第3話 結婚したら、これ以上のことだって、そのうちするわけだし……

 伊吹の部屋は、引っ越してきたばかり、ということもあるのか、比較的物は少なかった。必要最低限の家具と、生活家電と、せいぜい伊吹が好きな映画のDVDとかブルーレイが本棚に並んでいるくらい。


 部屋の作りは僕とほぼ同じで、ワンルームの部屋に置かれているテーブルには、およそ伊吹ひとりが食べるには多すぎる量の肉じゃがに、ふたり分のお箸や食器が並べられていた。……まあ、予想はついていた。


「今、ご飯と味噌汁用意するので、待っててくださいねっ」

 エプロン姿の伊吹は、顔だけこちらに向けながら、おたまを片手に僕にそう言う。もはややっていることは夫婦にしか見えない。

 少しして、ほどよく温まった味噌汁の入ったお茶碗を持って、伊吹がテーブルにつき、女の子座りでカーペットの敷かれた床に座る。


「……どうでもいいんだけどさ、いつまで制服着てるの? も、もう制服でいる必要ないんじゃ……」

「えっ、あっ……せ、制服のほうが、喜んでくれるかなって……思ったので……」

 ……僕を勝手に制服萌えに仕立て上げないで貰えるかな……。そういう癖の人がいるのは認めるけど、僕はそうじゃないし、制服汚れるんじゃないかって気になっちゃうし。


「い、いや……別に伊吹がそうしたいならいいけど、僕のため、っていうなら着替えてもらっても……」

「……こ、ここで今ですか……? でっ、でもでも、そんないきなり……ぅぅ……け、けど、悠乃くんがそれを望むんだったら──」


 僕が伊吹に着替えるよう勧めると、途端に彼女はその場で顔を赤くさせ身をよじらせては、そんなことを言い出す。

「オッケーごめん、僕の配慮不足だった。ちょっと外出てるから着替え終わったら呼んで」


 なるほど、ワンルームなので僕の目線が届かない場所で着替えられる空間がトイレと浴室しかない。いくら幼少期に伊吹の着替えを手伝ってあげたことがあるとは言え、お互いもういい年だ。見ていいものと悪いものくらい区別しないといけない。


 僕はすぐに立ち上がっては、一度伊吹に着替える時間を作ろうとした、のだけど。

「いっ、いえ、悠乃くんはここにいたままでいいんでっ。すっ、すぐ着替え終わるんで、そんなわざわざ外に出て待ってもらうことも」

「いや、さすがにそういうわけには──おわっ、ちょっ、えっ」


 僕が歩き出すより先に、スカートをパサリと床に落とした伊吹は、僕がいるにも関わらず着替えを始めた。

 慌てて両手で視界を隠して、見ないようにする。目を塞いだまま、もしくは伊吹を見ないようにして外に行けたらいいのだけど、あいにく、玄関の方向にタンスが設置されているため、外に出るためにどうやっても着替え中の伊吹の側を通過しないといけない。


 初めてお邪魔する部屋を、目をつぶったまま安全に歩けるとは思えないし、仕方なく、僕はその場で伊吹が着替え終わるのを待つ、ことにしたのだが、

「…………」

 視界の情報がゼロになると、当然他の感覚──主に聴覚──から得る情報が増えるわけで、そうなると、制服のタイを解く音だとか、プチ、プチ、とワイシャツのボタンを外していく音だとか、はたまたそのシャツを脱ぐ音だとかが鮮明に聞こえてくるので、余計悶々とさせられてしまう。


 制服のままでいいの、とか変なこと聞かなければよかった。そんな後悔を抱いていると、


「き、着替え終わりました……」

 伊吹がそう言うので、恐る恐る目を開けると、数字がプリントされたTシャツに、もこもことした雰囲気のズボンという組み合わせの部屋着にチェンジした姿が。


 ホッとひと息胸を撫で下ろして、元いたテーブルの位置に座りなおすと、少しだけ切なそうに眉をひそめた伊吹は、

「……別に、悠乃くんにだったら、気にしないのに……」

 と、ぼそっと呟く。


 ……伊吹、僕と会わない間にめちゃくちゃ好感度上がってないですか? いや、確かにそんな気がするようなって素振りはあったよ? 僕が東京の大学に進学するって聞いたとき、かなり悲しそうにしていたし、毎年必ずバレンタインデーと誕生日にはお菓子プレゼントしてくれたし。


 でも、ここまでになるとは……さ? 会えない時間が愛を育むとかよく言うけど、これは育ち過ぎでは……? それとも、僕が気づいていなかっただけとか?


「……結婚したら、これ以上のことだって、そのうちするわけだし……」

 ああほら、なんか不穏なワード出てきた。


「さっ、お腹空いたなー、ご飯美味しそうだなー、いっただっきまーす」

「あ、あっ、はっ、はい。どうぞ、召し上がってください」

 これ以上変なことを考えないためにも、僕は目の前に並んでいる肉じゃがをひとくち食べては、もぐもぐと嚙みしめる。


「……あ、お、美味しい……」

「ほんとですか? よ、よかった……」

 口のなかに転がるじゃがいもは、程よく味が染みて、程よく柔らかくなっていて、とても美味しかった。

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