第72話 ニート生活

 トワール王国に温泉宿を設置してから二週間が経った。


 この二週間の大きな出来事は、ベネディクトの実家からベネディクトの勉強の先生が派遣されてきた事と、先生と一緒にござる兄さんのお金が送られてきた事だ。


 ベネディクトの先生はサミュエルという名の男性で、ヨボヨボのおじいさんだった。若くて綺麗な先生が来るなんて幻想は最初から抱いてなかったのでダメージなんてない。眼鏡をかけて長い金髪はアップで、白シャツにタイトスカートでピンヒールを履いている女教師なんてこの世に存在しないのだ。


 高位貴族の子には数人の家庭教師がついて交代でそれぞれの得意な分野を教えることが多いという。けれど今から勉強をスタートするのは中途半端な時期にあたるらしく、現役の優秀な教師はスケジュールが合わなかったそうだ。


 サミュエル先生は教師を引退して気ままに暮らしていたところを、ベネディクトの親に頼み込まれて派遣されてきたらしい。地理や歴史から、貴族にはかかせないという他の貴族の名前や派閥、勢力関係なども一人で幅広く教えてくれるそうだった。礼儀作法や剣術などの教師は見つかり次第送られてくる予定だとか。


 サミュエル先生は博識で教え方も上手かったけれど、おじいさんなので授業が終わると力尽きて別荘の自室でじっとしている。露天風呂にでもいれてやると元気になるかもしれないけれど、無理に誘う必要もないだろう。男だし。


 この世界の授業がどんなものか興味があったので一緒に授業を受けてみたいと申し出たところ、傍で聞くだけで邪魔をしないのであればという条件付きで俺とティモの同席が許された。二、三回だけ出席してみようと思っていたが、案外授業が面白くて結局二週間毎日出席している。


「ティモ、この文字読めるか?」

「わかんない」

「でも僕より覚えるのが早いのはなんで?!」


 ティモは幼く文字が読めないにも関わらず、サミュエル先生の話す言葉を理解して学んでいるように見えた。それはベネディクトにとって良い刺激になったようで、午前と午後の二時間ずつ、一日合計四時間の授業を真剣に受けていた。ござる兄さんがそれを見て驚いていたので以前のベネディクトの様子を察した。



「ティモ、勉強が終わったら勝負しよう! クレーンゲームで勝ったほうがフルーツ牛乳を飲める!」

「まけたら?」

「ただの牛乳だ!」


 勉強の後にはゲームセンターで遊べるというのもやる気を出させたのかもしれない。ベネディクトはスロットに、ティモはクレーンゲームにハマっている。人数が揃えばエアホッケーをしたりもする。宿泊はいらないけどゲームはしたいというベネディクトとティモを従業員登録しておいた。従業員もなぜかゲームで遊べる。



 次にお金だが、俺がござる兄さんに貸していた温泉宿の代金は、無事に全額返済された。てっきり踏み倒されるかと思ってたのに。ベネディクトの貸していたお金についてはどうなったか知らない。


「カナタには返さなければ温泉宿を削除されてしまうでござる」

「温泉宿、お前……消えるのか?」


 まとまったお金が届いたことで、ベネディクトのために建てた露天風呂付客室の隣に、もう一つ追加で露天風呂付客室を建てた。これはアマーリエが過ごすための家。お金が届くまではござる兄さんが血の涙を流しながら愛しの妹アマーリエをスイートルームに泊まらせていたけれど、手元にお金が届いたので速攻で設置させられた。


 ケチなござる兄さんはこれ以上の出費は抑えたいと心臓を抑えながら苦しげな表情を浮かべていた。買ってもらったアマーリエはケロッとしている。露天風呂付客室は初期費用は高いけれど、宿泊料がかからないし料理が毎晩出るからお得だと考えたようだった。


 今回選ばれた客室はエゴンさんの村にあった白青の客室と全く同じもので、外観の自重は無し。白と水色の壁に青い屋根の、爽やかで可愛らしい外観だった。風呂は必ず内風呂を使うとアマーリエが誓ったけれどござる兄さんが納得せず、追加でユニットバスを併設する事になった。購入画面のユニットバス、気になってたからちょうどよかった。


「おお、かなり広いなぁ! 素材も大理石かこれ?」


 追加で設置したユニットバスは、少しお高いのを選んだので立派なものだった。ユニットバスと聞くと一人暮らしの部屋によくあるバストイレが一緒になった物を思い浮かべがちだけれど、今回購入したのはタワーマンションに入っていそうな豪華なものだ。浴槽は寝転がっても足を伸ばせるし、洗い場や脱衣所も広々としていて数人なら雑魚寝できそうだ。窓はないけれど電気が煌々と灯っていて明るい。


 アマーリエが特に気に入ったのが脱衣所の大きな鏡と、シャワーヘッドだった。シャワーヘッドは髪と体に効果があるというCMでよく見かけるアレだ。髪がさらっさらになると聞いたことがある。温泉宿や露天風呂付客室にはさすがについてるところはないと思う。売店で購入したボディソープなどを持ち込んで、ビアンカと交代で使用するらしい。


 最初からこうすれば高額な温泉宿を購入する必要がなかったのだけど、あれはあれで必要だったと思っている。


「スイートルームは高いでござる。これで値下げは出来ずに値上げが可能か。貴族を泊まらせるときには値上げして……いや、値上げせずに別料金として徴収すれば儲けに……」


 温泉宿のスイートルームは一泊五万リブルだから、二十日も泊まれば百万リブルになってしまう。値段だけを長期的に考えると露天風呂付客室を購入したほうが断然お得だ。俺の懐が痛むわけじゃないのでどちらでもいいのだけど。



 宿泊客のいなくなった温泉宿はお役御免かと思いきや、ティモとベネディクトはゲームセンターに入り浸っているし、ビアンカとアマーリエはエステで施術の練習を繰り返している。ござる兄さんは売店の商品を毎日隅々までチェックしているし、メイドさんや忍者装束の護衛たちも何があってもいいようにと各部門の仕事を勉強しているようだった。メイドさんたちが温泉宿の勤務を奪い合っている現場に遭遇したけれど、怖かったので見なかったことにした。


「エステの練習を重ねて上手くなったと思うんだけど、客がいないのよねぇ。せっかくだから色んな人にやってみたいのに」

「俺ならいつでも実験台になってやるぞ」

「女性専用にしようかしら……」


 従業員登録さえすれば無料で温泉宿の内側に入れるし大抵のことは出来る様になる。ゲームで遊べるし露天風呂にも入れてしまう。温泉宿なりの福利厚生なのかもしれない。売店の商品は従業員価格にはならなかったけど、従業員であれば購入はできるようだ。アマーリエはござる兄さんに働くことを禁止されるかと思っていたが、エステで遊ぶために自分で権利をもぎ取っていた。意外に強い。





「えっ?! 増えてる?!」


 ほんの少しだけ時を遡る。ござる兄さんから返してもらったお金を、タブレットに入れておこうとした時の事だ。タブレットに表示された俺の所持金が何故か増えていた。


 この農村に来てからはベネディクトとござる兄さんにたかりまくっていたので、タブレットの所持金を気にする必要がなかった。飲み物が欲しければござる兄さんが買ってくれるし、ゲームがしたければベネディクトがお金をくれる。これぞ理想のヒモ生活。


 温泉宿設置で所持金がすっからかんになって、確か残りが30万リブル程しかなかったはずが、80万リブル程度増えている。どういうことだろう。80万だ。思い違いなはずはない。


「何かで儲けてもないし、そもそもタブレットにお金入れてないのに……」


 必死で記憶を探る。温泉宿を設置してから普段と違うことはなかったか。


「あっ、もしかして! 受付カウンターで払った宿泊費が入金されてる?!」


 その説が正しいかどうか計算してみる。初日にスイートルームに6人が宿泊したので50,000×6で300,000リブルだ。その後アマーリエだけがスイートルームに6泊しているので300,000増えて、合計600,000リブルになる。数字が少し近づいた。


 ちなみにビアンカは温泉宿の従業員用仮眠室を発見して、そこで寝泊まりしていた。四畳半ほどの狭い畳部屋で布団を敷くことになるけれど、タダで泊まれるし空調が整っているし安全なので床に布団を敷いて寝ることも我慢するらしい。アマーリエの為の露天風呂付客室を設置したらそこを二人で使い出した。


「あと20万足りない……あ、ルームサービスで使った金額も入ってたりして?」


 初日にござる兄さんがルームサービスでお酒を注文しまくっていた。高いものは一杯1万リブルしたとか怒っていたので、合計で20万くらいは使っただろう。高い高いと怒りながらもテレビにお金を投入するござる兄さん、嫌いじゃない。


「あれ? 今増えたな……」


 目の前で所持金が200リブル増えた。たったの200リブル、日本円で200円だ。ルームサービスでそんな低料金のものは扱ってないし、今は誰もスイートルームに入っていない。温泉宿にいるのはベネディクトとティモで、彼らはゲームセンターで遊んでいる。ゲームのプレイが一回200リブルじゃなかったか。


 これは間違いない。温泉宿で誰かが使ったお金の全てが、俺の所持金としてカウントされている。おそらく脱衣所にある自販機の飲み物代や売店の売り上げもゲームセンターの料金も全てがカウントされているのだろう。でも売店や自販機は商品の仕入れ費用がゼロなのに売り上げ金をもらってしまっていいのだろうか。


「そのための購入金額か……? マッチポンプじゃないか」


 思えば露天風呂付客室の購入金額と比べて、温泉宿と銭湯は価格が急激に跳ね上がっていた。何が違うのかイマイチ分からなかったけれど、今なら分かる。施設の中でお金を使う必要があるかどうかだ。銭湯もきっと入り口で入浴料を払わされるんだろう。そしてそれが俺の所持金に加算される。



 これは本格的に、温泉宿を経営しろと言われている気がする。俺はあくまで自分が温泉を楽しみたいだけで、宿の経営をしたいわけじゃないのに。


 でも、温泉宿さえ設置しておけばお金が増えるのならそれもありなのか。宿の切り盛りは誰かに丸投げして、不労所得を得るだけの生活。


「夢が広がるなあ……」


 もしそれを実現させるとして、この農村に建てた温泉宿に今後宿泊する人はいないだろう。アマーリエは自分の家を持てばわざわざ宿泊しないだろうし、メイドさんたちも別荘に使用人部屋があるからあえて泊まる必要がない。農村の村人たちは領主とは一線を引いているようで、別荘に近寄ってもこない。ベネディクトが人の近寄らない何もない村を選んだらしいので、流れの旅人や商人なんかも来なかった。


 この土地よりも人通りが多い場所に設置できたとして、俺のスキルだということを隠してくれて、近寄ってくる悪い人を選別してくれて、施設内で働く従業員の手配もしてくれるような奇特な人はいないものか。


(拙者に任せるでござるよ……)


 今みたいに隣の別荘からメイドさんを借りられるなら別だけど、違う土地に設置して従業員を新しく雇うなら人件費もかかってくるだろう。定期的に宿代が入るなら人件費を払うのは問題ないけれど、その計算とかがややこしそうだ。この世界の人件費の相場も分からない。全ての面倒ごとを任せられる人がどこかにいないものか。


(拙者に任せるでござるよ……)


 銀髪の見た目だけは良い青年の顔が頭に浮かんだ。でも奴は貴族だ。自分でも気づかないうちに巧妙に絡め取られて、ふと我に返った時には国に売られて身動きが取れなくなっている可能性もある。俺はただゴロゴロしながら好きな時に温泉に入りたいだけなのに。


「貴族や国に関わらずに不労所得だけを得る方法をググりたい」


 残念ながら手持ちのタブレットに検索機能はついてなかった。




所持金 0円 3,202,700リブル (手持ち 0リブル)

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