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  • 夏の呉への応援コメント

    広島弁が懐かしいですね。特に、「ほいじゃけぇ」が(笑)。

    以前書いた様に、私は、今は三次市である田舎の出身です。妻は米国人ですが、一人息子は、広島の田舎の私の両親と祖母を訪ねるのが好きでした。

    初めて、私の実家を訪れた時、妻は大学で、日本語を学んでいました。成田に着いて、一晩東京に泊まって、翌朝、新幹線で、新尾道まで行き、父の車で実家まで帰りました。しかし、日本語を一生懸命学んできた妻が、私の両親と祖母の話す日本語が全く理解できなかったのでした。それは、勿論、方言のせいでした。地元の小学校であった盆踊りで出会った学校にの先生達の話す標準語はだいぶわかったらしく、とても喜んでいました。今でも、「いりません」と「知りません」が「いらん」(イランは国になだそうです)とか「知らん」となるのが気に入らないと言ってます(笑)。妻は、この他に、庄原市出身の母の「ほいじゃけぇ」と「へじゃけど」を、未だに真似しています。

    作者からの返信

    読んでくださって、ありがとうございます。

    広島弁というと、「じゃけん」を思い浮かべる人が多い印象ですが、地元民的には「じゃけぇ」だし、なんなら「ほいじゃけぇ」だよな、と思うことがしばしばあります。笑

    奥様のエピソードも、興味深く拝読しました。日本語の方言は単語から変わってしまいますから、本当に難しいだろうと思います。「ほいじゃけぇ」を真似する奥様を想像して、とてもほっこりした気持ちになりました。

  • 夏の呉への応援コメント

    私も呉出身なので、透子さんの呉弁に親近感が湧きました。

    呉弁は広島弁と比べて、より方言色が強いように感じます。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    おお、呉のご出身なのですね! あのあたりの雰囲気が伝わったなら幸いです。しばらく広島を離れているもので、思い出しながら書いていました。

  • 夏の呉への応援コメント

    灰崎千尋さま、「原風景の里」へのご寄稿、ありがとうございました。
    これは素晴らしい児童文学です。
    事件らしい事件は何も起こらないのに、なだらかな感動、とでも呼べばいいのか、ローカルな呉の風景の中に綴り出される翔と透子の友情が、地に足の着いた日常スケッチとしてほろ苦さも交えつつ活き活きと語られていて、何だか懐かしさを覚えます。心の動きや思いのさりげないニュアンスがとても丁寧に捉えられていて、人生の大部分はこういうちょっとしたエピソードで織りなされて行くんだなということをあらためて思い出させて頂きました。タイトルが「透子さん」の夏休みである点も意外で、登場人物や風景の描かれ方に、遠近法のような奥行きを感じます。波乱万丈の大冒険も素敵ですが、今回は等身大であればこその本物の手触りを楽しませて頂きました。なお、企画終了後、いつもカクヨム上に掲載している友未の「ストックブック」の「原風景の里」のページで是非ご紹介させて頂きたいと思います。12月20日前後の掲載予定です。いつか適当な企画がお目にとまりましたら、またご参加くださいませ。

    作者からの返信

    読んでくださって、ありがとうございます。

    自分の知る田舎の風景や空気を書きたくて苦心した作品なので、このようなコメントをいただけてとても嬉しく思います。このご時勢で帰省もしばらくできていないこともあり、私自身、昔を懐かしみながら書きました。

    「ストックブック」にご紹介いただけるとのこと、光栄です。掲載を楽しみにしております。
    素敵な企画をありがとうございました。

  • 夏の呉への応援コメント

     「ビジュアル描写を意識して書いた作品の本棚」の企画をきっかけに拝読しました。

     広島の風景を知らないはずなのに、読み終えた後はそこに行って見て来たように光景が記憶に焼き付きました。

     そして透子さんと翔くん。
     二人の醸し出す関係性と、周囲の人との関係性、田舎の感じとか理解できる事ばかりで、懐かしいような気持ちも沸いてきて、少し苦い人間ドラマも感じられるのにひと夏の思い出を垣間見た爽やかな読後感に感動しました。

    作者からの返信

    読んでくださって、ありがとうございます。

    お盆の広島をこの作品から感じていただけたなら、とても嬉しいです。

    翔くんは幼い頃の、透子さんは現在の私自身(あるいは幼い頃にいてほしかった大人)を投影していたりしまして、どう読まれるのか少し不安だったのですが、このような感想をいただけて良かったです。ありがとうございます。