スポットライトの外側で

別歩

スポットライトの外側で






その朝、とあるオフィスビルの一角で一組のカップルが結婚の発表をした。

爽やかな茶髪の男と、小動物のような小柄な女だ。


男の方はどこかで外国の血が入っているとかで色素の薄い整った顔立ちをしており、営業のエースとして社内では有名だった。人当たりがよく柔らかな物腰で、男女ともに人気があった。

女は若手の社員で小動物のような可愛らしさがあり、いつも笑顔を絶やさず真面目に仕事に取り組む様は彼女をより一層魅力的に見せていた。


彼らは同性からやっかまれることも多かったが、それでも共に容姿の整った、社内で人気を集めていた二人だ。当然、二人の発表に社内は騒然とした。


二人は、まるでドラマの主人公のようだった。

イケメンで仕事のできる男と、若く可愛らしい女。女は上司でもある男から目を掛けられ、一生懸命に仕事に打ち込む。そんなひたむきさに惚れる男と、男との接近を周りの女たちに咎められる女。様々な障害を乗り越え、それでもやがて二人は結ばれる。


物語の定石だ。夜のお茶の間で流れ、主婦たちはため息を吐く。

「ああ、素敵ね。」

放送される時間帯が遅ければ、より過激な桃色シーンが登場することもあるかもしれない。


女は結婚を機に退社する旨を伝え、二人は幸せでたまらないといった雰囲気を隠そうともせずに寄り添い合った。

居合わせた人間は様々な思いを抱えながらも、社内は一応の祝福ムードに包まれる。



そんな中、そっとその場を離れる人影があった。

それは真っすぐな黒髪を肩で切りそろえた女性で、気づかれないよう、音を立てずに歩いて行く。


向かう先にあるのは資料室だ。ペーパーレス化が進む昨今、その部屋に人が来ることは滅多にない。

それでもその部屋が残っているのは、稀に使われるその資料すべてを電子化するために多大な時間と労力が必要になるからだ。ゆえに、今では資料室は社内の恋人たちの秘密の逢瀬の場所として暗黙の了解を得ていた。


そんな場所に一人やってきた女は、ただでさえ人気のないその部屋の隅、棚の陰になって扉からは見えない位置に来ると静かに涙を流した。


彼女はここには彼女以外誰もいないと思っているだろうに、それでも声を押し殺して泣き続ける。

涙は後から後から溢れでるようで、泣き止む気配はなかった。


「君もあの営業のエース様が好きだったの?」


そんな彼女に、不意に声がかけられた。その声には、わずかな苛立ちと嘲りが滲んでいる。

黒髪の女はいっそ可哀想なまでに動揺し、声のした方を見た。

そこには、彼女の上司にあたる男がいた。


先ほど幸せそうに結婚報告をしていた男同様に引き締まった長身に整った容貌をしているが、切れ長の瞳にどこか人を食ったような掴みどころのない鋭い雰囲気を纏っているため社員からはわずかに距離を置かれている人物だ。


「かっこいいけど、怖いからあの人は観賞用だね」


若手の女性社員からはそんな評価を受けている。だからこそ、パートナーを望む女性の矛先が先ほどの茶髪の男に集中し、彼らの仲を妨害する結果となったのだが。


何故、彼がここにいるのか、自分に話しかけているのかが分からず、女は一時固まった。あまりの驚きに、涙まで止まってしまった。


「ねえ、君もさっきの彼のことが好きだったの?」


再度声をかけられて、彼女はようやく自分が質問されていたことに思い至った。


「え……?えっと、違います。そういうんじゃないんです。」


「じゃあ、何で泣いてるの?好いた男が他の女にとられて悲しいんじゃないの?」


その言葉に、女はさも意外なことを言われたとでもいうように目を瞬かせた。

涙の膜が瞬きによって雫となり、数滴頬を伝う。

その様を、男は苦々しげに顔を歪めて眺めていた。


「えぇと……」


恥ずかし気に女が顔を伏せた。


「私、嬉しかったんです。」


それは、あまりにも言葉足らずだった。そもそも、女は話すことがあまり得意ではないのだ。


「何が嬉しかったの?」


「私、私……話すことが苦手で……。さっきの彼女には、何度も助けてもらいました」


つっかえつっかえ話す女に、男は女の前にしゃがみ込んだ。ゆっくりでいいよ、そんな空気と共に二人で向かい合う。


「私は彼女に何度も助けてもらったのに、彼女が先輩方から嫌がらせを受けている時、私は何もできませんでした。ずっと知っていたのに、彼女が隠れて泣いていることも知っていたのに、私は何もしませんでした。」


男の登場により一度は止まった涙が、再び溢れた。


「ずっと、悔しかったんです。何もできない私が、卑怯で嫌になりました。でも、今日、幸せそうな彼女を見てほっとしました。」


震える声で、小さく息を吐く。


「私は何もできなかったけど、優しい彼女が幸せになってよかった。会社を辞めてしまうのは寂しいけど、でも、これ以上彼女が先輩たちと会わなくて済むから、やっぱりよかったなって……。」


どうしても泣くのを我慢できそうになかったので、逃げてきたんです。そう言って女は苦笑した。

涙は未だポロポロと流れていたが、随分落ち着いてきている。


「もういい年なのに、恥ずかしい所をお見せしてしまいました。主任は先に戻ってください。落ち着いたら戻ります。仕事はサボりませんから」


男は無言のまま女の頭をかき回した。小さな子供にするような遠慮のない撫で方で、女が小さく悲鳴をあげる。


「君は、優し過ぎる」


男は女の入社以降、ずっと彼女のことを気にかけていた。女は自分の意見を言うのが苦手なようで、いつも一歩下がった位置に立っているイメージだった。

事務連絡などの必要な会話以外はしないくせに、人が嫌いという訳でもなさそうだった。

閉じられていることの多い小さな口は存在感をなくし、その代わりに大きな目ばかりが印象に残っていた。それでも、観察していれば気づくのだ。彼女の口が小さく下唇を噛みしめていることが多いと。


ああ、きっと彼女は言わないだけで胸の内には沢山の思いを抱えているんだろうな。

そう思ったら彼女が何を考えているのかが気になるようになり、一層彼女を目で追うようになった。


そしてそれは彼だけではなく、数名の男性社員が同様に彼女のことを気にかけていた。

無意識だろうが、男の庇護欲を誘うのだ。


それゆえにお局たちに目を付けられ、話すことが苦手なため言い返すこともできない彼女を先ほどの女が助けていたようだった。


「私、優しくなんかありません。優しいなら、きっと彼女を助けたはずです。」


フルフルと頭を振る女に、男は言う。


「優しくない人間は、こんな風に泣いたりしない。君は優し過ぎるほどに優しいけど、きっと強くはないんだ」


今度はさっきまでとは打って変わって、優しい手つきで宥めるように頭を撫でる。


「でも、君はきっと大丈夫。こんな風に泣ける人間は少しずつだろうといい方向に変わっていける」


この人はこんなに優しい顔をするのか。

女は密かに驚いた。どこか無愛想な言動をするこの上司が、ただ冷たいだけの人でないことは知っていた。しかし、それはこんなに分かりやすい優しさで示されることは一度もなかったのだ。


「あの……、ありがとう、ございます」


女は自分を気にかけてくれたこの人に、精一杯の感謝を伝えたかった。

泣いて酷い顔をしているだろうことは想像に難くないが、それでも自然と笑顔が浮かんだ。


「これからは、せめて、自分の意見を伝えれるように頑張ります。今は、つっかえつっかえだけど。少しずつ、みんなと喋れるようにします」


そう言うと、男は口元をその大きな手で覆った。女からは男の表情が見えず、不安になる。

しかし男の方はと言うと、その掌の下で実にあくどい笑みを浮かべていた。

女の前では決して見せたくないであろう、狩りをする肉食獣のような雰囲気があった。


「それなら、まずは俺と練習をするのはどう?君は話すのが苦手というし、実際そうなんだろうと思っていたけど、俺と話す時は普通に話せているよね?」


「それは……、主任が、いつも急かさないでいてくれるからです。私が伝えようとしているのを、要領を得ないだろうに。それでもいつも聞こうという姿勢を示してくれるので、とっても話しやすいんです」


そこまで嬉しそうに話して、「でも」と女は躊躇った。


「仕事でもいつもお世話になっているのに、プライベートでまでご迷惑はかけられません」


そんな女を前に、男は遺憾なく自身の手腕を発揮する。


「君が円滑にコミュニケーションを取れるようになれば、仕事もよりスムーズになるだろう。俺は君の教育係をしていたし、今だって俺の下で働いているんだから俺にとっても意味のあることなんだよ」


そう言って女の心のハードルを下げた上で、男は付け加えた。


「あ、でもね。俺にとっては他にもいいことがあるから、本当に君は遠慮しないでいいんだよ。むしろ俺のためにお茶に付き合ってあげるくらいの気持ちでどうかな?」




その後しばらくして、黒髪の彼女は随分スムーズに人と話せるようになり、自分に自身がついたようだった。時を同じくして、彼女は主任に捕獲される。


自分に自信がついて、けれど生来の優しさを失わず、時に人から非難されることを恐れずに意見を言えるようになった彼女は男性社員の熱い視線を浴びることとなったが、彼女の心には主任がいた。


職場では背中や横顔を見つめていることの方が多い彼が、プライベートでは自分とずっと向き合って切れていて、そのお蔭で自分は自分を少しだけ好きになることが出来た。


彼女は、男に対して感謝の気持ちで一杯だった。


彼女は元来素直な質なので、その気持ちは彼女とそれなりに関わりのある人間であればすぐに分かった。

人の色恋に敏感な適齢期の女たちも、気難し気な男のことはそういう対象として見ていなかったためあまりそのことでとやかく咎められることもなかった。


女があまりにも真っすぐに男を見つめるものだから、彼女に気がある他の男性社員は彼女にアプローチすることもできず、気が付けば二人は結婚するらしいとの噂が流れだした。



「お前がさっさと捕まえないせいで俺の女がなくはめになったんだがどうしてくれる」


「いやあ、完全にとばっちりじゃないか。しかも、「俺の」って……。まだ付き合ってもないのに」


「そう、まだ、なだけでいずれ嫁にするから問題ない」


「君こそ僕に文句言ってる暇があるならさっさと捕まえなよ……」


社内でもツートップと呼ばれる男性社員二人がそんな会話をした後、黒髪の女性社員と無愛想な男性社員は結婚したという。


これは、スポットライトのその側の住人が幸せになる物語。







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