1-32:『――』

 その日は不吉な曇り空だった。どんよりとした空気が漂い、雨が降りそうな湿り気を感じていた。

 けれど私たちの心は晴れていた。

 なにせ私のお腹にいる子供がもうすぐ生まれそうだったから。

 きっと、今日生まれるだろうと、そんな予感がしていた。


 その日は珍しい日だった。なにせ村に珍しい訪問者がいたから。

 こんな森の奥地にある誰か知り合いがいないとたどり着けないような村に、集団で、真っ白な同じ服を着た人達。

 窓から覗いたときに誰かを探すようにきょろきょろとしていたから、少し不思議に思っていた。けれど、誰も何かを聞くことはなかった。心のどこかで大丈夫だと思っていた。


 けれど、事件が起きた。


 無事に生まれた、女の子だ。そんな時だった。バン、と大きな音がしたのは。

 ドアの方を見ると、鍵を壊して押し入って来る男の、お揃いの白い服を着たそんな人たちが入って来る。

 何を、と思ったのもつかの間、その人たちは私の子を、生まれたばかりの子を見て言った。


「この子は勇者だ。教会で預からせてもらう」と。


 もちろん拒んだ、けれど無理やりに私の子を奪って、そのまま去っていった。

 周りに集まっていた人だかりを押しのけて、生まれたばかりの赤子を奪っていってしまった。

 止めようとするものすべてを殺して、村から去ってしまった。

 あとには、血だまりと嵐が去った後のような静けさだけが残っていた。

 



「――それが貴女。私の夫、ロックが言い残したのならきっと」

「私が、あなたの子だった」


 衝撃を隠せなかった。

 目の前にいる人が私の親だと。

 夢に出てきていたのが果たして両親だったのか。今顔を見てもあまり分からない。

 もしかしたら、違うのかもしれない。


 こんなことなら触りだけでも魔王に聞いてみるべきだったかとすら思えてきた。


「他の子たちも、そんな感じだったのかな」

「他の子たち……って、もしかして、勇者って」

「えぇ、全員で十二人」


 なんて……と口を押える二人。

 それだけ教皇の、教会のしたことは許されない。

 鉄槌は――きっと、他の勇者がやってくれるだろう。もしかしたらそこで知るかもしれないし、知らなければ私から伝えよう。知る権利はあるから。


「そうでしたか……。ところで、名前は」

「ついていません。光魔法が得意だから、光っちだの、光の人だのと」

「そんなことが許されて――いや、それをあなたに言っても仕方ないですね」


 一息、深呼吸をした。


「あなたが良ければ、私の、私たちの考えていた名を」

「是非、お願いします」


 食いつくように反応してしまった。

 その反応が意外だったのか、少し微笑んだ。

 それだけ、私が渇望していたものだったんだろう。


「では、『―――』と」

「えぇ。ありがとう――お母さん」


 その瞬間、目の前で泣き崩れた。嬉しかったと、そういう涙だと思いたい。

 そしてやっぱり私はそれを素直に喜べなかった。


 ロックさんが生きていれば。

 そう考えずにはいられなかった。

 きっと、生きていれば笑顔だっただろう。


 お父さんと、そう呼ぶことはできなかった。

 一度も、顔を見ることすらできなかった。


 その思いが、どうにも私の気持ちを沈ませ、喜べなくしていた。


「私は馬車で休んでますね。それでは、明日はよろしくお願いします」


 そう定型文のように言い残し、リックさんが椅子から立ち上がる。

 私もどこかで泊ったほうが良いのかな、なんて思ったけれど、よくよく考えればここが家族の家なのだから、他の所に泊まるくらいならここに泊まるほうが良い。

 けれど気まずい。何を話せば良いのかさっぱりだ。


「お二人とも部屋を用意しますから、少し待っててくださいね」


 目じりを赤くしたまま、奥へと行ってしまった。

 リックさんはこれまで馬車で泊っていたんだろうか、部屋を用意するという言葉に驚いた様子だった。


「……まさか、そんなことがあったとは。名を名乗るときに躊躇ったのはそういう……」


 独り言をつぶやく傍らで、私は名前を噛みしめていた。

 何か生活が一変するわけではないというのに、嬉しさがこみあげてくるようだ。

 けれど、ずっとこのまま、この場所に滞在するわけにはいかない。

 次の一手をどうするべきか。


「どうしようかな」

「どうされたんですか?」


 独り言が漏れてしまった。

 もう、ずっと一人で考えても仕方のないことだろう。

 私は、今考えていることを口にした。


「私たちを攫った首謀者、教会のほうに、私の仲間が向かっているんです。でも、育ったところに一度戻って、誰もいないうちに書類を探してしまったほうが良いのかな、って」

「そうですね……教会のほうに行くのをお勧めします。個人的には、と但し書きはしますが」


 そう言って、また隣に座った。


「仲間が向かっている、ってことは、何か大きな作戦をするつもりでしょう。もし戦いになれば、血が流れ、場合によっては死ぬ可能性があります。しかし育ったところを探す、ってのは、怪我がなければいつでもできるでしょう」


 確かに。

 いつでもできると言えば、出来るだろう。

 ただ、書類を放置して、最悪のタイミングで発見されるのは良くない。例え作戦が成功したとしても、誰も幸せになれない。

 家具の類は全て持ち出されていたけれど、隠していないとは限らない。何もないと思って、誰も隅々を探していないし、探したこともない。だから時間がかかる読みだったけれど……死んでしまっては元も子もない、ってことかな。


「隠れてあとで探せば良い、とすれば先にみんなの元へ……」

「そうですね。どうせだったら私が目的地まで連れて行きましょうか? ちょうど次の交易まで時間がありますから」


 ここまで付き合ってもらった礼みたいなものですよ、と笑い飛ばす。

 お世話になったのはこっちだというのに、おかしな人だ。


「優しい人ですね」

「そんなんじゃないですよ」


 唐突に、隙間を感じた。

 私は今、どんな感情でこれを言ったんだろうか。優しい人なんて。

 名前があれば心が晴れると思っていたけれど、そんなこともなかった。

 私は未だ、空っぽのまま。なんの目的もなく、なんの使命も役割もなく、ただ生きている。

 そんな私の発した言葉が、空っぽでなくて何だと言うのだろうか。


 なら、私は何処にあるのだろうか。


「……考えるのは後でも良いでしょう。とりあえず、ここを出たらすぐ、あなたのお仲間さんの元へ急ぎましょう」

「……はい」


 どうやら唐突に、変なタイミングで無駄なことを考えてしまうのが癖らしい。

 今考えるべきことを間違えるな、私。

 一度深呼吸をして、思考を落ち着かせる。。


「ベッド、用意できましたから。こちらの部屋で寝てください」

「あぁ、ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 いつの間にか戻ってきていたようだ。

 そのまま私は招かれるままに部屋へと入った。

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