第17話 困った時だけ祈るのは人の性

 幸いにも頭痛は土日の間におさまった。毎食作りすぎたらしく、お隣さんがせっせと食事を持ってきてくれたおかげでもある。


「これはこれで、幸せを感じています」


 恍惚とした表情で山崎が吐いた台詞だ。もう完全に、介護の予行演習気分みたいだった。

 ありがたいことなので文句は言えないが、沼に両足がはまっているような気がしてならない。


 そして月曜日。いつもの通りくたびれたスーツで出勤し、いつもの通りに仕事をこなす。

 俺の仕事は社内研修の企画と運営だ。四月は新入社員の受け入れと、約一ヶ月の入社者研修で忙しい。

 直接の講師は若い奴らに任せてあるので、トラブルがない限りは現場には行かない。その代わり俺は俺で、問い合わせ対応や関係部署との調整に東奔西走だ。

 ようやく四月も後半になり、恒例となっているドタバタも終わりに近付いていた。皆、ゴールデンウィークを前に浮き足立ちつつある頃だ。


 そんなに大きく変わらない仕事だが、今日は変な雰囲気が漂っていた。


「里中さん、部長来てないんですが知りませんか? 携帯電話も出てくれなくて」

「いや、知らないな」

「そうですか。里中さんも知らないとなると、困りましたね」


 少し年下の同僚に聞かれる。俺と麻衣子の関係は大っぴらにはしていないものの、公然の秘密として社内には知られていた。だから聞かれることは理解できるが、今回は本当に知らない。


 責任感の強い麻衣子はこれまで無断欠勤なんてした事がない。管理職という立場になってからはなおさらだ。体調不良だとしても必ず連絡はするだろう。

 まさか、と、土曜日のことがよぎる。とても嫌な予感がした。


「わかった。探してみるよ。課長の許可とってくる」

「ありがとうございます!」


 俺は所詮サラリーマンだから、普通は上の指示がないと動かない。たまに自ら提案して仕事を進めるようなことはするけど、基本的には従うのみだ。

 だから、今回の行動は俺にしては異例だった。


「あー、助かるよ里中君。業務内扱いでいいから、見つけて来てくれ」


 課長に捜索を申し出たところ、あっさりと外出の許可が出た。部長がいないと回らない仕事は多い。それに比べたら俺の不在など大したことではない。

 業務内ということは、責任を持って探して来いということだ。


『元カノさんは今でも健司おじさんのこと好きですよ』


 山崎の言葉が真実なら、無断欠勤の原因は想定できる。正直、そんなそぶりは全く感じなかったけど、山崎の指摘通り俺が鈍感だったのだろうか。

 黒影は人の心の隙間に入り込む。俺と山崎を見た麻衣子は何を思っただろう。嫌な予感が外れていることを願った。


 手っ取り早く麻衣子の所在を探すには、魔術では限界がある。広範囲を捜索するならば魔法を使わざるを得ないということだ。

 会社のビルから外に出た表通りは、ビジネス街から繁華街に続いている。人が多い方が魔法で使える魔力の総量は増えるため、少しだけ歩いた。


 魔法使いが魔法を使う際、一定のルールが定められている。これに違反すると、免停や免許取り消しをされることがある。他人の魔力を無断で使うことで、揉め事の原因となる可能性があるからだ。

 今回は『黒影被害の未然防止』に該当するので合法だ。周りの方々には申し訳ないが、魔力を拝借することにしよう。


 歩道の端っこで目を閉じ、広域捜索の魔法を展開した。自分を中心に、上空から見たような映像を頭の中に感じる。

 あちこちからちょっとした口論が聞こえてきた。よし、聞かなかったことにしよう。ごめんなさい。


 魔法ならば半径二十キロメートル程度の範囲ならば個人を特定できる。犯罪行為にも使えてしまうため、これは特に規制が厳しい。

 本来は事前申請が必要だが今回は緊急事態だ。特例が適用されると判断している。事後の報告書提出がめんどくさいと言っている場合でもないだろう。

 大量の魔力を動員して麻衣子を探す。対象以外は感知しないよう注意をしなければならない。個人情報が筒抜けになる危険は俺としても避けたい。


 ただ会社をサボっただけならそれでよし。想定する最悪の事態であれば、かなり危険だ。麻衣子を犯罪者にしたくはないし、可愛い助手を救いたい。


「いた……」


 残念ながら俺の予感は的中していた。土曜日会った時と同じ格好の麻衣子は、ふらふらと歩いている。黒影に取り憑かれていることを証明するように、魔力の揺らぎも感じた。

 場所は会社から電車で一駅、山崎の通う大学の敷地内だ。


「くそっ……」


 探知範囲を麻衣子に固定し、エコバッグの中を透視した。何かに祈りたい気持ちでいっぱいだった。何に祈るのかは自分でもわからない。

 しかし、俺の祈りは届かなかった。刃渡り十七センチ。一般的な万能包丁が、そこに見えた。


「まじか……」


 プライベート用の携帯電話を取り出し、山崎の番号を呼び出した。数コールが無限の時間のように感じられる。


『はい! 山崎 明莉です! 電話かけてくれるなんて初めてですね。嬉しいです』


 いつもの山崎に安心する。しかし、それに応えている余裕はなかった。


「黒影に取り憑かれてた麻衣子がお前を襲いに大学にいる。どこかに隠れててくれ。すぐに行く」

『え? どういうことですか?』

「時間がない。とにかく麻衣子に会わないようにしてくれ」

『は、はぁ』

「じゃあな」


 事態が飲み込めていない山崎の返事を待たず電話を切った。一刻も早く大学に向かわなければならない。


「やるしかないか」


 激しく気が進まなかったが、俺はあの魔法を使うことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る