「ジョーカー」 (クライム/ヒューマンドラマ)
この映画を紹介する前に、先に言いたいことがあります。
私はこの世に「正義」はないと思っている。
何故なら、自分が正しいと思えば、それが「正義」になるからだ。
特に今の現在社会。理由があり、自分や周囲が正しいと思えば、それがもう「正義」になってしまう。
そんな風に「正義」が解釈されるようになってしまった気がする。
そして、ある男は言った。
「俺の人生は喜劇だ」
「ジョーカー」(2019 アメリカ 122分)
監督、脚本 トッド・フィリップス
脚本 スコット・シルヴァー
主演 ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ
本作は、DCコミックスのヒーロー「バットマン」に登場するピエロのメイクをした宿敵「ジョーカー」を描いた作品である。
バットマンシリーズは何作も映画化されており、様々な俳優が演じるジョーカーが悪役として登場してきたが、本作は「バットマンの宿敵・ジョーカーが誕生するまで」を描いたスピンオフではなく、一人の男が残酷な現実に打ちのめされ「ジョーカー」となり、社会に不満を抱く暴徒達のカリスマへと成り果てた姿が描かれた作品である。
コメディアン志望のアーサー・フレックは、富裕層と貧困層の格差が拡がる街・ゴッサムシティに住む貧困層の男。彼は病気の母親を介護しながら、ピエロの仕事をしていた。
アーサーには、脳の病気で(たぶんストレスが引き金なのか)突発的に笑い出してしまう障害があった。
仕事中、悪ガキ共から看板を奪われ破壊され、職場の上司に怒られるアーサー。
落ち込んでいた時、アーサーは同僚から拳銃を渡される。
この拳銃が、のちにアーサーを「ジョーカー」へと変貌させるキッカケとなってしまう。
アーサーは、純粋に人を笑わせたいと思っていた男だった。
だが、そんな純粋な思いも「現実」という誰もが逃れられない巨大な壁によって圧し潰されてしまう。
アーサーが憧れていたコメディアンが、アーサーのショーを公共の電波で侮辱。
病気の薬とカウンセリングも、市の予算の影響により打ち切り。
自分の父親だと思った男に会いに行くも邪険にされ、ただ富裕層と貧困層の格差を思い知らされる。
そして、更に追い打ちをかけるかのように、大事に想っていた母親にはとんでもない秘密があった。
その秘密を知ったことでアーサーは、自分という人間の存在が「現実」に否定されていたことを知ってしまう。
「俺の人生そのものが喜劇だった」
アーサーは泣きながら大きく笑った。
ついにアーサーはある決断を下す。
髪の毛を緑色に染め、ピエロのメイクをし、軽快なステップでアパートから街へと降りて行く。
彼はもう「アーサー」ではなく「ジョーカー」へと変貌していた。
哀しすぎる映画だった。
自分の生き方を現実に否定され続け、それどころか、自分という人間の存在すらも現実に否定された男の姿を描いた作品だった。
なにをしても報われず、病気でトラブルに巻き込まれ、恋すら妄想の中でしか出来ず、誤解から富裕層に打ちのめされ、大事に想い続けた母親の裏切りと、アーサーはとことん現実に打ちのめされ、否定され続けた。
アーサーが「ジョーカー」に生まれ変わった時。
彼は多くの暴徒達からかってないほどの賞賛を得る。
誰からも見向きもされなかったコメディアンが、暴徒たちのカリスマとなったのだ。
とんでもない皮肉である。アーサーはジョーカーになったことで、自分を苦しめていた現実に打ち勝ったのだ。
現実という残酷なまでに乗り越えられない壁。格差が拡がる社会。一人の人間を否定したこと……。
これらすべてが、ジョーカーという怪物を生み出した。
いくら、悲惨で過酷で、ツライ目に遭い続けたとはいえ、アーサーもジョーカーも犯罪者である。彼の犯した罪は恐ろしく、残酷なものである。
だが、私はジョーカーを生み出した「なにか」が本当に恐ろしいと思った。
そして、同時に哀しかった。
多くの暴徒たちから崇められるジョーカー。
もう、泣きながら笑っていたアーサーという男はどこにも居なかった。
彼は、社会を変えたいとは思っていなかった。
ただ、笑わせたかっただけなのだ。
クレイジーマッド映画ジャーニー 団子おもち @yaitaomodhi78
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