第82話 施設見学

 エステで可能な限りの施術コースを受けたベアトリクスさんは、直視できない程に光り輝いていた。


 リンパマッサージを受けたからか数時間前よりもスッキリしているように見えるし、フェイシャルエステで小顔になっていて血色も良い。腰までの金髪は、初対面時とは比べ物にならない程に艶々としてシルクの布のようにも見えた。長いスカートで見えなかったけれど、足もほっそりとしてむくみが解消されたらしい。


 温泉とエステの相乗効果はすごいな。


「アンタ、こういう時は大げさに褒めるのよ」

「苦手だなあ……」


 ビアンカに言われるまま、思った事をストレートに伝えて褒めまくってみた。するとベアトリクスさんはたいそうお喜びになっていた。貴族社会では相手から褒められても裏がある場合が多いらしく、何の企みもない人から手放しで褒められるのは案外グッと来るという。


 でもごめんなさい、俺は年下の方が好みです。略奪愛も性に合わない。


 大変お美しいベアトリクスさんは、これでも全てのメニューは受けられなかったそうで、残りは明日以降に受けると張り切っていた。その口ぶりからは何泊かしていくように感じられる。一泊二日だと思い込んでたけど、何泊するつもりなのかな。



「貴女、ビアンカという名だったかしら。ビアンカもここでは顔を隠したほうが良いのではないのかしら?」

「アタシが? でもアタシは隣の国出身だから、この国に知り合いはいないです」

「この温泉街はおそらく瞬く間に各国の話題に上るでしょう。血の気の多い隣国の貴族はすぐに何かを仕掛けてくると予想します。知った顔が突然訪れた時、貴女はやり過ごせるのかしら?」

「それは……」


 ベアトリクスさんはビアンカにも布をかぶれと言っていた。ビアンカは悪徳商店から逃げ出してきたし、そういえば家からも逃げ出してきたと言っていた。今後デンブルク王国の人が頻繁にここへ来るとしたら、布をかぶっていた方がいいのだろうか。


「貴女は伯爵家のご令嬢でしょう? わたくしは昔お母様とお会いした事があるけれど、面影が残っているわ。ご両親はお元気にされているかしら?」

「両親は……亡くなりました。今は遠い親戚が伯爵家を名乗っています」

「あら、それはごめんなさい。でも……そう、それでここに居るのね?」


 ビアンカとベアトリクスさんが不穏な会話をしている。伯爵と聞こえた気がしたけれど聞かなかったことにしようかな。いつもキンキン声で怒鳴るビアンカが伯爵令嬢なわけがない。でももしそうなら、ビアンカをトワール王国まで連れてきた俺はどうなるんだろう。ただの平民じゃなくて貴族の娘を誘拐した事になる。それってバレたら何かの罪になるんじゃないかな。血の気の多い国だって言ってたし。


 うん、聞かなかったことにしよう。



 尚も話を続けようとする二人を引っぺがして、フィットネスジムへと案内する。立ち話でするような内容じゃない。それに下手を踏めば次の瞬間にはビアンカが布をかぶることになってしまう。それは避けたい。いやでも、普段は顔を隠していて二人きりの時だけ素顔を出すというのも特別感が出ていいんじゃないか……やっぱりやめとこう。どう考えても変だ。


 フィットネスジムと卓球コーナーとカラオケルームを案内したけれど、残念なことに誰も興味を持たなかった。ジムにトレーナーとして配属された筋肉ムキムキの村人たちが肩を落としている。


 それならばと団体様をティールームへ連れて行こうとすると、ベアトリクスさんから声がかかる。


「あちらにも何かがあるようですけれど、案内はしてくださらないのかしら?」


 ベアトリクスさんが気にしていたのは漫画コーナーだった。コーナーの入り口には立ち入り禁止の紙が貼られていて、従業員が見張りに立っている。


「ござ……クレーメンス様から、今回はご案内しないようにと言われています」


 待望の漫画コーナーには、懐かしい漫画が山ほど置いてある。残念ながらここ二十年ほどの新しい作品は置いてなくて冊数も少なかったけれど、それらはきっとスーパー銭湯の中にあると信じている。漫画の中身は全て翻訳されていて、この世界の文字で書かれていた。日本の漫画の吹き出しが全部英語に翻訳されている作品を見たことがあるけれど、それと同じような感じだった。パチモン感が否めない。


 懐かしい漫画にテンションが上がったのだけど、ござる兄さんからは待ったがかかってしまった。ござる兄さん曰く、この世界にはまだ早すぎるらしい。俺からしたら何てことのないその内容も、この世界の人々にとっては危険物になってしまうという。


 言われてみれば兵器や戦闘機が登場する作品もあるし、殺人のトリックが描かれた作品や殺戮をテーマにした作品もある。それらを再現できる知識のある人がもしも目にしてしまえば世界まるごと滅びかねないという事で、全面的に立ち入り禁止となった。地球は滅びたりはしてないんだけどなあ。スキルがある世界だから心配してるのかな。


 違う場所に隠れて新しく設置するのもやめてほしいと言われている。テレビルームも同様に出入り禁止になってしまった。懐かしい映画が見放題だったのに。でもなぜか時代劇が多めだったのでテレビルームはそれほど辛くはなかった。


 漫画コーナーとテレビルームだけを温泉宿から削除することは出来なかったので、従業員を配置して二十四時間体制で見張らせている。攫ってきた村人はたくさんいるし、座ってるだけで給与が支払われるので案外人気の仕事だった。


 悲しい事に一村人の設定な俺も当然立ち入り禁止にされた。エゴンさんの村以外から攫ってきた村人は、俺の事は握手してくる男としか認識していないし我慢するしかない。


 新しい物好きっぽいござる兄さんが真顔で迫ってきたので、本当にヤバいんだろう。でも漫画コーナーとテレビルームを最初にチェックしたのがござる兄さんで良かったのかもしれない。



「こちらがティールームです。変わった味の紅茶や、焼き菓子なども召し上がれます」

「あらそれは嬉しいわ。クレーメンスが持ち帰ったのと同じ紅茶はあるのかしら?」

「えっと、それは……どれかな……」

「紅茶はアタシからご説明します。お肌のためにはローズヒップティーやルイボスティーが良いんですが、ここには珍しい種類の茶葉がたくさんあるのでせっかくだから……」


 ビアンカとベアトリクスさんが楽しそうに紅茶の話をしだした。ビアンカとアマーリエはエステで新人従業員に指導する傍ら、ティールームに通いつめて紅茶についての知識も吸収したらしい。


 ベアトリクスさんは定期的にお茶会を開催するらしく、売店で茶葉が購入できると知ると真剣にビアンカの話を聞きだした。さっきまで布をかぶれとか言っていたのはもう忘れているようだった。


 ティールームは木目調の床や家具で明るい雰囲気に仕上がっていて、ヨーロッパのどこかの国のある晴れた日の昼下がりなイメージだった。高い場所に設置された可愛らしい装飾の窓から麗らかな日差しが差し込んでいる。お風呂でリラックスしたところにぽかぽか陽気を当てられて、アルコールも良い具合に入ってるのでこのまま眠ってしまいそうだ。


 ビアンカの注文によって次々に運ばれてくるのは繊細な模様の入った高級そうなティーカップとティーポット。苺のショートケーキとマカロンとピスタチオケーキとチョコレートケーキとシュークリームとバナナの添えられたフルーツケーキとアップルパイとスフレチーズケーキと。


「ビアンカ、これから夕食もあるのにそんなに食べてどうする」

「別腹よ!」

「そうね、別腹よね」


 女性陣は結託すると強い。俺の横でアルフレートさんがぼそりと、風呂上がりの一杯は素晴らしいなと呟いたけれど、あんたはさっき散々お酒を飲んでたじゃないか。



 ティールームの案内を終えると夕食の時間が近づいてきたので、それぞれの部屋に戻ってくつろいでもらう事にする。案内して回っただけの俺とビアンカが疲れてしまい、残りの施設案内は翌日にしてもらった。


 スイートルームで夕食の出現場所やルームサービスについてを護衛に説明する。ビアンカは隣の部屋でメイドさんに説明している事だろう。


 従業員登録をして部屋に入っている俺とビアンカの分の夕食は出てこないしベッドも使えない。疲れている状態で、目の前で美味しそうな食事をしてくつろぐ人を見るのはつらい。説明が終わったら部屋を出てどこかの客室に向かおう。


 幸いにも護衛たちはすぐにテレビの使い方を理解してくれたので、明日の朝食が終わった頃に迎えに来ると言ってスイートルームを後にした。


「はぁ、何だかすごく疲れたわ……」

「俺もだよ。貴族の相手って大変なんだな……」

「これ明日もあるのよね?」

「うん……今日はその辺の客室に泊まろうか」


 カフェにでも誘うような気軽で自然な感じでお泊まりに誘えた。




 翌朝、再びスイートルームを訪れてアルフレートさんの姿を探す。


「おはようございます。あの、ベッドじゃなくて良かったんですか?」

「ああ、たどり着けなかった。しかしここでもよく眠れた」


 アルフレートさんは黒いレザーのソファーで赤いクッションを抱きしめて寝転がっていた。護衛達は床や和室に転がっている。公爵の跡取り息子がこれでいいんだろうか。


「その様子では朝食はまだですか?」

「いや、朝食はすませた。頭が痛い……」

「もしかして朝からお酒を飲んだんですか?」


 驚くことに、アルフレートさんたちは迎え酒をしていたようだ。気持ち悪そうな顔をしつつも満足気なのはなぜだろうか。そのへんに転がっている護衛達を起こして回っていると、アルフレートさんが唐突に質問をしてきた。


「カナタといったか。この宿を造ったのが誰なのか知っているか? スキルが関係しているとしか思えん出来栄えだ。母からは詮索するなと言われているが、聞かずにはおられん」

「俺はただの村人ですので何とも……」

「この宿には不思議なもので溢れている。カナタは誰の仕業か気にはならんのか?」


 何と答えるのが正解だろう。ござる兄さんからは知らぬ存ぜぬでいいと言われているけれど、下手な返事はできない。揚げ足取りが特技だと聞いているし。


「気になりますが、俺も詮索するなと言われてまして……」

「昨日から薄々気づいてはいたが、この部屋にもこの世の常識から外れたものばかりあるように思う。異世界から来た特殊スキルを持つ者が、この宿を造り上げたのだろう?」

「特殊スキルですか……分かりません」


 アルフレートさん、薄々しか気づいてなかったんだ。どう見ても怪しいものしかないのに。でもアルフレートさんは最初の頃に陛下がどうとか言ってたから、種明かしは出来ないな。油断したら国に売られそうだ。


 尚も食い下がるアルフレートさんをなだめて、朝風呂へと誘った。二日酔いに朝風呂が効くのかは知らないけど、体調不良を治してくれる温泉だから二日酔いもきっと治してくれるはずだ。



 男集団で朝風呂を終えて大浴場から出てくると、朝エステを終えたベアトリクスさんたち女性一同と鉢合わせした。貴族の人達って案外パワフルだな。


「では今日は続きの施設をご案内します。といってももうそんなに残ってないんですが」


 残りは売店、ゲームコーナー、食事処くらいだ。昨日のチェックインが昼過ぎだったので、あと数時間ほどだしちょうどいいだろう。


 温泉宿のシステムと残りの滞在時間を伝えると、ベアトリクスさんとアルフレートさんは当然のように日数を延長した。


「他にも温泉宿はありますが、同じ宿でいいんですか?」

「ええ、まだ全てを見れていないのでしょう? 他の宿は明日以降にしても問題ありませんわ」

「この宿を堪能しつくしてから他の宿に移れば良い」


 何泊するつもりなんだろう。疲れるから早めに帰って欲しい。ビアンカを見ると、俺と同じことを考えている顔をしていた。



 売店では大いに揉めた。ござる兄さんが厳しく商品管理をしていて、たとえ家族であっても優遇しないようにと従業員に言い聞かせてあるようだった。セルフレジの周りには大量の従業員が配置され、欲しい商品があってもその従業員の厳しい個数チェックをクリアしないと購入出来ない仕組みに改悪されていた。


「おいカナタ! あの貴族なんとかしろよ!」

「ごめんなさい」


 売店の従業員にはエゴンさんの村の元村人たちが多く配属されている。彼らは俺のスキルの事を知っているから何かと都合が良いらしい。目が合ったエゴンさんからはギリギリとした目つきで睨まれ、いつも通り怒られた。でも元の村にいた時より元気そうだし、元々の仲間であるトミーさんたちと話すときは和やかな雰囲気でいるので本心から怒っているわけではないんだと思う。たぶん。


「あら、この菓子はクレーメンスが持ってきたものかしら? とうきょう……とうきょうとは?」

「酒は一人一本まで?! 二泊するのにか!? しかもウイスキーが売り切れだと?!」


 売店では購入個数が制限されているけれど、ラウンジやティールームで消費する分には制限がないと言うと彼らの目が光った気がした。アルフレートさんは一生分のお酒を飲んで帰ると豪語している。それ死ぬやつじゃないかな。


 売店の次に食事処へ案内したけれど、二人はあまり興味を惹かれないようだった。俺からしたら日本で食べなれた定食や揚げ物が注文できるから毎日でも通いたいくらいなのだけど、貴族のお二人は部屋で出てくる食事のような洋食、それもフルコースのような食事の方が好みらしい。


 この世界では朝夕だけしか食事はとらないようだし、アルフレートさんはラウンジ、ベアトリクスさんはティールームがあればそれで十分だという。カツ丼美味しいのに。



 最後になったゲームコーナーではベネディクトとティモが遊びながら待ちわびていた。ベネディクトは隣国にアマーリエを連れ戻しに出てからご両親と会っていなかったらしく、久々の対面になるはずなのだけど。


「アルフレート兄さま、勝負しましょう! 僕毎日ホッケー練習したから強いんですよ!」

「む、久々に会ったかと思えば……ほっけーとは?」

「ベネディクト、お勉強はどうしたのかしら? あれから何も学んでいないようね?」


 笑顔で勝負を挑むベネディクトを、ベアトリクスさんが戦わずに倒した。笑顔のまま固まるベネディクトに、ベアトリクスさんがお小言をお上品にぶつける。顔はニコニコ笑っているのに辛らつな言葉が並べられる。オブラートに包んで言ってるはずなのに攻撃力がすごく高いな。


「カナタ……こわい」

「うん、ティモ。俺も怖い」

「あっちょっと! 逃げるんならアタシも連れてって!」


 家族団らんは邪魔できないので、ティモとビアンカを連れてその場を後にした。


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