一年前の記念日に

@cbayui

一年前の記念日に

「ねえはーちゃん、これって」

「ふふふ、ぱんつ」

「……派手すぎ!」

 ビビッドピンクの迷彩柄のトランクスを手に、あきくんは白い頬をちょっと赤らめて言った。三年目の夏用ズボンには少し毛玉が浮いていて、ミニスカートの私がぴたりと寄り添って座ると、脚にはざらりとした感触があった。

 見慣れた青い縞々のカーテンの部屋。本棚には白いロボット、赤いロボット、写真立てにはまだ小さい私とあきくん。その隣にちょっと大きい白いロボット。あ、また女の子のフィギュアが増えてる。

「また女の子増やしてる」

「ゲーセンで取ったんだよ」

「いくら使ったの?」

「覚えてない」

 あきくんが何を好きなのか、中学生になったくらいからよく分からなくなった。でも、目が大きくて腰のくびれた女の子がはるくんの部屋に増えていくのは、少しだけ苦しかった。

 それでも、あきくんが私のことを好きと言ってくれたから、私はそれだけで十分だった。



 生まれた時から、大学一年生になった頃まで、あきくんと私はずっと一緒だった。



 九月二十日を迎えたくなかった。去年までとは違うと認めたくなかったから。

 大学の夏休みは長くて、今日も授業はない。八月にはサークルの友達と海に行ったり、高校のクラスメイトと制服を着てディズニーに行ったりしたけど、今日は何の予定も入っていなかった。いや、無意識に入れなかったのかもしれない。

 三年前の今日、あきくんに告白された。

「同じ高校に行くのが決まったとき、すごく嬉しかったのに、充分だと思ってたのに、却って、遠くなっちゃった気がして……」

 日曜日だった。久しぶりに呼び出されたあきくんの部屋の中で、私は生まれて初めて告白されて、生まれて初めて恋人を作った。それからは、最寄り駅までの七分間、毎朝がデートだった。

 一年目の記念日には、電車に乗って恋人の聖地まで行った。探してみれば今でも、二人の名前を書き込んだ錠前がどこかにぶら下がっていることだろう。お揃いで買った鍵の形のストラップは、三か月前に捨てた。

 あきくんに別れようって言われたのは、土臭い梅雨の初めの頃だった。少し変だとは思ってた。大学生になって別の学校に通うようになってから、私たちは一度も相合傘をして歩いたことがなかった。けれど、そうやって少しずつ変わっていっても、私たちは変わらずにいられるって信じて甘えてた。あきくんは私から逃げるみたいに、電車でも通えるはずだった大学の近くの街へ越していった。

 からりと間抜けに晴れた空。聞き慣れぬ発車ベルと揺れる電車が加速する音を、乾いた風が攫う。私は二時間かけて、あきくんの通う大学の近くまでやって来てしまった。待つ相手なんて、もうここにはいるはずないのに。


 灰色の駅前にはファストフード店が二軒ほど。地元にもあるところは使いたくなくて、ちょっと高いサンドイッチ屋さんに入った。窓辺のカウンター、外にはさっき出てきた改札口が見える。待ち合わせた男女が額を寄せ合うのに顔を背けたら、注文したポテトを持ってきたお姉さんと目が合った。

「ポテトSサイズ、お待たせいたしました」

 胸元の名札に初心者マークを付けた小柄な店員は、少しおびえた様子で机の上の7番の札を取り、一人分のポテトだけがこぢんまりと載ったトレイを私の前に置いて去っていった。ひとりであてもなく出かけるなんて初めてだ。ポテトだけつまんで帰るのは変だと思うけど、それ以外に私は何も正解を知らなかった。店ではサークル帰りらしき大学生のグループがいくつか、楽しそうに駄弁っている。この中の誰かがあきくんを攫っていったような気がして、私の意識はもう一度窓の外へ追いやられた。件のカップルはもういない。とっくにどこかお洒落なカフェにでも行ったのだろう。ポテトをつまんで口に放り込む。塩控えめで寝ぼけた味だ。

「でさぁ、もう、ちょろいんだって男子校とか」

「えぐ」

 背中に軽く何かが触れて振り返ると、頭の大きな女の子のぬいぐるみをリュックに着けた女の子が、私の後ろのテーブル席に座ろうとしていた。今当たったのは、おそらくそのぬいぐるみであろう。ふわりんと茶髪を巻いて制服みたいなワンピースを着こなした彼女は、きらきらした声で隣の女の子と話している。高校生ではなさそう。社会人にしては幼すぎる。たぶん、彼女たちも私と同じ大学生だ。

「ってか、この辺でそんな話してて大丈夫なん?」

「だいじょぶ、みんなこっちの店入らないもん」

「あーそ」

 私の後ろで「そんな話」が繰り広げられようとしていたのは愉快ではなかったが、まだポテト150円に見合う滞在時間ではなかったので席を立つことはしなかった。

「やー、大学行けば世界変わるってホント。ちょっと可愛くしてればホイホイ乗ってくる男ばっかりなんだもん。高校まではさ、クラスのアイドルみたいなのって揺るがなかったわけじゃん? その点大学ってサークル入っちゃえば他にほとんど出会い無いからね~」

 私はポテトをつまんだ指を舐める。塩味は無くて、ただただべとついていた。

「でも出会い無いのあたしもおんなじじゃん? もうサークルの男全員と、しちゃった」

「えっぐ」

 ポテトを三本つまんだ。油の染みた白い紙袋は底を見せる気配がない。

「なんかバレそうでめんどいから、辞めよっかな今のとこ。あいつら粘着しそう」

「あんたさー。友人として言わせてもらうけど、そんな生き方辛いだけだと思うべ? 真実の愛を追い求めるとか言ってた中三のあんたはどこ行った?」

 ポテトをひとつ抜き取ると、残りが中でゴソゴソ擦れ合う音が変に大きく聞こえた。

「そんなのないよ。男、寝てみるとみんな変わらん」

「……えぐ」

「あでも面白い奴いたわ。あの中じゃ結構好きなんだけどね」

 袋を掴んで中のポテトを全部トレイの上に出した。案外、残りは少なかった。

「したらその人と付き合うとかすれば?」

「そういうんじゃないかな~ なんか結局オタクって付き合うのとは違くない?」

「知らん」

 カリカリしてそうなのをひとつ口に入れた。なんか辛かった。

「でさーそいつが面白いのはさ、地味な見た目してんの。ブナンな黒とか白ばっかり着てて。色は白くて素材はいいんだけどね? あんまり女絡みしないタイプであたしもゴールデンウィーク合宿で初めて話したんだけど。ちょっと童貞っぽい感じが逆にそそられるというかさ、結構本気で落としに行っちゃった。でも、あれだけ地味なのにさ、寝た時に履いてたパンツが、」


——ピンクの迷彩柄だよ? ウケるよね。


 ポテトはあと二本残っていた。






「じゃあ僕からもプレゼント」

 私からの贈り物を勉強机の隅に丁寧に置いて、あきくんはベッドに腰掛けている私の方に振り返った。

「驚かせたいから、目つぶって両手を出して?」

 言われるがままに私は瞳を閉じ、体を支えていた手をそろえて胸の前に出した。けれど次に私が感じたのは、手の上に何かが載せられる感覚ではなくて、私の頭をなでるあきくんの手の大きさと、その柔らかい唇の温度だった。

「……はーちゃん、変じゃなかった?」

 甘くて長い時間だった。窓からはいつの間にか秋色の夕日が差し込んでいた。

「はじめて、だから分からないよ」

 ちょっと素直になれなかった。けれどあきくんは嬉しそうに笑った。

「僕もだ。ねえ、幸せ?」

「幸せだよ」

「幸せだね」

「……ぱんつ、使ってくれる?」

「使うよ、いちばん好きな人がくれたんだから」

「……私も、今日のこと忘れない」

 あきくんの目元には何故か涙が浮かんでいたけど、私も人のことは言えなかった。

「僕も、大好きな人のはじめてになれたこと、一生忘れないと思う」

 机の上の真新しいパンツは、想い合う二人の前ではただの布切れだった。

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