第25話 少しずつ。少しずつ。




 僕と美空は昨晩、星を眺めた貯水タンクの在る公園へ向かう為に川沿いの歩道を人の群れの流れに逆らい歩いて行った。花火の仕掛けを後ろに、そして暫く歩けば屋形船の漂う川を後ろに、人の群れの流れをスイスイと掻き分けながら。


 そして、途中で脇道へと入り、そこからまた右へと曲がり真っ直ぐに歩くと屋台通りへと入り。貯水タンクの在る公園が遠くに見えて来た。美空はそんな事も気にせずに屋台を眺めていたので。僕は


「何か欲しい物でも有るの?向こうに着いたら何も無いから。」


と美空に尋ねると。美空は少し迷いながらも、右端に在る屋台を指差して僕に


「リンゴ飴を食べてみたいです。赤くて可愛くて。」


そう言い指した先には、真っ赤で丸い果実を艶やかな飴で包まれたリンゴが軒先の電灯の光をキラキラと反射しながら美しく可愛らしく並んでいた。僕はその屋台へと歩み寄り、リンゴ飴を2つ手にすると、1つを美空へと渡して貯水タンクの在る公園へと向かった。


「美空。美味しいかい?」


僕は振り返りもせずに、美空にそう質問すると


「まだ食べて無いけど、赤くてまあるくてキラキラしていて凄く可愛くて嬉しいんです。ありがとうマサトさん。」


「久しぶりに食べたけど砂糖の味しかしないよな。」


僕のそんな言葉に美空はジッとリンゴ飴を見つめた後に、ペロッと舐めた。


「本当だ。甘い。」


と、美空は嬉しそうに笑った。そうこうしている内に僕達は公園へと辿り着いた。僕はリンゴ飴を角の方からカリカリと噛りリンゴ本体噛っていると、美空も真似をしてみたが口が小さく真似出来ずに笑っていた。


「マサトさん口の周りが赤くなってますよ。」


「マジで?」


と僕は口の周りを触ると、確かにベトベトしており。貯水タンクへ行く前に水道へと行って口の周りを水で洗った。


「マサトさん子供みたいですねー。」


と美空は笑い、僕は美空の方を向くと何の事は無い。美空の口の周りもリンゴ飴でベトベトになって赤くなっていた。そこて僕は急かさず


「いや、美空も口の周りが真っ赤だよ。」


そう言うと美空も口の周りを触り、ベトベトしているのを確認して笑った。二人共、水で顔を洗って貯水タンクのフェンス扉の所まで歩いた。僕はフェンス扉の鍵を開ける時にうっすらと記憶が現れた。


「水本だ。あの時に居た友達。そんな名前だった。」


「どうしたんですか?」


「いや、何でもないこないだ話した昔話の記憶を思い出しただけだよ。」


僕はそう言いながらフェンス扉を美空と抜けると、扉を閉めて貯水タンクの裏手の方へと回り。今度は階段の方を使って上へと登った。僕は階段を登りながら『水本』とこの階段を登った事を思い出しながら鉄の手摺をソッと撫でて歩いた。


 僕と美空は貯水タンクの屋上へと登り、半ドーム状の天井へ二人並んで手を繋ぎ腰を降ろした。二人並んでリンゴ飴を噛りながら無言で花火大会の開始を待っていた。赤く染まった夕陽は川の向こうに在る山の影に半分ほど沈みトワイライトと呼ばれるグラデーションは徐々に幕を下ろし始め。家屋の灯りが点くのと同じペースで空には星がポツポツと明かりを灯した。


 川は滑らかに揺らめいて重い銀色の水銀の様に暗くあらゆる物を反射し始めた。夕空の赤から夜空の紺から旅館街の窓辺の黄やら、下からの反射で夜を照らし始めると。花火大会のアナウンスが街に響いてこだました。花火大会開始の30分前の報せと挨拶であった。


「始まるね。」


「始まるな。」


そんな事を口にしながらも、リンゴ飴の処理に困り僕と美空は噛り続けていた。飴は普通に甘くて、リンゴは普通にリンゴの味だった。特別に味が良い訳でもなく、蔑むように不味くもなくただリンゴの味だった。正直に僕は味に飽きたのでリンゴ飴を貯水タンクの下へと投げた。美空はリンゴ飴を少しずつ噛りながら


「あー、いけないんだ。」


「いいよ。何か動物が食べるよ。」


そう適当に自分の悪事の罪悪感を和らげる為に言い訳をして言い聞かせた。美空は


「美味しいのに。」


と不満気に夕空と夜空の間のグラデーションに見入っていた。そして目を擦りながら美空は


「本当にこの時間の空って溶けてしまいそうになるよね。あのオレンジ色と濃い青色の間の所にあたし、挟まれて溶けてしまいそう。」


「変わった事を考えるね。こないだの星の物語と言いさ。」


「星の物語?ごめんなさい。多分その記憶もあたし、消えているのだと思う。」


「美空はね。この星空で楽しい物語を作ったんだ。スピカがエリで、アルクトゥールスが僕で、ちっさいデネボラが美空なんだって。」


「そうなんだ。やっぱりね忘れたものは思い出せるけれど、消えたものは出てこないみたい。」


もう、僕と美空の中で悲しいとか、寂しいなんて気持ちは薄れて来ていた。どうすることも出来ない事を散々考えては思い知り。受け入れる事しか出来ない僕達は諦めに似た覚悟をしていた。


 僕は美空の握った手と指を絡めて、徐々に現れる星空を見ながら力を込めた。美空もそれを握り返して星空を眺めた。時折、目を移した川辺は人集りがここからも判る程に溢れていた。


「人がいっぱいだ。ここに来たのは正解だったね。」


「うん。マサトさんと二人きりで花火が観られるんだから、あたし凄く幸せです。」


「そうだ、もう少し向こう側だったら仕掛け花火まで見えるから少し移動しようか。」


そう言って僕は立ち上り美空の手を引いて立ち上がらせた。美空はゆっくりと立ち上り移動する僕の後を付いて来た。


「ハハハッ...。」


手を引く美空の方から力無い笑い声が聴こえたので僕は美空の方を振り向いた。


「マサトさんあたし、もう歩けなくなっちゃった。ハハハ...。」


そう言う美空の右足が、小さな砂粒となってパーっと散らばり貯水タンクの屋上へ広がり消えていった。


 覚悟していた事とは言え、突然の事であり衝撃的な映像で有ったため僕は心が定まらないままに美空を抱えて移動した。僕は美空に言っているのか、自分に言い聞かせているのか判らないまま


「もうすぐ花火...始まるから。」


「うん。」


そう言葉をかけて移動して腰を降ろして僕は美空の背後から包むように座った。もう美空の顔を見るのも辛かったからかも知れないし、美空を包んで居てあげたかったのかも知れない。もう、僕にも判らなかったんだ。



 そんな僕達の不安な心を置いて、この街に響くアナウンスが鳴り始めた。この夜に包まれた世界に。






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