第6話です 眠る前は眠くなる本を読みましょう、例えば
食器の後片付けは私の担当です。
私が一番多く食べたから渋々引き受けるのではなく、そういう決まりなのです。
つまり役割分担です。
夫婦が長続きする鉄則は家事の分業だというように、家族が穏便に過ごすにも家事の分業は大切です。
食器を洗い、居間で祖母、母、父と家族団らんの時間を過ごしてから午後十時半くらいに部屋に引っ込みました。
一時間ほど予習をして、布団に頭まで潜り、柔らかい読書灯の灯りで眠るまでの間本を読みます。
夜はなるべくネットを使わないようにしています。
別にネットですることもないですし、何より心を乱されます。
ネットの情報にふれると、何故か疲れてしまう体質なのです。
これは私だけでしょうか?
だとしたら心細いです……。
今では簡単に情報を集めることができるようになりました。
空気のように情報が溢れかえっている世界。
情報を制す者は世界を制すと言いますが、ネットの情報をいくら集めても世界を制せる気がしません。
知るということは楽しいですが、知らなければならないというのは苦しくもあります。
世間の当たり前、知っていて当然、知らなきゃおかしい、知の同調圧力。
知らなければ世間から置いて行かれる。
だから人々は四六時中情報にアクセスして、世間の情報や流行、どこどこの誰かさんが何々をした、などのきっと別に知らなくてもいいことを、さも知らなければいけないように集めるのです。
集めないと不安で不安で、ゆったりとした時間を過ごすのは怠けているようで、時間を無駄にしているようで、不安で不安で仕方がないのです。
頭は常にパンクしそうで、穴の開いたタイヤのように記憶から情報が漏れ出てしまう。
情報という空気を詰め込むのが無意味なことだとわかっていても、ポンプを一生懸命に動かして、一時の満タンに心の安定を求める。
そんな情報集めて何になるのかと思います。
確かに話の話題集めにはなるでしょうけれど、私は多くの友達を持っている訳ではありませんので、意外と話題に困ることはないのです。
私はそれで十分充実した生活を送れていますが、世間一般の友達は多い方がいい、という暗黙の了解は重すぎです。
こんな性格ですが、私もアンドロイドやAIではないので、人並みには気にするのですよ。
本当に気が置けない数人の友達を大切にするのではいけないのですか?
本当に大切な人との時間をおろそかにして、余り付き合いの薄い友達に嫌われないようにビクビクしながら時間を割かなければいけないのですか。
友達は数を競うものではありません。
友達百人なんていりません。
数人でいいと私は思っています。
世間の当たり前に逆らうのは辛く苦しいものですね。
私はそんな負の情報をどこで仕入れてきたのでしょう。
悪い情報は良い情報よりも、強く広く伝播すると聞いたことがあります。
人間は良いことが九あっても、一の悪いことの方を気にする生き物だから。
関西圏のおばちゃんが言っているイメージがある(完全な偏見です)「人は人、自分は自分」でいいのです。
比べなくていいのです……。
多くはいらない、私が満足しているならそれでいいじゃないですか。
ですが、そう割り切れる人たちばかりではありません。
今の競争社会では、余計に他者と自分を比較して絶望する仕組みになっている。
成功者の成功美談を模範のように取り上げて、皆さんも死に物狂いで頑張ってこういう立派な人になりましょう、と。
だから人々は成功するために、前方に立ちふさがる障壁を壊して、乗り越えて、抽象的な成功と言う幻想を追い求める。
人生はマラソンに似ています。
と誰かが言っていたような気がするような、しないような。
必死に走って走って、前の人を追い抜いて追い越して、やっと一番になっても、後ろからいつ自分を追い抜いて行く人が現れるかわからずビクビク怯え続ける毎日。
一度走り出せば止まれない、止まることを許されない。
止まってしまえばあっと言う間に追い越され、敗者とみなされる。
この世界に生まれたからには、死ぬまで戦い続けなければならない。
本当のゴールも知らぬまま、最期に力尽きるまで。
滑稽に思いますか?
私は思えません。
何故なら私も、いえ人間みんなどんな人生を送ろうと同じ結末を迎えるからです。
語弊を招くかもしれませんが、ゴールとは死なのでしょう。
ゆっくり進もうと、全速力で駆け抜けようと、最期は死と言うゴールを皆迎えます。
終わらないマラソンはない。
と、まあ変な方向に話はそれてしまいましたが、私は眠るまで本を読んでいる、という話です(脱線し過ぎです……)。
今読んでいる本の内容を超要約しますと、ある人間嫌いになった少年が学校を中退し、寮を出て家に帰ることもできず、右往左往しながら色々な人々と関わるというアメリカ文学です。
何でもこの本を読んだ人たちが度々犯罪を起こしているとかいないとか。
別にこの本を読んだからと犯罪を起こすという因果関係はないと思いますが、色々な要因が重なってしまい、そういうジンクスのようなものできてしまったのでしょう。
私はこの本の日本語訳タイトルが好きです。
以前も話しましたが、表紙買いする人がいるように、私もタイトル買いをすることがよくあります。
タイトルとストーリが必ずしもリンクしているとは限らないのですがね。
以前もタイトルに惹かれて手に取ってみたのですが、私が未熟なのと、選んだ翻訳版の文体が独特だったのとで読めませんでした。
今回はちゃんと読み通して見せます、と意気込みながら二十ページほど読み進めた辺りで、下余白にまたも書き込みを見つけました。
筆跡が以前見た書き込みの文字と酷似しているように思いますが……。
思いますではなく、確信をもってそうだと言えます。
間違いありません。
この文字は前回読んだ本に書き込まれていたものと同じです。
こんな偶然があるのでしょうか。
図書委員は書き込みをチェックしないのでしょうか。
登場した登場人物の名前や、簡単な性格分析などが書かれています。
さらに読み進めると、場面の要約や、感想などが書かれていました。
知識が豊富らしく、色々な古典や心理学的な視点から分析されています。
ふむふむ、書き込み主はそういうことを考えながらこの場面を読んでいたのですか。
実に面白い。
以前は手こずった本ですが、今回はページをめくる手が進みます。
ごくたまに現れる書き込みは、おまけコラムのようで見つけると、ちょっと得した気持ちになりました。
小説の世界に没頭している余り、時間の経過を忘れてしまっていました。
針と数字が黄緑色に発行する時計を見上げて見ると、午前二時になっているではありませんか。
浦島太郎子になった気分です。
ありゃ……。
本を半分ほど読んだ辺りで、しおりを挟み眠ることにしましたが、目が冴えてしまってなかなか眠れません。
本を読んでも目が覚めますね。
夜は眠くなる本を読めと言うことですか……。
般若心経でも読みますか。
あれはあれで、読む人によっては面白いと思われるのでしょうけど。
いったい、この書き込みをしている人は誰なのでしょう?
うちの学校にまだ在籍しているのでしょうか?
しているとしたら、何年生でしょう?
男でしょうか、女でしょうか。
書き込みの主は自分のことを自分と表していて、性別すらつかめません。
文字も几帳面で中性的、筆圧も弱くも強くもないので、私は筆跡鑑定の専門家でもない限り判断材料にはなりません。
それにしても、一体誰が書いているのでしょう?
気になります……。
そんなことを考えてしまって、眠れたのはきっと明け方の三時くらいだったと思います。
今日は昼寝が多くなる一日になるでしょう。
おやすみなさい――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます