違う正義

猫寝

第1話

「売れたら変わっちまったな」


 歌手も、芸人も、俳優も、文化人も、「売れる前の方が好きだった」。

 そんな言葉を投げつけられている。


 けれどそれは当然のことで、人間と言うのは立場で言動が変わる方が自然なのだ。


 新入生と卒業生では見ているものが違うし、生徒と教師では言うべき言葉が違うし、新入社員と社長が同じことを言ってる会社なんて怖さしか無い。


 そして人間と言うのは、同じ立場の人間の言葉に共感しやすい。

 共鳴と言い換えても良いだろう。


 売れないバンドマンが、100人足らずのお客さんに向けて発した世間への不満を吐き捨てる歌はきっと、「自分は世間に認められていない」という共通したコンプレックスを持っている人に届きやすい。


 それは、見ている景色が近いからこその共鳴だ。

 自分が言いたくても言えないことを、大声で発信してくれる。

 代弁者としての感謝もある。


 しかし―――だ。


 そのバンドが売れて、100万人に向けて歌を届けるときに、同じことを言うだろうか?言うはずがない。

 だって彼らはもう世の中を恨んでいないのだ。世間は彼らを認めたのだから。

 自分たちを認めてくれた世間に対して、どうして不満を街き散らす必要があるだろう。


 成功者には成功者にしか見えない景色があり、成功者だから生み出せる言葉がある。

 しかし、そこから発せられた言葉は、あの頃と同じ場所から動けないでいる受け手には、届きにくくて当然だ。


 時には、立場が違うからこそ届く言葉もあるだろう。それはそれで尊いものだ。


 けれど、一度「僕らの代弁者だ」と認識してしまった人たちから放たれる、遥か遠い「成功者の言葉」は、確実に違和感を内包する。


 それが、「売れたら変わった」の正体だろう。


 一度成功した人間からは、もう二度とあの頃のようなメッセージは出てこない。


 仮に出てきたとしても、それは彼らにとって過去の思い出を救い上げただけの表面的なものに過ぎず、そんな浅い言葉が心の深い所へ刺さるハズも無い。


 この方程式は、どの関係性にも当てはまる。


 どんなに深く解り合えていると思った相手でも、何かのきっかけで立場が変われば、すぐに分かり合えない思いが生まれる。


 子供から見たら、「親」、「夫婦」という絶対的な存在だったはずが、新しく恋をしてただの「女」や「男」になれば、その絶対性が崩れる行動に戸惑うこともあるだろう。


 言い方を変えれば、立場によって「正義」は変わる。


 人間は、違う正義を持つ人間とは分かり合えない生き物なのだ。


 人と人との争いは、常に正義と正義のぶつかり合いによって生まれる。

 これを悲劇と捉えるかどうかは、個人の価値観によるだろう。

 見る人が見れば、とても滑稽な喜劇かもしれない。

 しかし僕から見ればそれは、悲劇でも喜劇でもない。

 ただの「そういうもの」だと言うだけの、簡単な話なのだ――――――



「だから、僕が教頭先生に向かって、『この汚物にまみれたハゲ豚が!そのヅラを熱湯で茹でてすぐに頭に戻してやろうか!ヘドロみたいな顔しやがって、恥を知れ!』という言葉を投げつけたのも、教頭先生と僕の立場の違う正義のぶつかり合いから生まれたものであり、わかりあえないことは仕方のない事なのです。

 これは、価値観の戦争なのです。


                        5年3組 さかもと たくや」


 言いたいことを全て詰め込んだ文章を僕自ら音読している間、ずっと頭を抱えていた担任の先生が、口から大きな卵を吐き出すようにつぶやいた。

「たくやくん……反省文、書き直しね」

「先生!どうしてですか!?」

「全然反省してないからだよ!!」

「反省はしています!しかし、僕と教頭では正義が違うからこそ……」

「そういうのいいから!!明日までに書き直してきなさい!!」

 先生はそう怒鳴ると、夕日で赤く染まった教室から粗雑な足音を立てて出ていった。


 僕は自分の席に戻り、さっきの先生みたいな、あの時の教頭みたいな、真っ赤になった空を見ながら、ため息と共に言葉を吐き出した。

「ほら見ろ、やっぱり立場の違う人間とは分かり合えないんだ…」


 それがただ、分かり合うことを放棄していたのだと気づいたのは、僕が違う正義を手に入れる、数十年後のことだった

 でも、未来の僕の言葉はきっと、過去の僕には届かない。

 なんせ、正義が違うのだから。

 世の中って、どこまで行ってもそういうもんだからね!



              おしまい。

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