第5話 川の流れに彷徨って

 今は初夏に入り桜の花は咲いていないが。僕も今のアパートに住んで居ない時も毎年その桜を見に、ここに寄っていたのを思い出した。


「僕も毎年ここの桜を見ていたから、もしかしたら美空とここで会った事があるのかも知れないね。」


そう言うと美空は目をキラキラさせて


「そうですね!それ良いですね!良かったら、あたしとマサトさんが会った事が有るかも知れないゾーンをお散歩しませんか?」


なんだか美空は急に元気よくはしゃぎ始めた。僕は先程の涙の不安から解放されたせいか、快くその話を受け入れた。


「美空は少しは昔の記憶戻ったの?好きだった場所とか?」


僕がそう訊ねると、美空は首を横に振り


「その、桜の木に覚えはあるけど。なんで覚えているかも解らないし。あたしの名前を呼んでくれていたあの人の事も思い出せないんです。」


「まあ、そんなに焦んなくても良いんじゃない?まだ1日目の午前だよ。」


僕はそう言って笑ってみせた。



『君はそいつの事は思い出さなくて良いんだ。君は一人で死んだんだ。』



そう心の中で呟きながら。美空は僕のそんな裏腹な言葉を信じて「そうですね」と笑ってくれた。僕は、僕の腕に当てた美空の手を取って僕の肩に乗せ。


「このまま少し川沿いを歩こうよ。」


そう言って笑顔を向けると美空も笑顔で頷いて、僕は立ち上り美空は僕の首に腕を回し。またふうわりと浮いて付いてきた。


 この広く緩やかな流れの川は静かで。僕達をくゆめく様な反射で映し。初夏の日射しを滑らかな三角形の形に散りばめて道や壁や僕達を天然のミラーボールの様にキラキラと艶やかに光り照した。


 明後日に花火大会を控えた川沿いは、見物の場所取りに至る所にガムテープやブルーシートが貼られていた。それを見た美空は口を開き


「みんな良い場所で花火を観たいのに、自分達ばかりが良い場所で観たいんでしょうね。」


「誰だってそうだから、早く取ろうとするんだろうよ。風物詩みたいなもんだな。」


「でも、それで観れない人とか出て来るんじゃ無いですか!あたし嫌いです!」


「ハハッ。あんな大きいもん独り占めなんて出来ないのにね。」


美空はその言葉に少し止まって。


「そっかー!独り占め出来ないのにね!ハハッ。マサトさん最高!」


そう一緒に笑った。僕も少しその言葉に嬉しくなりながらも。その花火を観る事が出来なかった美空の過去に同情の心が沸き立ちながらも必死で抑え込み笑顔で居た。




川の流れと幽霊と心彷徨さまよう僕




「少し喉が渇いたね。」 


僕はそう言って、自動販売機の有る土手の上へと走った。美空は「あっ、ああ!」と言いながら走る僕に揺られて必死にしがみついて。それが何だか可笑しくて、僕は笑いながら美空に「ごめんごめん。」と謝った。


 土手を上がるとそこには自動販売機が在り僕はスマホをかざして、ミネラルウォーターを買った。キャップを捻りひと口飲むと


「あたしも何だか喉が渇きました。」


美空が恥ずかしそうに言ったが、これだけ引っ付いていて僕は慣れてきたのか。何気なくミネラルウォーターをひと口、口に含むと美空の方を向いた。美空も黙って目を瞑り僕の口に唇を寄せてそのまま水を僕から口移しで飲んだ。


柔らかい唇の感触と甘い薫り、滑らかに絡む舌。


 僕は直ぐに我に帰って前に向きなおして、歩き出してペットボトルのキャップを閉めて


「さあ、次へ行こうか。」


と恥ずかしさを誤魔化しながら歩いた。真面目な顔をしながらも甘い薫りと柔らかい感触に自分の口元がニヤケていそうで口に力を入れて尖らせてみせたりしながら。


 僕と美空は、この大きな川を横切る橋へと辿り着き、橋を渡り川の向こうへと歩いた。そして真ん中辺りで橋の欄干に肘をついて、この川を眺めた。


 向こう側の川沿いには旅館街が建ち並び、川の陽光の乱反射が窓ガラスに更に反射して。この河川の風景はキラキラと輝き。その真ん中で僕と美空は景色の一部になりながらも、その景色を眺めていた。僕は美空の方を向いて


「綺麗だよね。僕はこの景色を見る度に、この街に生まれてです良かったと思うんだ。」


美空は僕がそう語りかけても、黙って川の水面を見ながら少し。10秒程。そのぐらい黙ったと思ったら急に口を開き


「あっ!マサトさん!魚がいた!」


「いや、川なんだから魚ぐらい居るだろ。」


「あの魚は何処から来たのかな。あたしは何処から来たのかな?」


美空はなかなか戻ってこない記憶に、少し焦りと寂しさを見せてきた。僕はそんな美空の気持ちを少しでも和らげてあげたいと咄嗟に反応して答えた。


高山美空たかやまみくって名前で。高山って苗字はここら辺じゃ聞かない苗字だから。」


「たかやま...み、く...」


僕は「しまった!何も解らなかった事にしておくつもりが。」と思い顔がひきつるのが自分でも判った。僕は心を決めて話を続けた。


「そうだよ。僕があの部屋に引っ越して来たばかりの時に、よく高山美空って名前でDMハガキが届いていたから。その時は『みく』じゃなくて『みそら』っ読んでしまってたけどね。」


(どんなに嘘吐きと言われようと。僕は美空の辛い過去を教えない。)


そう心に決め。思いながら僕は美空へ、然さも『高山』と言う苗字は前から知っていたかの様に振る舞った。しかし、美空は嬉しそうに


「へぇー。あたし高山美空って言うんだ。何だかあたしの大切な物が一つ戻ってきたみたいで凄く嬉しいです。」


美空は頬を赤らめる程に嬉しそうに喜んだ。そして僕の腕を掴んだまま。僕の横に立ってこの景色を見ながら


「あたし、実は凄く不安だったんです。あたしが覚えていた事は本当は全部ウソっぱちで。あたしは本当はずっと幽霊で、過去なんか無くって本当は初めから居なかったんじゃないかって。」


「僕にはそんな感覚は解らないけど。」


「ですよね。でもあたし。今はここに居たんだ。あたしはちゃんと居たんだ。って凄く実感できて嬉しいんです。」


 そう話す美空の顔は何か色んな事にスッキリとして全てが終わったかの様な優しい表情を見せた。その顔を初夏の太陽は様々な角度から照らし輝かせた。




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