短編 黒い法の庭で

短編1「黒い法の庭で」


 ファルタール王国は法治国家である。

 国民はおろか、国王も貴族も法に縛られ生きている。


 他国から蛮族の国、魔境、果ては魔物すら弱者は生きていけない地獄、等と呼ばれる事があるが。その統治形態は法治国家であった。

 法を作るのは王侯貴族であり、立法府のように権力が分散されているわけではなかったが。それでもファルタール王国が珍しい国家であるのは間違いなかった。


 そんなファルタール王国で、法にまつわりながら宮廷に務めるというのは、貴族の中ではそれなりのステータスであった。

 法務庭ほうむてい――、初代ファルタール国王が庭で部下と会議する事を好んだ事から名付けられたその部署は、宮中に勤める貴族としては財務庭と並ぶ、知的エリート達の集まりであり、また巨大な権力を有していた。


 そんな法務庭でも他と一線を期す部署、通称黒い庭で一人の青年は溜息をついていた。

 なぜ自分のような若輩者がこんな重大な責任を負う席に座っているのだろうか?

 淡い金髪に、切れ長の蒼い瞳、物腰の柔らかそうな口元の青年は、この黒い庭に配属されてから何度目かもわからない溜息を吐いた。


 法務庭の黒い庭、それは貴族や王から提出された法案を独断で却下できる権能が与えられた部署である。

 ファルタール王国では通常、法案は貴族議会と王の採択によって法として採用される事になる。が、その前にこの黒い庭で却下されない、という条件が必要とされるのだ。黒い庭が提出された法案が不適切であると判断した場合、採択される事すらなく却下となるのだ。


 異常な程の強権である。

 当然ながらその強権は余程でなければ使われないし、黒い庭で配属されるとは、それだけで有能さが認められたと言われる。

 そして、あらゆる賄賂、甘言、脅迫に屈しない人物であると見られている、という事でもある。


 自分にあてがわれた机の前で、青年は首を傾げそうになる。

 自分が無能である等とは思わないが、さりとて自分の能力が十全に足りていると己惚うぬぼれる事も出来なかった。

 同僚は皆、自分より遥かに年上で貫禄も能力も十分であり、人格面でも非の打ちどころが無いような人物がそろっていた。


 その中で一人、まだ学園を卒業して三年しか経っていないような若造である自分が黒い庭に一席を置いているのである。

 配属されて既に二年経過しているが、いまだに首を傾げてしまうのだ。


「忙しい所すまないが」


 青年が首を傾げていると、背後からすまなさそうな声が掛けられる。


「いえ、特に急ぎの仕事は抱えておりません」


 青年は慌てて姿勢を正す、職場の先輩に妙な勘違いを与えてしまった。

 そうかい? 声をかけてきた初老の男性は柔和な笑みを浮かべると、青年に盆に乗せられた書類の束を渡す。ファルタール王国貴族から提出された法案だ。


 青年は自分も貴族でありながら、よくもまぁ毎日何かしらの法律を考え付くものだと思う。法案を出せるのは貴族家の当主のみだが、まぁ全て当主が考えていると思うのは素直すぎる考えだろう。

 青年は下級貴族家の人間ではあったが、長男でありいずれ当主の座を継がねばならぬと思うと、その席に付属するアレやコレを想像して辟易とする。

 青年は男性から受け取りつつ


「法案の下読みでしょうか?」


 と尋ねた。


 下読みとは他の同僚が読む前に、あからさまに法案のていをなしていない物を弾く行為の事である。つまり黒い庭で下っ端に任せられる仕事であり、そしてそんな仕事が必要な程に、くだらない法案が日々届くのだ。


「いや、今日は君の方で最終的な判断をしてもらって構わないよ」


 成る程、青年は紙の束を見てこれもまた”いつもの”かと納得した。

 要は下級貴族からの法案が纏められた物なのだろう。


 建前として、法案は提出者の身分を考慮しない、となっている。

 出された書類の束は全て無記名の封筒に入れられており、どの貴族家が出した法案なのかは分からないようになっているが、それは明らかに建前だ。


 明らかに先輩方は知っているようなので、自分が知らされていないだけでおそらく分かる方法があるのだろう。

 青年はおそらく封筒がその一つなのだろうなと思いながら、同僚から盆を受け取る。


 自部署の公平性に対して多少の疑問は抱くものの、審査は間違いなくされる。

 その審査をするのが自分のような若輩者であるだけだ。


 盆を受け取った青年は机の上に法案の入った封筒を並べる。

 やはり先輩方が法案の提出した貴族家を見分けているのは封筒なのだろうな。青年は自分の考えが正しいのだろうと思う。


 目立つのは黒い封筒だ。自分が最終的な判断まで任される時には必ずこの黒い封筒がいくつも入っている。

 殆どの法案が無難な色の封筒であるのに、この黒い封筒は良く目立つので嫌でも記憶に残る。


 まぁ良い、仕事だ。

 青年は黒い封筒を手に取って封を破り中身を確認する。


「家名に武器の名前が含まれる貴族は、週に一度は王家との面会をする」


 同僚の邪魔にならない程度の小声で書かれた法案を読み上げた青年は、しばし目頭を揉んだ。

 これは法案ではない、断じて。


 自称法案の後に、何故にそのような法を作るべきかという主張が書いてあったが、青年は容赦なくそれを読み飛ばした。

 青年は書類を封筒に戻すと、却下の箱に放り込んだ。


 二つ目の封筒にかかる。見もせず手に取った封筒はまたしても黒い封筒だった。

 青年はなんとも言えない表情を浮かべてから、封を切る。


「武器類への日頃の感謝を新たにし、またその発展に思いをはせる為、武器類が家名に入っている貴族家が集まり、王家と週に一度、いや月に一度で良いので会合を開くものとする」


 提出する法案の中で法案を訂正するなっ。

 青年は静かにうめき、却下の箱に放り込んだ。法案の提出理由には目も向けなかった。


 何故か急に家に帰りたくなってきた。法案を二通確認しただけで強烈に疲れた。

 家に帰って年の離れた末弟と遊んだ後に、愛する婚約者の顔を見に行くのだ。

 たぶん凄く癒されると思う。


 青年は生来の生真面目さで封筒を手繰り寄せる。今度は意図して黒い封筒を選んだ。辛い事は先に済ませる性分だった。

 黒い封筒を連続で処理していく青年を、遠くからうかがうように同僚たちが覗き見ている事に気が付かないまま、青年は小さくヨシと呟くと封を破った。


「名前がSから始まり、家名に刀剣類の名称が入っている者は王家の友とする」


 我が国の王家を何だと思っているんだ!

 青年は心中で叫んだ、この黒い封筒の差出人は間違いなく我が国の王家を馬鹿にしている。おそらくだが、匿名で法案を出せる事をいいことに王家を馬鹿にするような法案を出して鬱憤をはらしているのだろう。


 端から法案が黒い庭を通過する事も望んでいないのだ。

 こんな物を読まされるとは、ファルタール王国の貴族の一員として腹立たしい事この上ない。貧乏子爵家の長男とは言え自分にも誇りという物があるのだ。


 自分と同じ貴族に、このように匿名で王家を馬鹿にするような輩がいるというのも腹立たしいが、王家に不満があるのならば直接言えと思う。

 青年の頭に浮かんだのは、自分のもう一人の弟だった。


 貧乏子爵家の次男だった弟は、貴族であるのに冒険者になるような変わった奴ではあるが、この黒い封筒の差出人よりかは余程に貴族らしいだろう。

 現在は色々な事情のせいで家を出て行ってしまっているが、元気にやっているだろうか? いや元気にやっていないワケがないな。


 アイツなら不満があるなら王家だろうと何だろうと真正面から伝えるだろう。

 それに比べてこの黒い封筒の人間はっ。


 再び苛立ちを感じた青年は金髪の毛を少々乱暴に掻き揚げると、法案を却下の箱に放り込んだ。

 それから青年は更に三つの黒い封筒を却下の箱に放り込み、他の封筒を確かめると結局は全て却下の箱に放り込んだ。


 黒い封筒は言わずもがな、他のも特定の貴族が有利になるような法案を遠回しに表現しただけの物だったりと、碌な物ではなかった。


「全て却下しました」


 そう報告する青年に、仕事を頼んだ同僚は若干の恐れをにじませた声で「そうか」とだけ応えると、恐る恐る却下の箱を受け取った。

 それを見届けた青年は、日常の業務に戻っていった。



「いやいや、やはり凄いなあの家の者は」


 青年から黒い封筒が放り込まれた却下の箱を受け取った男に、そう声をかけたのは白髪の目立つ壮年の男性だった。


剪定長せんていちょう


 声をかけられた男は、庭になぞらえて付けられた上司の役職を口にして、何かを言おうとして口をつぐんだ。

 余計な事を言いそうになったと自覚したからだ。


 替わりにいつも抱く疑問を口にする。


「彼は……本当に黒い封筒の意味を知らないのでしょうか?」


 その疑問に剪定長はどうだろうね?と曖昧な笑みを浮かべる。


「まぁ知っていたとしても、あまり結果は変わらないと思うがね」


「はぁ、ですがその、他の封筒もかなりこれ見よがしな大貴族の物ばかりでありましたが」


 恐ろし気に手に持った却下の箱を見下ろしながら呟く男に剪定長は笑う。


「あの家の者は皆そうだよ。私のかつての同僚もそうだった」


 剪定長は今は別部署に移ったかつての同僚だった男を思い出しながら言う。


「家風なのか、何なのか知らないがね。あの家の者は何故か貴族であるという事に大した価値を見出していないのさ。己の家も他家も関係なくね」


 剪定長の言葉に男はそんな貴族がいるのかと、一瞬思いはしたものの口にはしなかった。伯爵家の出ではあるが家督も継げない次男の身であったので城に仕官した口だが。

 当主である父からはあの家の者に関して迂闊な事は宮中では決して口にするなと厳命されていたからだ。父曰く”熱烈なファン”がいるらしい。


 何なのだ貧乏子爵家の熱烈なファンとは? まぁ良い、間違いなく禄でもない話に決まっているのだ。

 男は自分の内心を全て心中の奥底に押し込めると、剪定長に頭を下げて仕事に戻った。


 剪定長は、貴族らしく黙って言葉を飲み込み去っていく男を満足げに眺めると、さて自分も仕事に戻るかと机に向かう。

 ふとその途中で足を止めて考える。


 ふむ、久しぶりに元同僚を誘って飲みにでも出かけようか。奢ってやると言えばあの男は断るまい。まぁ家に招こうとすると断られるだろうから、昔みたく平民の恰好をして街に繰り出すか。


 剪定長は久しぶりに級友と飲む事になるだろう安酒を思って声を出さずに笑った。



***あとがき***

大変、お待たせしております。

書籍化作業をしつつ、本編もちゃんと書き進めております。

それは間違いないのですが、予想以上に時間が掛かっております。

書籍化作業をしつつ、ウェブの投稿も維持している人たち。

皆さん、彼ら彼女は超人です。


というわけで、お詫びの短編です。

ロングダガー家の本編では存在だけが語られている長男のお話しです。

ジェン出せよ、とも思うのですが。

ここでジェニファーリンを出すと間違いなく本編の執筆がフライアウェイするので、主人公のお兄ちゃんを出しておきました。


結局は時間稼ぎの短編を書く駄目な作者とおしかりください。

あとコメントの返信が長らく止まっておりますが、全て読ませて頂いておりますので

それだけは明記しておきたいと思います。

では本編も頑張ります。

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