サマータイム・フィールドワーク

四方山次郎

第1話


「というわけでよろしくお願いします」


 栗毛の少女、花咲ほのかは礼儀正しく頭を下げる。お願いされた側のぼさぼさ髪の男、相場透は回転椅子に座ったまま振り返る。


「……えっと何が?」

「母さんから聞いてないの?」

「姉貴……お母さんから? いやなんも」

「自由研究手伝ってほしいんだ」

「八月も中旬だというのに。さては宿題ため込みすぎて頼ってきたな?」

「宿題はしっかりやってるよ。ただ、自由研究も小学五年生じゃできることも限られるから、母さんに相談したら叔父さんに頼めって」

「姉貴も好き勝手言ってくれる。まあいいけど」

「ほんと? ありがとう!」


 幼いころから相場は姉に逆らうことができない。過去に何度か反旗を翻したことがあったが、そのたびに手痛い仕返しにあい、今ではすっかり牙を抜かれてしまった。


「で、何するんだ? 王道にスライム作りか? それとも、紫キャベツからDNA抽出するか? なんなら電解採取で銅板作るってのもなかなか手が込んでていいかもしれない」

「自由研究自体は大体進んでいるの」

「何してるんだ?」

「ヒノメ町のフィールドワーク」

「フィールドワーク? 何を観察しているんだ? 野鳥? 猫?」

「見ればわかるよ。とりあえずついてきて」


 そういって、相場とほのかは町へと繰り出した。ヒノメ町は都市の郊外に属する人口一万八百人ほどの町である。照りつく日差しに眩暈がする相場とは対照に、暑さをものともしない姪っ子は勇み足で先を進む。しばらく歩き、近場の公園に到着した。ほらあれ、とほのかが公園の一角のベンチを指さした。そこには一人の老人が座っており、その足元には野良と思われる猫二匹が寝そべっていた。


「いつもこの時間はあそこにいるの」


ははあ、野良猫のフィールドワークだな、と相場は納得した。夏場、猫は人間でもわからないような秘密の避暑地を知っている。以前何かの記事でそのようなことを読んだ記憶がある。その彼らの行動様式を収めようとしているのだ。


「時期に応じた猫の行動を観察するのも面白いな。この時間はあそこが日陰になって涼しそうだ。ああやって餌をくれそうな人も来るだろうし」

「あのおじいさん、キンタマが好きっぽいの」


 姪っ子から発せられた単語に相場はぎょっとする。


「え? キンタマ?」

「そう。あのおじいさんいつもここにいるの。そして、近くにいる猫たちを愛でているように見えて実は猫たちのキンタマを狙っているの。しばらく観察していればわかる。おじいさんの目はずっと猫たちの股下のほうを追っている。あれは絶対キンタマを狙っている目だよ」

 

 観察対象が猫ではなくあの老人であることもさることながら、猫の睾丸を狙っているとはなかなかおかしなところに着目する。

 じゃあ次行こうとほのかは踵を返す。相場はおじいさんと猫に意識が向いたままだったが、ほのかはきびきびとした足取りで進むため急いで後を追った。

 次にたどり着いたのは市立図書館だった。透き通ったガラス張りの三階建てで、ひんやりとした印象を抱きやすく涼をとるにはもってこいの場所だ。二階まで上がったところでほのかは立ち止った。何かを探すようにあたりをきょろきょろと見回す。


「ここにも猫がいるのか?」

「探してるのは猫じゃないよ。あ、あった」

「ここの本棚がどうしたんだ?」

「ほら、ところどころ本が上下さかさまに入れられているでしょ」


 指し示された段を見ると確かにやや古びれたハードカバーの本が不規則に上下さかさまにしまわれていた。


「これ、いつも同じ人がやってるんだ」

「その現場を見たのか?」

「うん。アロハシャツのおじさんが入れ替えてるんだ」

「一体何のために……」

「理由はまだ謎。それを突き止めるためにもわたしはずっと追跡しているの」


 彼女はやけに真剣な目つきで本棚を一直線に見つめていた。ここでようやく相場は自由研究の内容が猫のフィールドワークなんかではないことに気が付いた。




「ヒノメ町に住まう奇妙な人々のフィールドワーク?」

「そう」


 近場のファミリーレストランで昼食をとる際にほのかは内容を打ち明けた。デミグラスソースがかかったハンバーグを満足そうに頬張りながら彼女は話を続ける。


「どうせならどこにでもいる動物よりもこの地域独特の生き物がいいかなって。妖怪だとか不思議なものもいいけど、もっと身近に感じられるものって考えたら人間かなって」

「あまり面白半分で人を見るのは感心しないぞ。それも自分の中にとどめるだけじゃなく発表するなんて。それよりも金属回収でもしたほうがよっぽど有意義だ。どうだ? 自分で鉱石をとってきてそれを自分の手で金属にするまでやるのは?」

「叔父さん、意地でも自分の得意分野に持っていこうとするのやめてよ」


 ほっぺを膨らまし、ぷいっとそっぽを向く姪っ子。


「それにおかしな人を追っかけまわしたら怖い思いをするのはほのか、お前自身なんだぞ? 叔父さんは認めないぞ」

「じゃあいいよ。自由研究にはしないから原因が判明するまでは付き合ってよ。せっかく始めたのに何もわからないまま終わるのは気持ち悪いもん。危ないことがあったら叔父さんが助けてくれるでしょ?」

「そうはいってもなぁ……。それだったら自由研究はどうするんだ?」

「まだ当てはあるもん。叔父さん以外に頼りになる人」


 姪っ子はべーっと舌を出す。やれやれと相場は頭を掻く。しょうがなく、ほのかに話を合わせることにした。


「それにしても図書館のあれは何なんだろうな」

「規則性があるかと思ってメモってきたんだ」


 折りたたまれた一枚の紙を広げると、以下のようにタイトルがつづられていた。



―――――――――――――――

・北からの標

・謀略門

○だるまさんが転んだ

微睡まどろみ開闢かいびゃく

・灯篭の行方

○殺し屋R

・向島の殺人事件

―――――――――――――――



「丸がついてるのがさかさまになってた本ね」

「タイトル見ただけだと規則性も何もわからんな」

「全部同じ作者ってことはわかったんだけど、内容が関係してたりするのかな」

「うーん。仮にメッセージを伝えるとしたら頭文字を読むとかか? 上下さかさまにした本はお尻の文字を読むとすると……」


 二人は小説のタイトルの頭文字を読み上げた。


「キンダマトルム?」

「……キンタマだ」


 ほのかがぼそりと言った。


「そうか! みんなキンタマに関わっているんだ! 公園のおじいさんも、図書館の逆さになった本も、みんなキンタマが関係している! これは大事件につながっている予感がする!」

「女の子がキンタマキンタマ言うのはやめなさい」


 夏休みのお昼時で家族連れが多く、周囲の視線を痛いほど感じる相場はほのかをいさめようとする。


「なんで? 何の変哲もないヒノメ町でキンタマにまつわる謎が集まっているんだよ? 歴史的発見だよ。きっとキンタマに関する組織的な陰謀が渦巻いてるんだよ。」

「わかったって。わかったからそんなにキンタマキンタマ連呼しないで!」

「じゃあなんて言えばいいの?」 


 相場は一瞬言葉に詰まる。少し悩んでから「……キンギョク?」とつぶやく。


「なんか言いにくい」

「……じゃあバロンドールと呼びなさい」

「なんかかっこいいね、バロンドール! これからはこの研究はバロンドールフィールドワークって呼ぼう!」


 運よく気に入ったようでほのかは満面の笑みを浮かべたかと思うと、すぐにはっとした表情になる。


「こうしちゃいられない! 公園に戻ろう! あのキンタマキラーも何か関係しているんだ!」


 叔父さんもキンタマ狙われないように気を付けてね! と注意を受けて再度公園へと向かった。件の猫のキンタマを狙う男を監視するために。


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