、どう見たって彼はこのあたしの体重を支え切れるようなマッチョではない。言っとくけどあたし、その場合、容赦なく全体重かけるつもりでいるからね? それを辞退したのが現在の結果なのである。


「あの、せめて式神で。それなら」

「いや、良い。式神ってあの三人でしょ?」

「いえ、あの、例の……」

「ああ……火事場のタイプ? いや、いいよ。ホンワカパッパ言うのも恥ずかしいでしょ? ほら、店も見えて来たし、あともう少しだから」


 まぁ、そのあともう少しが地獄なんだけどな! ていうか、店についてところでそこからどうやって帰るんだ、あたし。


「ホンワカパッパじゃないです……」


 慶次郎さんはしょぼしょぼと反論してきたが、ホンワカパッパが恥ずかしいのは事実なのだろう。透けるように白い頬をほんのりと赤らめて、何やらもごもごと口を動かしている。


 と。


「――おわぁ!?」


 ふわ、と身体が浮いた。

 いや、浮いたのではなく、持ち上げられた、が正しい。


 後ろから脇の下に手を差し込まれて、ぐい、と持ち上げられ、予期せぬ浮遊感に悲鳴を上げる。いきなり何なんだ、と首を捻って後ろを見ると――、


「――ぎっ、ぎゃあああああ!」


 絵本に出て来るようなのっぺらぼうである。

 髪の毛はもちろん、眉毛まつ毛うぶ毛もなくて、目も口もなくて、そんで、鼻もない。凹凸なんかまるでないデッサン人形のお相撲さんバージョンみたいなやつが、あたしを後ろから荷物のように抱えているのである。脇の下に差し込まれている手も、指なんか一本もなくてつるりと丸い。オイ、そんなんでグリップ力あんのかよ!


 じゃなくて。


 ええいおろせ! と足をばたつかせたいところではあるが、いま手を放されたら、下は石段である。その上、いまの状態からして、確実に尻から落ちる。いくらあたしの尻肉が厚くとも、尾てい骨が危ない。


「ちょ! 慶次郎さん!? 慶次郎さんの仕業だな! てんめぇ! いつの間にホンワカパッパしやがったぁ!」

「ほ、ホンワカパッパじゃないです!」

「言いたいことはそれだけか貴様ぁ!」

「まだ言いたいことはあります!」

「おおよっしゃ、言ってみろやぁ!」

「はっちゃん、暴れたら危ないです!」

「そういうことじゃねぇだろがいいい!」

「しっ、鎮まりたまえ!」

「うるせえええええ!」


 とにもかくにも、わぁわぁぎゃあぎゃあしているうちに、あたし達は店に辿り着いた。辿り着いたというか、運搬された、というのが正しい。

 あたしを運んでくれたお相撲さん型の式神は、慶次郎さんに向かって丁寧にお辞儀をすると、ふ、と消えた。残されたのは、人型の紙切れが一枚。それを拾い上げた慶次郎さんは聞き取れないほどの小さな声で何やら呟くと、それを細かく破って空に投げた。ちょ、そんなことして良いの、と言いかけたが、それはただの紙切れから、季節外れの桜の花びらになって、そうして消えてしまった。


「お、おぉ……」


 何それ。ちょっとすごいじゃん。そんなことも出来るわけ?


 すごいと見直しかけたけれども、さっき散々悪態をついてしまったためにそれを認めるのも何だか癪である。これで慶次郎さんがこれ見よがしにどや顔でもしてくれたらそれに乗っかることも出来たんだけど、彼は何てこともないような顔をしているのだ。恐らく、彼にしてみれば、本当に何てこともないのだろう。


「あ……、ありがと」

「はい?」

「その、運んでくれてありがと、って」

「いいえ、僕は何もしていません。運んでくれたのは式神ですから。ああそうか、失敗した」

「失敗? 何を?」

「彼にはっちゃんの言葉を聞かせてやれば良かったな、って。可哀相なことをしました。消すのが早すぎましたね」


 そんなことを言って、慶次郎さんは寂しそうに笑った。


 またもしょぼんと肩を落としてしまうのがいたたまれず、「とりあえず、中入ろっか。会計しなきゃだしね」と明るく言って、ドアノブに手をかける。慶次郎さんが「あ」と声をかけてきたけど、大丈夫、わかってるって。引き戸でしょ? 予習済みだから。


「――って、あれ? 開かない?」


 鍵かけたんだっけ? まぁそうか、そうだよな。全員出払ったんだから、そりゃあ施錠もするわな。ていうかこんな時間に店閉めちゃって大丈夫なんか。


「ですから」


 と言って、慶次郎さんがノブに手をかける。鍵を取り出すでもない。いま流行りの、鍵を身に着けてさえいれば、あとはボタンを押すだけで――みたいな動作もなかった。そもそもこのドアにそういうボタンもなければ鍵穴もない。


 そして、やはり何てこともないような顔をして、それを、カララ、と開ける。


「特殊なやつなんです。特殊な、というか、、というか」

「――は?」


 彼の言葉の意味がわからずにぽかんと口を開けているあたしに、「どうぞ中へ」と促す。それに背中を押されて店内に足を踏み入れると、それを待ち構えていたかのように、ざぁぁ、と再び大粒の雨が降ってきた。

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