第70話 主役は風呂

「はぁ、生き返りますなあ……」

「はああ、いきかえりますなあ」

「はあ、生き返るなぁ……」

「ニンポー、水蜘蛛の術っ!」


 まだ真昼間だったけど気にせずに、温泉宿の目玉である露天風呂にみんなで浸かっていた。手足を伸ばしながら景色を楽しむ。うん、木しかない。空を見上げて青い空を楽しむ。うん、惑星チョコレートが気になってそれどころじゃない。


 エアーホッケーで汗をかいた俺たちは、ようやく起き出してきたござる兄さんと合流して温泉を楽しんでいた。運動後の熱い湯は気持ちがいい。洗面器をかんじき代わりにして水上を移動するのは他の人の迷惑になります。


「昨夜は橙の家の風呂に入ったが、湯の質がかなり違うように思うでござる」


 ござる兄さんはデコポンの浮いた風呂と源泉かけ流しの温泉を比較してそう言っていた。もっとも、今朝起きた時はデコポンはリンゴに変わっていたけれど。この温泉も、明日には別の湯に変わっているのかもしれない。


「姉さまの家の風呂に入った時にも思ったんだけど、カナタのスキルで出した風呂に入ると体の痛いところがなくなる気がするんだ」

「そりゃ温泉の効能は疲労肩こり頭痛腰痛に……いっぱいあるからな」


 ベネディクトはそういう事ではなくてと言葉を探しているけれど、思い返せばエゴンさんの村にいた村人たちも足湯に入るだけで腰痛が治ったと言っていた気がする。魔獣に化学の有害物質が極端に効く世界だから、俺が知らないだけで温泉が人間の体に極端に効いたりしているのかもしれない。


「カナタ、あれやって」

「あれって……タオル風船の事か? ごめんティモ、大衆浴場でタオルは湯につけたらダメなんだ」

「ええええええ」


 ベネディクトの家でならやってやると言ってティモをなだめて、しばらく湯を堪能してから脱衣所へと戻る。ベネディクトがいるときにタオル風船をやったら、二人共に噛みつかれそうだな。


 脱衣所では一足早くござる兄さんが飲み物を大量購入して飲み進めていた。


 ござる兄さんの銀髪は、シャンプーを二度しか使用していないはずのにキラッキラになっていた。ベネディクトの金髪も数回しかシャンプーで洗ってないのに光り輝いている。温泉宿に置いてあるシャンプーは普段使っているものよりも髪が軋むイメージがあるんだけど。ノンシリコンシャンプーなせいだと聞いたことがある。けどこの人達には通用しないのか。


 でもこの調子だと、エステを利用する予定のビアンカとアマーリエの今後に注目しておかないとだな。綺麗になるのはもちろん楽しみだけど、少しの変化にすぐ気づかないと機嫌を損ねてしまう。女心は難しい。


「朝夕だけで、昼食はついてないんだったな……おなかすいたなあ」

「おなかすいた」

「拙者たちは普段から昼は食べないでござるよ」


 エゴンさんの村にいた時も、当初は昼食はなかった。でも土掘作りを始めてからは異様にお腹がすくので、昼頃に村人から差し入れを貰ったりしていた。別荘のメイドさんに何か持って来てもらおうか。昨夜は別荘の料理人が作った夕食も少し食べたけれど美味しかったし。素朴な味だったけど。ルームサービスで頼む料理って高いんだろうか。


 服を着て脱衣所から出ると、ビアンカとアマーリエはまだ出てきていなかった。ベネディクトにコーヒー牛乳を買ってもらって飲みながら待つ。ヒモ生活が癖になりそう。


「カナタ、飲み物の値段とか下げられない? じわじわ痛いんだ」

「拙者も思っていたでござる。珍しいウイスキーというのが一杯銀貨一枚もしたんだってばよ!」


 銀貨一枚は一万リブルだった。ござる兄さんが注文したのはたぶん入手困難になっている銘柄だろう。日本のバーでボトルキープしたら十万円以上すると聞いたことがある。本当かどうかは知らないけど。


「価格変更なぁ……ちょっと見てくるか」


 受付カウンターまで歩き、内側にある設置型タブレットを操作してみる。声で質問してみると、館内価格変更画面が表示された。価格の欄をさわりまくってみたけれど、どうやら最低価格はこれ以上下げられず、値上げは自由に出来るようだった。宿泊費用や売店の商品の値段、ルームサービスの料金、エステの利用料金など全てが値上げできる様子だ。


「値上げは出来るけど値下げは出来ないみたい。ゲームの値段上げてみようか?」

「ええぇ?! やめてよ……」

「では例えば街中にこの宿を設置して商売をする際には、価格を自由に設定できるということでござるな。しかし値上げしたところで何の意味がある?」

「営利目的はご遠慮ください」


 ござる兄さんが良からぬことを考えている顔になっていた。街中なんかに温泉宿を設置したら、受付カウンターまでは誰でも入れるんだからすぐに国に通報されて不審者として捕まってしまうだろう。自動ドアが珍しいみたいだったし、売店の商品だって丸見えだ。


「あれ? でも今までは俺が許可しないと誰も中に入れなかったけど、この温泉宿はどうなんだろう? 赤丸の人でも入れるのかな?」

「赤丸でござるか?」


 説明を求めてきたござる兄さんに話すことにする。持ち歩いていたタブレットのマップ画面を表示すると、温泉宿の中に青い丸がいくつか表示されていた。二軒離れた別荘の中にも多数の青丸が動き回っている。別荘の隅っこに、なぜか赤丸が複数重なるように表示されていた。


「この青い丸が人間を表してるんだ。青ければ敵意がなく安全な人で、こっちみたいに赤ければ敵意を持ってたり根っからの悪人のはずなんだけど……なんで別荘に悪人がいるんだ?」

「なるほどでござる。確認して来るってばよ! ニンポー、分身の術っ!」


 そう言うが早いか、ござる兄さんは忍者走りでどこかに行ってしまった。かと思えばすぐに帰ってくる。分身はしてなかったけど結構速かった。


「赤いのはアマーリエを娼婦と思い込んだという奴らだったでござる。本来は手裏剣の餌食にしてやるところでござるが、隣国の貴族の可能性があったため倉庫にぶち込んでおいた。あと外の地面に置いてあった箱は別荘に運ばせたでござる」

「娼婦って、砂漠の村のあいつらか?」

「アマーリエを奴らから引き離すためにも一旦は村に捨てて来たと報告を受けたが、野に放っておくのは危険だと判断してサウナカーで捕縛しに行かせたでござる」


 ござる兄さんは砂漠の村で起きたことを知っていた。スピード狂の護衛の人達から聞いたのだろう。護衛の人達がサウナカーを借りたがったのは、砂漠や荒野をぶっ飛ばしたかったのではなくて、奴らを引き取りに行きたかったのだと理解した。いや、両方が目的だったのかもしれないけども。


「カナタの言う赤丸が建物内に入れないという仕組みに、奴らを利用してみるでござるか? あとこれは料理人からの差し入れだってばよ!」

「焼き菓子だ! クレーメンス兄さまありがとう!」

「ぎゅうにゅうとらむねどっちがあう?」

「ありがとう。そうか、小さな村だから赤丸なんてめったにいないだろうし、奴らで実験してみるのもいいな」


 でももし中に入って来れて売店とか見られたら嫌だなと思っていると、都合が悪くなれば不慮の事故に遭ってもらうと兄さんはいい笑顔で言った。貴族だから生かしておいたのはどうなったのか。


 もう一度ござる兄さんが風のように走って行って戻ってきて、スコーンを食べながらタブレットのマップ画面を見ていると、別荘の上に表示されていた赤い丸が集団で移動し始めた。


 赤丸だけだと思っていたけれど、よく見れば橙色も重なっている。青い丸が彼らを引率しているようだ。スコーンは素朴な味で美味しいけれどずっしり重くて、口の中の水分が全部なくなった。コーヒー牛乳によく合う。


「もしかして砂漠から連れてくる時に奴らをサウナカーに乗せたのか?」

「いや、レーメンの町から戻ってくる後発部隊の馬車に乗せたでござる」

「なら安心か」


 赤い丸たちは徒歩と思えるスピードで温泉宿の前まで移動して来たが、自動ドアの前でウゴウゴした後にまた別荘へと戻って行った。何となくだけど、誰も中に入れなかったんだと思う。


「結構な人数がいたはずだけど、全員連れてきたのか?」

「同じ赤丸でも例外があるかもしれないでござる。母数を増やしたんだってばよ!」

「お待たせ。何してるのかしら?」

「あ、ビアンカ……」


 振り向くと、肌と髪が光り輝いているビアンカとアマーリエが立っていた。今まで以上に肌がプルプルしていて、髪の毛は自ら発光しているのかと思う程に艶やかだ。


 聞けば、女性浴場にはフェイスシートパックやヘアマスクなどが置かれていて使い放題だったそうだ。ホテルなどはどこに行っても女性が優遇される。湯上りの上気した肌と合わさって、何とも言えない艶めかしい姿に仕上がっていた。ござる兄さんがアマーリエの前に仁王立ちして妨害してくる。兄さん、邪魔です。


 彼女たちのこの姿を前にしたら、赤丸の実験結果なんて取るに足りない些細な事だな。何もかもがどうでもいい。


「この実験結果であれば街道沿いに設置しても問題なさそうでござる。周辺を警備する者を配置して、入り口では入館料を別に取って……」

「営利目的はご遠慮ください」


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