第27話 勘違いから真実はあんまり生まれない

 張り切る瀬戸を先頭に、俺達は依頼者と想定される女性の元へ向かった。レースに縁取られた淡い水色の日傘は、かなり高価なものに思えた。

 黒影が発する魔力の揺らぎは感じない。あくまでも現段階で感じないだけかもしれない。油断は禁物だ。


 女性はこちらの姿に気付き、首を傾げる仕草を見せた。それもそうだろう。認識阻害の魔術をかけられているため、俺達の顔はもやがかかったように見えているはずだ。

 下がった目尻にすっと通った鼻筋は、たぶん美人の部類に入る。その証拠に、通り過ぎる男の半数は彼女をちらりと覗き見していた。


 一見、大人しそうな外見の人だ。しかし、黒影に憑かれているのであれば、慎重に接触しなければならない。

 そんな俺の心配を無視するように、瀬戸は意気揚々と歩みを進めていた。まぁ、現状危険はないだろう。


「失礼します。協会の方から来ました」


 女性に近付いた瀬戸は、音量は小さいがはっきりとした声でそう告げた。それはまるで、消火器を売り付ける詐欺師のような言い回しだった。

 俺は思わず吹き出した。隣では山崎も口に手を当てていた。


「あら、まほ」

「おっと、それ以上はいけないです」


 瀬戸が掌で女性の口を塞ぐ。ああ、これをやりたかったんだろうな。気持ちは凄くわかる。

 正直な話、俺も最初の半年はこのノリだった。もちろん、女性の肌には触れないけど。


「先に、いろいろ説明させてください」

「はい、どうぞ」


 そのままの勢いで、注意事項の説明を始める。黒影を祓うしかできないこと、黒影でない場合は別の専門家を紹介すること。そして、付き添いの俺と山崎の紹介。

 ここまでは流石といったところだ。今のところ俺の出る幕はないと思えた。とりあえず、二人の会話から必要な事だけを聞いておくことにした。

 女性の名前は香園こうえん 美奈みな。年齢は二十七だそうだ。


「ここまでは、よろしいでしょうか?」

「うん、大丈夫よ」


 香園さんはゆっくりと微笑む。黒影に憑かれているにしては態度に余裕がありすぎる。それに、魔力の揺らぎも未だに感じない。

 もしや、という疑念が俺の中に浮かび上がった。


「健司おじさん」

「ん?」


 山崎が小声で話しかけてきた。機嫌は直ったのか、切り替えてくれたのか。どちらにせよ、普通に会話できてよかった。

 瀬戸は、黒影が起こす悪影響について説明している。


「あの方、そんなに必死じゃありませんね。私の知ってる被害者は、こんなに落ち着いていなかったかなと。私の知識不足かもしれませんが」

「山崎もそう思うか」

「ええ」


 助手の鋭さに、思わず驚いてしまった。魔力を感じる才能はないが、充分な観察力がある。


「実はな、俺も同じこと考えていた」

「ああ、そうなんですか。お揃いですね」

「確証がないのが困る。本当に黒影だったら大変だから」

「ですね」


 説明を続ける瀬戸は必死だ。俺も初仕事の時はそうだった。俺の場合は師匠が付き添ってくれていた。

 あの時は大変だったな。あれを生き残ったことにより、俺は魔法使いとして最低限の自信を得られたような気がする。


「なので、香園さんの本心からの欲求をお話いただくことが重要なのです」

「そうなのねぇ」

「まずは、現在の香園さんが感じている欲求を聞かせてもらえませんか?」

「うーんとねぇ」


 香園さんがゆっくりと口元に人差し指を当てる。二十代後半にしては言動が幼い。本当に見た目通りのお嬢様なのかもしれない。


「私ね、いろんな人に好かれたくて、注目されたくて、もーってなるから、もしかしたら噂のアレなのかなって」

「もー、ですか?」

「そう、もーって」


 瀬戸の表情が固まる。恐らく薄々気付いていたはずだ。

 俺もようやく断言できる。香園 美奈は黒影に憑かれていない。思慮の浅さと好奇心から、なんとなく電話をかけた類の人間だ。


「えーと、注目されたくて……」

「そうなのよー」


 泳いだ目がこちらに助けを求めているようだった。

 この手の話はよくあることだ。黒影というものの周知不足が原因のひとつではあるが、今回は特に辛い。初仕事がこれでは、いくら瀬戸でも可哀想に思う。


「山崎、確定だ。ありゃ、違う」

「ですよね」


 取り憑かれたと思い込んでいるタイプは、それが勘違いだとなかなか認めない傾向がある。それもそうだろう、自分のワガママな感情に言い訳ができなくなるのだ。

 逃げ場を失った事情被害者から、激しく責め立てられることも珍しくない。最悪の場合は、緊急的に記憶消去の魔術を使わざるを得ないことだってある。

 それは、まだまだ若い瀬戸にとっては酷な話だ。

 仕方ない。ここから先は引き受けよう。


「健司おじさん、私に任せてもらえませんか?」

「え?」

「どうしても許せなくて」


 なるほど。山崎はそういう子だった。

 しかし、任せるには理由が必要だ。


「何が許せなくて?」

「安易に黒影のせいにすることです。瀬戸さんは好きじゃないですけど、あれはあまりにも酷いと思います。それに、この後健司おじさんが対処するのでしょ? それも嫌です。あ、健司おじさんは好きですよ。大好き」

「あー、そう」


 拳を握る山崎は、完全にやる気だ。無理に止めることもできるが、やらせてみたい気持ちになった。

 最終的には俺が尻拭いすればいい。若者を見守る大人ならば、それくらいやってやろう。

 決して『大好き』と言われたからではない。


「わかったよ。ただし、穏便にな」

「大丈夫です。話すだけですから」

「了解」


 俺に軽くウインクをした山崎は、瀬戸と香園さんの方へと向き直った。

 どんな言い方で納得させるのか、山崎の交渉能力を見てやるとしよう。


「あの、あなた、取り憑かれていませんよ。なので、こういうのはやめましょう」


 直球どストレート。

 なるほど。山崎 明莉という少女はこういう子だった。

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