100時間後に死ぬ青年

「核ミサイル、隕石撃墜に失敗」


 ニュースサイトは、どこもこの見出しで溢れかえってる。アメリカ主導だったこの計画は、地球上に存在する15000個を超える核兵器を直径150km隕石に向けて一斉に射出、同時に爆破することで21世紀のアンゴルモアを宇宙空間で粉々にしようというものであった。が、実際に発射された核ミサイルは約8000個。全人類の保有する核の半分近くが出し惜しみされた。人類史始まって以来の大ピンチでさえ、国家間のしがらみの為、人類は共同路線を取る事が出来ていなかった。これを愚かと言わずして何というべきだろうか?


 Twitterを閲覧すると、そこには各国の指導者らに対するやり場の無い怒りが多数ぶちまけられていた。トレンドには「隕石」「人類滅亡」が1,2フィニッシュで並んでいる。Twitterを1,2分程眺めた後、俺はテレビ出ニュース番組を観た。若い女性アナウンサーが職業的な表情で、21世紀のアンゴルモアについて職業的な口調で説明していた。


「地球に落下予定の巨大隕石ですが、あと100時間後に東アジアに落下すると予測されています。なお、この隕石は約6600万年前にメキシコのユカタン半島に落下し、恐竜絶滅の原因となったチクシュルーブ隕石の約100倍のサイズであり……うっ……うっ……」


 ここで女性キャスターは嗚咽を漏らした。疲労が色濃く見える瞳からは涙が溢れ、そして何滴も何滴も頬を伝った。彼女は10秒ほど声を押し殺して泣いた後、再度原稿を読み上げ始めた。


「失礼致しました……うっ……うっ……研究者の間では、この隕石が落下すると……日本は……跡形もなく……消滅すると予測されています……」


 ここで番組が終わった。まあ無理も無い。あれはちょっとした放送事故だ。俺がディレクターでも多分あそこでストップするだろう。番組終了後はACのCMがテレビ画面に流れる。画面を眺めながら、俺は東日本大震災を思い出した。あの時の虚無感も凄かったが、自分は死なないだろうという奇妙な安心感が同時にあった。大津波や大火事はひどく痛ましいものではあるが、現実感を伴うには東北と愛知ではいささか物理的距離が離れすぎていた。が、今度は違う。間違いなく俺は死ぬ。その事実は墓石に掘られた戒名の様に俺の心に深く刻まれていた。俺は一旦テレビの電源を切った後、思い出した様にスマートフォンで時間を確認する。


 8月11日 8時13分


 100時間後。つまり、あと4日と4時間で我々はみんな仲良く死ぬ事になるのだろう。8月15日の正午、ちょうどお盆じゃないか。死者の魂が黄泉の国に帰る時、我々も一緒に道連れにされるというのは何の冗談だろうか?俺は居間のソファから立ち上がる。そのままキッチンに行って、電気ケトルでお湯を沸かす。お湯が沸くのを待つ間、ビートルズの「アクロス・ザ・ユニヴァース」を口ずさむ。


Jai guru deva om

Nothing’s gonna change my world


 歌っているとケトル内の水が沸いた。ネスレのインスタントコーヒーの粉を紙コップに入れ、お湯を注ぐ。コーヒーの良い香りが部屋に立ち込める。


 居間に戻ると再びテレビの電源を入れて、違うニュース番組に切り替えた。そこでは、世界各国で行われている暴動について取り上げられていた。フランス・パリではエトワール凱旋門の周りに人集りが出来ていた。中には火炎瓶を投げる移民らしき若者もおり、鎮圧部隊と激しい抗争を繰り広げていた。遠く離れたブラジルのサンパウロでは、ギャング達による犯罪や殺戮が横行していた。その数の多さから警察も収拾がつけられず、大通りには犠牲者の死体がそのまま放置され、疫病の原因ともなっているそうだ。


 が、日本では小規模なデモ活動はあれど、このように血が流れる様な荒事には発展していないらしい。2011年の東日本大震災の際に緊急時でも秩序を重んじる国民性が世界から評価された。が、ここまで来ると日本人はいかなる時も礼節を守る国民性と言うよりは、もはや人の目を気にし過ぎて嫌われたくないというのが本当の国民性なのかも知れない。


 俺は紙コップを持って、ベランダに出るとiQOSの電源を入れた。マルボロのメンソールをセットして、一口肺に入れる。俺の住む13階からは、池袋の街並みを眺める事が出来た。眼下には劇場通り、道を挟んだ先にある東京芸術劇場、その奥にある池袋駅と駅ビル群。空は晴天で巨大な入道雲が駅ビルの後ろに浮かんでいた。それらを眺めながら、俺はボーッと考える。


 正直な所、俺としてはこのまま人類がみんな一緒に仲良く滅びるのなら別にいいんじゃないかと思っている。別に漫画やSF映画のラスボスが唱える「人類が地球を汚染する癌だから絶滅するべき」などという大層な理由なんかでは無い。ただ、俺自身が生きる事が虚しかった。それだけだ。28年間、俺は日々無気力に生きてきた。何となく勉強して、何となく大学を卒業し、何となく就職し、何となく労働してきた。


 いや正確には違うな。確か中学生の頃までは、プロのサッカー選手になるのが目標だった。高校で全国区の強豪校に入学してから、多くの天才達の背中を見て、自分の立ち位置が見えてしまった。夢を諦めた後、俺には何をすれば良いのかもうわからなくなっていた。大学に行けば、サッカーの代わりになる何かが見つかると思った。が、周りに流されて遊んでばかりの日々を過ごし、結局それはやって来なかった。今となって思えば、夢は待つ物じゃなく、自ら探す物だったのだろう。が、一度決まったルーティーンに乗っかると、新しいことを探すのがしんどいと感じてしまう。


 大学卒業後に入った会社にも情熱や生き甲斐を感じる事が出来なかった。言われた仕事は機械的にこなせるもののつまらないものばかりだった。家に帰っても何かする訳でもなく、YouTube視聴やスマホゲームにのめり込み、無為な毎日を過ごした。俺は小学生の時から何も変わっていなかった。ここに居るのは偽りの自分で本当の自分はどこかでサッカーで食って生きているんだ。これは夢なんだ!我ながら幼稚な思考だとは思うけれども、だからといってこの虚無感は拭えない。


 自殺も考えたが、どうしても出来なかった。故郷に残した親を悲しませたくなかったし、同僚や近所の人間に負け犬と思われるのも癪だった。死ぬ事は怖くないけれども、誰かに嫌われたくなかった。なんだかんだ言って、俺も心根は日本人だったということだろう。


 だからこそ……だ。隕石落下は俺にとっては祝福するべき事なのだった。なんせ、「合法的自殺」が出来るからだ。隕石で死ぬのなら、それは仕方の無い事だと周りを納得させられるし、そもそも嫌われる以前にみんな消えちまう。


Jai guru deva om

Nothing’s gonna change my world


 俺はもう一度、アクロス・ザ・ユニヴァースのサビを口ずさんで、コーヒーをすする。空を見上げ、ふと思う。


今年の夏はあつくなりそうだ。

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