第81話 ご案内
「こちらがこの宿の主役でもある、温泉と大浴場です。ちょっと早いですけど、先に入浴しましょうか」
「あら、ここでも男女で入り口が別なのね」
「子供でも性別で分けられるようです。そちらに休憩所がありますので、早く出た方が待つことにしましょう」
温泉宿に着いて部屋に荷物を置いて、次にするのはやはり温泉を堪能する事だろう。夕食の時間までまだまだあるし、ここでたっぷり温泉の良さをアピールする事にしよう。スイートルームよりも温泉を楽しんで欲しい。じゃないと俺のスキルが浴槽設置だということを忘れてしまいそうだ。
ベアトリクスさんは慣れた様子で暖簾をくぐって女湯に入って行った。メイドさん達も全員女湯に入っていく。しまった。これではドキッ!全員全裸!男だらけの温泉パーティ!が開催されてしまう。ポロリもあるよ。
「大勢で入浴できるようになっているのか。せっかくだ、皆で入浴しようじゃないか。案内役はカナタといったか。もちろんカナタもな」
スイートルームで気を良くしたアルフレートさんは要らぬ気づかいをしてくれた。
大浴場でのアルフレートさんたちご一行の反応は、スイートルームの時と同じだった。給水機や扇風機に驚き、自販機に目を輝かせ、体重計に首を傾げていた。大浴場と露天風呂の大きさに歓喜の声を上げ、シャンプーとボディソープで遊び、最後には大浴場で護衛達とお湯をかけあってはしゃぎまわっていた。
アルフレートさんは澄ましていればクールな雰囲気が漂っている美青年なのに、こういうところは本当にあの弟たちにそっくりだ。アマーリエも大人しそうに見えてちゃっかりしてるし、血は争えないなとしみじみ思った。
「おまたせしました……あれ? ベアトリクスさんは?」
「エステの説明をしたら、ぜひ受けてみたいって入って行っちゃったの。アタシが入浴後に受けることで効果が上がるって言っちゃったせいね」
待ち合わせ場所に指定した休憩所にはビアンカがぽつんと座っていた。休憩所には色とりどりのソファーが並び、ビアンカはそのうちの赤いソファーに腰かけている。ベアトリクスさんと一緒に入浴したのか、髪がまだ乾ききっていなくて妙に色っぽい。背後でアルフレートさんが息を飲む気配がした。
「じゃあ俺たちもエステに……」
「今はダメよ。全身のリンパマッサージをしたいって言ってたから。本格的に女性専用にしようかしら」
「中にアマーリエがいるから大丈夫かな」
エステの内部は、バリ島をイメージしたアジアンテイストな雰囲気になっている。施術メニューはボディやフェイシャルのマッサージから、頭皮やフットケアまで幅広く取り扱っていて、メニュー一覧にはアロマオイル、リンパ、ピーリングなどの単語がずらりと並んでいた。今後は美容関係で客足を集めようと考えているござる兄さんが一際力を入れている部門だった。
施術のための従業員も大量に育成中だ。人に施術して楽しいのかと疑問に思っていたけれど、割り当てられた従業員たちは生き生きとして多岐にわたるメニューを全て暗記し練習に励んでいた。地球でエステティシャンをしている人たちはこういう感じなんだろうか。
そしてその従業員育成のリーダーをしてくれているのがビアンカとアマーリエで、今日は母親が来るという事でアマーリエが施術員としてエステ内で待機している。
「アマーリ……いや、妹……も駄目か。その、銀髪の女性が中にいるのか?」
「はい、施術をする女性の髪色は銀色です。ですが、その、人見知りする性格のようで……えっと、布をかぶってます」
「ぬ、布を?!」
「頭巾と言うんですけど、黒い布をかぶって施術しています」
アマーリエは隣国に嫁いだはずなのでこんな場所にいるわけはない。それでも本人や家族が一目会いたいと希望したので、ござる兄さんが忍者頭巾を被せて連れてきた。
ござる兄さんとベネディクトは素顔で会ってもいいのかと聞いたけれど、事情を知る家族と別荘の従業員だけがいる場所ならば問題ないらしい。
この温泉街では色んな村から攫ってきた人たちが大勢いるので、そこを出入りするときには顔を隠す必要があるとかないとか。ござる兄さんの趣味のような気がしないでもない。
でもそう考えたらデンブルク王国から攫ってきた村人たちもデンブルク王国の人に顔を見られたら困るわけだし、頭巾を被せる必要があるかもしれないな。
忍者頭巾をかぶった娘アマーリエにボディマッサージされるベアトリクスさん。シュールな光景になりそうだ。
「ま、まあ施術が終わった頃にもう一度来ましょう。エステ内で人払いをすれば頭巾を外しても問題ないでしょうから」
「そうか……布を……」
「ベアトリクスさんが興味がない事は何でしょうか? そちらを先にご案内したほうが効率が良さそうです」
眉をひそめて考え込んでいたアルフレートさんは、少し考えて「酒」と言った。予想はしていた。
ルームサービスでお酒を楽しんでもらっても良かったのだけど、この温泉宿にはラウンジも追加したのでそちらに案内した。宿にはティールームも別に追加したけれどそちらではアルコール類は取り扱っておらず、反対にラウンジではメニューのほとんどがアルコール類だった。
ラウンジと書かれたバーのような雰囲気の店に入店する。店内は薄暗くしてあり、棚に並ぶ酒瓶にライトが当たるようにしてあった。いつかドラマで見た高級なバーを思い出す。
「ここでは別料金がかかります。料金は従業員に前払いでお願いします」
「ふむ……金がかかることはかまわんが、文字だけ見ても良く分からん」
「味の好みを教えてもらえれば、従業員がお選びしますよ」
ラウンジで働く従業員たちは全員が酒好きだ。以前は畑を耕していた元村人たちは、今や酒の知識が豊富なバーテンダーにジョブチェンジしている。彼らはござる兄さんに攫われて来たというのに、天職に出会えたと喜んでいた。勤務中に酒を飲まないかだけが心配だ。
アルフレートさんは少し悩んだ後、父が飲んでいた酒と同じもの、という曖昧な注文をした。確かござる兄さんがご両親の説得に向かった時にお酒とチョコレートを売店で買っていたはずだけれど、銘柄までは知らない。でもチョコレートをつまみにするのならばブランデーかウイスキーだろう。
「ウイスキーというお酒だと思うんですが、何しろ膨大な種類がありまして……」
「ならば価格が高いものから順に持って来てくれ」
「えっと、まだご案内してない施設もありますし、このあと夕食も……」
「酒など水みたいなものだ」
心の中で毎度ありぃはい喜んでと叫びながら、従業員にウイスキーの値段が高いものから順にと指示をする。料金は護衛の人が支払っていた。
ラウンジでお酒が出てくるシステムはルームサービスと同じで、従業員がカウンター内の箱にお金を入れると箱の中に完成品が出現する。従業員はそれを運ぶだけのはずなのに、なぜかメニューには料金が上乗せされていた。チップみたいなものなのか、売り上げとして計上されるのは俺は知らない。
でもアルフレートさんが言っていた酒は水と同じというのは、この世界のお酒に限るんだと思う。そうでなければござる兄さんがあんな事にはならなかっただろうし。
アルフレートさんは気前が良く、護衛や俺たちにも好きなものを注文するように言ってくれた。この人、超イイ人じゃないだろうか。いやいや、これはビアンカを連れてきたからだな。格好いいところを見せようとしているのかもしれない。肝心のビアンカはお酒には興味がないのか、落ち着かない様子で隅の椅子に座っている。
護衛達のお酒の種類は酒好きの従業員に任せて、俺は生ビールを注文する。ビアンカには紅茶ベースのカクテルを注文しておいた。
風呂上がりの生ビールは最高だな。ハイボールでもいいけど、こういう高そうなお店で飲むビールは泡が絹みたいにもっちりしていて素晴らしい。
「これ美味しいわね。お酒って苦手だったけど案外いけるわね」
「あれ? そういえばビアンカはお酒の飲める歳だったか……?」
「十七歳だから飲んでも平気よ」
「えっ」
いつだったか年齢を確認した時にはもうちょっと上の年齢を言っていた。逆サバか? でもなんで?
「あっ、十九歳って事にしてたんだった! 今のナシよ!」
「もう聞いたし。逆サバよんでたのか?」
「それは……アンタが二十八っていうから……」
「俺の年齢関係ある?」
ビアンカはプイと横を向いてしまった。よく分からんがツンデレが発動したらしい。
豊富な種類のウイスキーはアルフレートさんの心を鷲掴みにしたようで、高いお酒がすごい勢いで消費されていく。アルフレートさんと護衛達は真剣な顔つきでウイスキーの味について評価し合い、おつまみに出されたチョコレートやナッツを奪い合うようにして貪っていた。お買い上げありがとうございます。
ベアトリクスさんのエステが終わる頃には、ご機嫌な団体様ご一行が出来上がってしまった。あと一杯だけと騒ぐ団体様にルームサービスの事を説明して黙らせると、ふわふわした足取りのアルフレート様ご一行を引き連れてエステ前へと向かうのだった。
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