第15話 スクラップ・アンド・ビルド:羽田圭介

又吉直樹の「火花」と芥川賞を同時受賞をした作品。

結構コミカルな性格の作者なので、芥川賞を採った後、テレビ露出が増え、話題になりましたね。


あらすじ

起:二十代後半の青年は、現在無職。しかし、決して引きこもりや、社会不適合者というわけではなく。心身ともに健康で、転職活動に勤しんでいる。今は、母、そして、高齢で要介護者の祖父と同居している。無職の青年は、家にいる間、祖父の介護を手伝うようになる。

承:健康マニアの青年は、生命力に満ちている。一方、祖父は全くの逆で、そう遠くない死を見つめ、「早く死にたい」などと、超ネガティブ発言を繰り返す。青年は、生気のない祖父を嫌悪する。青年は、祖父の自殺願望を独自の哲学でほう助することを考える。その方法は、筋トレであった。

転:青年は筋トレし、鍛え上げられていく自分を見せつけることで、祖父を絶望させ、死へと導こうとする。が、そんな謎の哲学は空回りし、大きくなる自分の体と比例するかのように祖父への嫌悪感は増大する。そんなある日、祖父が足を滑らし、風呂場でおぼれる。青年は、必死でもがく祖父の姿を目撃する。

結:省略


面白ポイント①:主題は激重、物語は軽量

→「生と死」、「老い」、「介護の苦しみ」など、主題とするテーマは激重なのですが、あらすじに書いた通り、主人公の独自哲学がコミカルで、ユーモア小説ともいえる内容となっています。


面白ポイント②:軽さとはリアリティ

→皆さんも、周りにまたは道端で、要介護者を見かけることはあると思いますが、そのたびに、重厚で、悲壮感漂うBGMが流れてきていますか?

→「ああ、要介護の人なんだな」くらいにしか思っていないのではないでしょうか?彼らは「生きる」ということを考えさせてくれる重大な存在、切っ掛けかもしれないのに。そんなに軽い感じでいいのでしょうか?

→いいか、悪いかは別として、往々にして現実の感覚というのは、「軽く感じられる」ものではないのかな、、、なんて私は思っています。

→そういう意味で、この作品は、確かに軽いことは軽い話なのですが、不思議と内包する重厚なテーマが、すんなりと読者の心に入りこみ留まっていきます。この作品のリアリティのなせる業といえるのではないでしょうか?


結び:青年の見つめている者は、自分自身

→確か作者が「自分も将来要介護者になることを意識した」みたいなことを書いていました。

→青年が見つめているのは、自分自身なのですね。そして、彼が嫌悪、、、恐れているのは、自分の老後の姿なのです。彼は、筋トレによって、その現実に抗おうとしている、、、そんな読み方ができますよね。

→結論は省略してますが、結果的に彼が抗っていたものに対する対抗策は、物理的な筋トレではありませんでした。もっと、観念的でかつ、直接的な生命の本質に青年は出会い、そして、希望を見出します。

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